京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『セーラー服と機関銃3 疾走』 赤川次郎 作 

2016年04月06日 | KIMURAの読書ノート
『セーラー服と機関銃3 疾走』
赤川次郎 作 角川書店 2016年1月25日

前回の読書ノートで映画『セーラー服と機関銃 ―卒業―』を紹介した。この時に、その続きとなるシリーズ第3作目が刊行されていることも加えてお伝えした。今回はその3作目を無事読了したので、それを取り上げる。

本作品は、星泉45歳。その娘、叶17歳の物語である。主役は娘である。

叶は高校2年生。演劇部に所属し、その合宿からの帰りに道に迷う。山の中を部員と共にさ迷っていると、一軒の古びた家にたどり着き、そこに泊めてもらうことになる。この家の女主人が深夜、叶に打ち明けたことは、自分が叶の母親泉であること。その後無事に自宅に戻った叶が待ち受けていたことは、友人以上恋人未満の丸山の死。そしてここから叶の身辺が大きく変わってくる。泉の高校卒業以降の動向、叶の出生の秘密、そして父親のことが、明らかになっていく。そして、叶が放つ機関銃の先は……。

シリーズの第1作となる『セーラー服と機関銃』が刊行されたのが1979年。それから35年。泉の年齢もさることながら、彼女たちが対峙する相手が大きく変わっていることに時代の流れを感じさせられる。当時の敵はやくざ同士の抗争であったが、そのような身内同士の争いが子ども同士のケンカのようにさえ思えてくる。作者の赤川次郎さんは近年、自身の仕事としてのコラムだけでなく、プライベートでも新聞などに自分の意見を投稿、話題になっている。その多くが、今の日本社会における政治への不信感や提言である。この作品はそれをまさに凝縮したものとなっている。少しだけ内容に触れることになるが、本作品の舞台は日本にとどまらない。いわゆるグローバル化と言えばいいのだろうか。泉と叶の父親との出会いは、日本ではない。しかし、世界を舞台にして大風呂敷を広げた話なのかと言えば、案外そうではない。今の日本政府のきな臭さを星親子を通して、訴えているのである。しかもそれは、今メディアで報道されていることではない。まさに、作者が「きな臭さ」を嗅ぎ取って作品に著したと言っても過言ではないだろう。そのため、実際にそうであるかは分からない。しかし、作中の日本政府がそうであるように、今の日本政府がそうであっても、決しておかしくないとさえ思えてくる。

かつての『セーラー服と機関銃』は明らかに「青春ミステリー」という言葉がぴったりの作品であった。「セーラー服」を来た女子高生が殺人事件に巻き込まれ、問題を解決しながら義理と人情のために「機関銃」を放つ、爽快感たっぷりの物語であった。しかし、同じシリーズでありながら、この作品は「青春」とはほど遠い、どちらかというと「社会派ミステリー」に変化している。これまで同様、「セーラー服」を来た女子高生が「機関銃」の引き金を引く物語であるのにも関わらず。義理と人情だけでは語れなくなったこの物語。第2作から30年を経てこの作品を書かざるを得なくなった作者の想い。そして、その全てを背負った星親子。明るいエンディングでありながら、切なさが残る読後であった。  (文責 木村綾子)
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