京都で、着物暮らし 

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KIMURAの読書ノート『セーラー服と機関銃 ―卒業―』

2016年03月17日 | KIMURAの読書ノート
『セーラー服と機関銃 ―卒業―』
赤川次郎 原作 前田弘二 監督 橋本環奈 出演 2016年3月5日 公開

薬師丸ひろ子、原田知世、長澤まさみの星泉を観ている私としては、橋本環奈の星泉も観なくてはいけないでしょう…ということで、劇場に行ってきた。今回の作品は前3作とは異なり、その後を描いたものである。それでも、シリーズとなる最初『セーラー服と機関銃』はあまりにもインパクトが強く、30年経って第2作が映像化されたと言っても、ほぼリメイクに近い状態で公開されているのであろうと期待を全くしていなかった。もちろん、原作の『セーラー服と機関銃・その後 ―卒業―』を読了してても…である。

結論から言おう。「観に行ってよかった」の一言である。間違いなく橋本環奈の星泉であり、その後の『セーラー服と機関銃』であった。何よりも橋本環奈を取り巻く俳優陣が際物ぞろいで(とりわけ、安井役の安藤政信には注目である)、かつての薬師丸ひろ子がそうであったように、橋本環奈を橋本環奈の星泉として成長させていることが手に取るように分かる。アイドルとしての顔が拭えないシーンから一転、星泉の顔に変わる瞬間は思わず同性でしかも、彼女の母親の年齢の私ですらドキッとさせられる。そして、構成にも迫力がある。銃撃シーンには正直ど肝を抜かれた。気が付くと奥歯をかみしめ、息を殺してスクリーンを見つめている自分がいる。PG-12指定になっているはずである。あくまでも小説という枠の設定であるのに、現実のように容赦ないエンディングを迎え、それでもわずか一分だけの救い。最後まで目が離せなくなる。

そして、現代社会への警告。若者のドラックの問題。地方の過疎化。なぜ、今この作品を映画化したのか。なぜ、星泉に再び機関銃を持たせたのか。ただ、角川映画40周年記念作品だからではないであろう。そこに監督やスタッフの、大人としての責任を感じ取ることができる。なぜなら、星泉と敵対する相手の台詞が実は的を射ているからである。それでも機関銃を星泉に放たせるこの作品は、今の日本の本質をついているようにも思える。

実際劇場に足を運んで分かったが、観客は「天使すぎるアイドル」橋本環奈目当てのファンは案外少なかった。それよりも丁度私と同じ世代の親子や私と同世代同士というのが多かったように思われる。それを狙ってか、誰もが知っている『セーラー服と機関銃』及び、1980年代栄光を飾った角川映画へのオマージュがそこには盛り込まれており、それを探すのも、この作品の楽しみ方の一つでもある。それに幾つ気が付くかは観てのお楽しみである。

尚、今年1月、シリーズ3弾目となる『セーラー服と機関銃 ―疾走―』が出版された。こちらは、星泉と娘、叶の物語である。機関銃を放った泉が娘に何を語るのか。そして叶は何を母から受け継ぐのか。現在未読の状態でこの作品が手元にある。これからページを開くのが、楽しみである。そして、30年後。この作品が映像化され、3世代が揃って劇場へ足を運んでいることを期待している。 
           文責 木村綾子
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