京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート 『最貧困女子』

2015年01月16日 | KIMURAの読書ノート
『最貧困女子』

鈴木大介 著 幻冬舎 2014年9月30日

刊行されて以来、ここまで様々な媒体で取り上げられた(いや、現在も進行形だが)本はなかなかないのではないだろうか。

『最貧困女子』。タイトルから衝撃的である。更に帯には「誰も助けてくれない、ゴミ屑扱いされる女性たち」を筆頭に、「初めての売春は小学5年生。『身体が売れなくなったときが死ぬときだ』と言う身体中に虐待の傷跡がある16歳少女」、「街娼する母親のもとに生まれたが、いまは売春で得た金で母と弟たちを養っていると誇らしげに語る中学3年生」など、すでに目も当てられないほどの赤裸々な様子が並び立てられている。

実際に、ページをめくると帯以上の異常事態とも言える事例が押し寄せており、これが日本で起きていることなのか半信半疑の読者もおそらくいるのではないだろうか。いや、半信半疑ならまだいい。もしかしたら、著者の創作ではないのかと疑ってかかっている人もいるだろう。しかし、都心部夜間ファストフード店の前、大きな公園で茫然と佇んでいたり、座り込んでいる10~20代の女の子を見かけたことはないだろうか。その子たちの背後がまさにこれだと想像すれば、決して本書がフィクションではないと納得できるだろう。また、タイトルは「女子」となっているが、取材中心は先にも触れているように、10~20代であり、その取材を通して見える貧困状況はその時だけのものでなく、彼女たちが小学生前から起こっている出来事である。つまり「女子」というよりは「少女」もしくは「女の子」であることを念頭にいれてほしい。まだ、多くが大人の庇護を受けなければならない子どもたちなのである。その子どもたちに起こっている身の上は、著者も本書で指摘しているのだが「自己責任」では全く片付けることができない。なぜ、彼女たちがこのような行動に出なければならなかったのか。いや、著者がなぜここまで過酷な現状を声を大にして訴えているのか、そして各種媒体が揃って取り上げているのか、子どもたちを守るべき大人はまずここから現状を見極める必要があるだろう。

各種媒体は主に本書に綴られている取材を通して分かった女の子たちの悲惨な現状を紹介しているものが多い。なので、ここであえてそれを紹介するまでもない。それよりは、第五章「彼女らの求めるもの」をここでは取り上げる。悲惨な状況下で取材者である筆者に彼女たちが訴えたことを基に、本当に必要なセーフティーネットというのを本章では記されている。その例の一つとして、まず「安全、安心な学童保育」というのがあった。今の学童保育は、かなり管理されたもので、しかも午後6時には終わってしまう。彼女たちは深夜、もしくは日曜日虐待を受けた足で逃げるように家を出た先にむかったのは、学童保育だと言っている。しかしそこは当然のように閉まっていて……。更に年齢が上になり、家を逃げ出してきた少女は体を休めるところがなく、ネットカフェやファミリーレストランを転々とする。今の日本ではDVで駆け込むシェルターはあっても、子どもたちのみが駆け込むシェルターはあまりない。著者は言う「何も管理されず、指示されず、ただ彼女たちが安心して眠れる場所の確保が急務」と。他にもセックスワークをあえて社会化するという暴挙だとも思われるような制度も提案している。しかし、それはまさに取材をし、彼女たちを、現実をいやになるほど見てきた著者にしか分からないものである。まずはそれを非難する前に、このような実態を少しでも可視化してくれた本書に敬意を表し、その上で現状の把握を誰もがするべきである。日本は本当に貧困化に置かれているのだということを。その一考を与えてくれる痩身のルポタージュである。  (木村綾子)
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