なんてまじめなんだろう。一言でこの本の感想を述べればそうなる。彼の場合、自ら探検して、自らそのルポを書く。だから、書くネタのために、ちょっとおもしろい行動をとりさえすれば、それは事実として書けるわけだ。つまり、やろうと思えばいくらでも演出可能ということ。極論すれば、いくらでもヤラセ可能になる。だから彼は、どこに線引きをすべきか悩む。それを正直に書いてしまっていて、ああそうなのかと思う一方で、何もそこまで読者に暴露しなくてもと思ってしまう。そんなこといったら、栗ちゃんはどうなるんだ?とも思うしね。
東日本大震災が起きたときの心情の吐露も、正直すぎて、まじめなんだと驚く。日本で大変なことが起きているが、今の北極探検を中断してまで、日本に帰るべきなのか否かと彼の心は揺れる。でも資金もだいぶ使っているし。自分の今やるべきことは何だろうと考えると、これまた彼は深く悩むことになる。結局は、うしろめたさを感じながらも、震災のことを頭の片隅に追いやろうと努めることになる。あまりにも赤裸々に心の葛藤を書いてしまっている。
こういう人は、応援したくなるよね。
この本の冒頭に出てくる合コンの話もお悩みの話だ。彼の名刺に入っている肩書きは、「ノンフィクション作家・探検家」。まず、その肩書きに女の子たちは興味津々になる。当然どんなことをしているか聞かれるわけだが、よせばいいのに自分の中でいちばん重い体験をおもしろおかしく語ってしまう。チベットのツァンポー渓谷で死にかけたとか、雪崩に3回もあって死にかけたとか。女の子たちは目を輝かせて聞いていたのだろうけど、この人だけは彼氏にしたくないと、徐々に引いていく。本人はそれに気づかず、盛り上がっていたというエピソードは、笑ってしまった。本人にとっては、継続中の深刻な問題だろうけど。
この本は、まさにタイトルどおり、まじめさゆえに陥った彼の憂鬱が詰まっている1冊だ。
参考:
空白の五マイルhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20110521
雪男は向こうからやってきたhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20120303
栗城史多オン・ステージhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20110213
探検家、36歳の憂鬱 | |
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