39ギター

35年ぶりに弾き始めたクラシックギター
神経痛と戦いながら
どこまでバッハに迫れるか
蝶も花もアーチェリーもあるよ

酒など飲んでられない

2011-02-23 08:53:10 | 雑談

おはようございます。

やっと、いつもの一日に戻りました。

目ざまし時計に起こされることなく自然に目が覚めると気分が晴れ晴れとして体が軽く感じられます。

今朝はさっそく車を車検に出しました。

普段はほとんど乗らないのですが、今回のような入退院・介護・祭儀などそんな時には自家用車でないと何かと不便ですよね。

月曜日の夜は1時間ほど、昨日は2時間ほどギターを弾きました。

しばらく弦を緩めたままにしていたので久しぶりに調弦して弾いてみると新しい弦のようになって気持ちよく弾けました。

それにお酒を飲んでないので指が前よりよく動くし確実に動いています。

お酒はやめます。

今まではいつ電話がかかって呼び出されるかもしれないという状態にもかかわらず飲んでいたんですが、そんな心配がなくなると逆に飲まなくなる天邪鬼なんでしょうねぇ・・・

今日、たぶんiMacが届きます。

趣味がいろいろとあると時間配分に困ります。

1年以上疎遠になっているアーチェリーも今度の日曜日から復活しようと思います。

ギター・Mac・アーチェリーこの3つをバランスよくこなすには酒など飲んでられない、と言うことです。

人の死に直面するとなぜか自分の生き方が変わってくるように思えます。

すぐに変わらなくても見直す・外から自分を見る、そんなこんなで無意識のうちに少しずつ変わっていくように思えます。


家族葬の段取りは想定外の困難であった

2011-02-22 15:37:15 | 雑談

初七日の法事を終えて帰ってきた。

これで一連の儀式は終了した。

明日から、元の生活に戻らなければいけないが、ここのところ規則正しい生活とは言えなかったのでいまもなんだかだるい。

義父はなくなる前にまだ自分で動けるときに葬祭会社で「家族葬」の予約をしてきたということで娘(私の家内)に伝えてあった。

その義父がな亡くなってじゃあ、故人の遺志だからと言うことで家族葬の準備を進めたのであるが、家族葬と言う言葉のイメージから受ける親族だけの質素で暖かい葬儀はほぼ実現したものの、いろいろと問題があった。

一つは、費用の問題で、義父は自分が払い込んだお金で家族葬が完全に行えると思っていたらしいのであるが、振り込んだのは30万円程度でそれではまったく葬儀にならず結局100万円近い追加料金が発生した。

冠婚葬祭互助会と言うのは費用の一部を積み立てて預託しておくだけ、その時が来たら多少の割引はあるもののそのうわに何倍もの費用が発生するものだということを契約者にはっきり伝えてあるのだろうか。

まあ、年寄りはこれで安心して死ねるので、まあいいが・・・

二つめは、家族葬は親族だけで行うということになるので人を選ばなければならない。

まず、血のつながりのあるものが優先でその他の人は遠慮してもらうことになる。

これが一番大変なことで、とりあえず死んだということで訃報は伝えても親族だけでやるので遠慮してほしいというと、「そうは言ってもねぇ」と言うことですったもんだとなる。

家族葬の会場は小さく20~30人程度しか入れない、献花や供物なども置けないのでお断りする。

喪主の長男はある会社の部長級で、そうなると会社関係のお断りをするだけで大変な苦労をしているようであった。

私は義父と言うことで、会社関係などは簡単に抑えることができたが、私の母や兄弟をどうするかについては多少もめた。

第一報で「とりあえず親族だけなので遠慮してもらって」といったら、それが大変な不満らしく最終的には母だけは参列させようと思っていたのだが、そのまえに姉から散々怒られた。

「あんたはお母さんをもっと大事にしなさい」とか「あんたは〇〇家としてそれでいいと思っているの」とかさんざん言われて最後には泣き出す始末。

確かに解る。解るがもう進んでいる話なので母だけは何とかするからということで、なんとか納めてもらった。

三つ目は、前の二つと関係するが親族だけに限定したので香典がほとんど集まらず、ふつうは葬式費用は香典でほぼトントンというイメージでいたのが、かなりの持ち出しであったこと。

と言うことで、まぁ家族葬と言うのは言葉から受けるイメージ通り「質素で暖かい」ものにはなったが、段取りが大変だということが分かった。

今回、結婚式と葬式を立て続けに行ったわけだが、結婚式は人を招待するのでその数に応じた準備ができて最終的にはトントンで終わったが、葬式のほうは本来「来るものを拒まない」ものを親族だけに限定したので準備調整にさんざん苦労しおまけに収支も大幅な持ち出しとなってしまった。

まあこれも故人の遺志として精一杯お努めさせてもらったが、私が死ぬときには「家族葬だけは絶対にするな。できるだけ多くの人に知らせて、式場の扉は全開にしておけ。葬儀はできるだけ質素にして、香典をなるべく残してお前のこれからの生活費の足しにしろ。」と家内に言い残すことにしよう。


アイデンティティーは社会で生きている自分の不変性

2011-02-21 22:38:09 | 雑談

怒涛の10日間があっという間に過ぎ、少しずつ落ち着いてきた。

死は悲しいものであるがその悲しさは、人間が死んだということよりも人間の命のはかなさや肉体のもろさを感じ、生きていることの奇跡的な素晴らしさに由来する。

死んだ肉体を目の前にして人間は生きている間に「何」をするべきなんだろうと感じる。

今まで自分がやってきたこと、今やっていること、まだやってないこと、これからやりたいと思うこと、すべてがこの「何」に通じる。

今日、Apple Online StoreでiMacを注文した。

こんな時にどうして?

何かをやりたいから、何か新しいことをやりたいから、その中で自分らしさを表現したいから。

僕の今のアイデンティティーは「還暦プログラマー」

アイデンティティーは自己証明・アイデンティティーを失うことは自己喪失・アイデンティティーは社会で生きている自分の不変性

来年還暦を迎えるが、さらに新しいプログラミングスタイルを身に着けさらに自分に磨きをかけたい、死んだら何にもならない。

たとえ、努力が報われることがなくてもやり続けることが生きていること。

そんな気がする。

先日結婚式を挙げたばかりの長男に義父(長男の祖父)の死を通じて「人生」などと言う重たい言葉を使っていろいろと話をしてみた。

20代の若者には「人生」などと言う重たい言葉はピンと来ない。

僕ぐらいの歳になると、「今までの人生」とか「残りの人生」と言う言葉ばかりで希望にあふれた「人生」と言う言葉は出てこない。

残りの人生にラストスパートをかけてみよう、そう思った。


怒涛の10日間でした

2011-02-21 09:08:50 | 雑談

おはようございます。

快晴の朝です。

怒涛の10日間が過ぎて、そろそろ元の自分の生活に戻ろうとしています。

そろそろブログも再開しなくてはと思いつつも、なかなか手が付きません。

明日が初七日になるのでそれを境目に完全にいつものペースを取り戻そうと思っています。

今回は故人の遺志で、家族葬という形式で行いましたが、少し大変でした。

やっぱり普通がいいですね。