39ギター

35年ぶりに弾き始めたクラシックギター
神経痛と戦いながら
どこまでバッハに迫れるか
蝶も花もアーチェリーもあるよ

哲学者気取りの変なおじさんでした

2016-12-19 22:30:09 | 日記

こんばんは

一日中いい天気でしたが、一歩も外に出ることなく寒い部屋で仕事をしていました

あ〜なんという人生だろうか・・・

と思いつつ、実は今の仕事は自分に一番合っていると思っている

嫌なこともたくさんあるけど、一番いいのは人に会わなくて済むというところ

メールでくる仕様書に合わせて、コンピューターにいうことを聞かせるということで

思いの通りにコンピューターが反応してくれた時には嬉しくなる

 

何かちょっと問題があるのだがどうしても原因がわからない

そんな時に何時間もかけて原因を突き止めて

やっとわかった時には大きなプログラムを書き終えた時と同じような満足感がある

結局満足感なんですね・・・

 

ギターも同じ満足感を求めている

どんなに難しい曲も少しずつ楽譜と格闘して運指を指に覚えこませていると

いつのまにか指が勝手に動き出す

音出しは指に任せてその音を聴き曲想を作り出す

そんな時に一番満足感を感じる

決してうまくない

人に聴かせられるというレベルでは決してない

が、要するに自己満足だ

 

マズローの欲求5段階説というのがある

第一階層は生理的欲求

第二階層は安全欲求

第三階層は社会的欲求

第四階層は尊厳欲求

第五段階は自己実現欲求

うん、確かにそうかもなぁ、と思う

今の自分はどの辺りだろうか

食べたい・飲みたい・寝たいといった生理的欲求はもう満たされている

もう住宅ローンも終わり安全な住処を手に入れた(地震などが少し怖いが)

社会の一員として集団に属しある程度の仲間もいる

60歳も過ぎればそろそろ他者からは少しは認められて、おそらく家族からは少しは尊敬されているだろう

ということはもう自己実現の領域に入ってきているのかな?・・・

自分が自分らしくあればそれでいいのかもしれない

う〜ん、そこまで悟ってしまうと

あとは死ぬだけかもしれないなぁ

 

「武士道とは死ぬことと見つけたり」ではないのですが

人間というのは「死」によって「生」が完成するのかもしれませんね

だから生きているうちに「どう生きたか」が大切なんでしょう

武士は死に方が大切だったんですが、人間の本質はどう生きたかが大切なんでしょうね

 

突然、話が変な方向に進んでしまいました

話題を考えながらキーボードを打っているとだんだんとんでもない方に進んでしまう

哲学者気取りの変なおじさんでした・・・


テレマンの曲はのんびり聴けて、いいですねぇ

オーボエとかブロックフレーテとかビオラ・ダ・ガンバとか古楽器による演奏はこの時間に聴くのにちょうどいい


まだ少し早いけど、oyasumi zzzz