いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

子供の頃を彷彿とさせる道

2009-06-12 07:28:02 | Weblog
                     《旧・鹿島街道の中心だった農協付近》

 幼い頃に覚えたことや思い出は、その良し悪しは別にして、いつまでも強烈に残っています。
 一見、何の変哲もない現在の写真を手にして、ジッと見つめていると次第に見えない風景や建物がその中に重複して表れてくるものです。

 舗装のされていない砂利道をバスが砂埃を上げてきます。
 床屋の先が「農協前」というバス停で、名前の通り鹿島農協があって村全体の農作物や肥料を一手に取り扱っていました。
 稲刈り時が過ぎて供出米が運び込まれる頃を迎えると、この界隈は一気に賑わいました。

 私は、農協倉庫の前にあるプラタナスの枯れた大きな古木の枝に登って、父親の帰りをいつも待っていました。
 父は国鉄(現・JR)の小荷物室に務めていたので新聞屋さんや、映写技師さんたちと懇意になるらしく新聞と映画招待券には不自由しなかったのです。
 新聞は何故か「河北新報」が定番で、そこに一般紙と磐城の地元紙が無差別に混じっていました。
 今思うと家で待っていても同じことなのに子供心からして、きっと待ちきれなかったのでしょうね。

 昭和30年前後といえばまだ活字に飢えていた時代でしたし、その頃、子供が毎週映画を観ることが出来るということは贅沢だったと思います。
 ナンシー梅木の「さよなら」、早川雪洲の「戦場に架ける橋」、パスカルオードレの「河は呼んでる」、ピェトロジェルミの「鉄道員」等など、映画は私を別世界へ連れて行ってくれる招待券そのものでした。

 この裏道(旧、鹿島街道)を通ると今にもボンネットバスが現れて、私を載せて平まで行ってくれるような錯覚を起こさせます。


     本日の催し物  6月12日(金)
          ◆やさしい古典パートⅢ小倉百人一首  10:00~
             於・鹿島公民館
          
 
 
 

 
 
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エブリア広場は観察の場

2009-06-10 07:31:32 | Weblog
             人間模様が窺い知れるエブリア広場

 鹿島ショッピングセンター・エブリアは、平~小名浜間のほぼ中心に位置しており、地域住民の生活上の拠点にもなっています。

              鹿島ショッピングセンター エブリア  
              いわき市鹿島町米田字日渡5 ℡0246-46-0100

     営業時間 10:00~21:00

 エブリアの開業は平成7年(1995)10月26日で、大型スーパー・ダイエーとともにスタートしました。
 店舗内には100を数える市内の商業が集まり「生活バラエティ&コミニティ」をキャッチフレーズに、知名度と集客力の向上を図っています。

 平成17年11月、ダイエー鹿島店は撤退しましたが翌年4月21日には、ヨークベニマルエブリア店が営業を始めました。

 当時のエピソードを一つ。
 横浜に住む私の友人が3年振りに、いわきに遊びに来るというので家で待っていたのですが約束の時間が過ぎてもさっぱり来る気配がありません。
 その内、電話が入り「似たような場所には何度も通過するのだが目安としているダイエーの看板が見つからない」ということでパニックになっていたのでした。
 
 このようなことは冷静さに欠ける私も例外ではなく、会ってから二人で大笑いをしました。

 エブリア1Fの北口(又は南口)通路を進んでいくと中間辺りに広場(フロア)があり、ここでは時折イベントなども行われますが普段は休憩所のような役割を果たしているところです。
 私は、この空間が大好きでワンカップに笹かまなどを手にして、癒しの時間と暫し遊ぶことが月に何度もあります。
 人の表情や会話、そして動作や目の前を行き交う人たちの生活環境の推理などをしていると飽きることがなく、今更ながら勉強になることが多いのです。     



  本日の催し  6月10日(水)
🔹市民講座「初心者のためのつるし雛講座」 10:00~   鹿島公民館


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金峰山円福寺(上矢田)

2009-06-09 07:26:18 | Weblog
               鹿島街道から見た円福寺
    金峰山圓福寺
 宗派 曹洞宗
     常磐上矢田町寺ノ作41

 本尊 上品(じょうぼん)阿弥陀如来坐像(木造寄木造)恵心僧都作
 創立 天文23年
 檀家 常磐上矢田町、鹿島町下矢田、平、小名浜、その他近隣170世帯

 「円福寺」と名の付く寺は、いわき市内に三ヶ所あり本寺の他に四ツ倉、遠野にもあります。
 
 金峰山円福寺は、上矢田町の小高い場所にあり鹿島街道からよく見えます。

 現在の、いわき地方を支配していた岩城氏は大舘城を大本家として、およそ四十八舘を置き、その一つに中山舘(現・中央台飯野)がありました。
 文明時代、中山領主に嗣子がなかったため大本家、岩城下総守常隆の二男を養子として迎え、中山讃岐守隆吉と名乗らせました。
 その後、隆吉は三春常盤の城を攻め落としますが、不運にも帰陣の際に流れ矢を胸に受けて落命しました。
 
 隆吉の跡目を継いだ隆朝(右衛門大夫)は、磐城大本家の菩提所である上荒川龍門寺大和尚の勧めで、天文23年甲寅年(1554)居城を上矢田に移し、菩提所「大中山円福寺」もまた上矢田の金ケ峯へ移して伽藍を建立し、隆吉の守り本尊であった十一面観世音を安置し、山号を金峯山と改めました。

 隆吉の隻袖(せきしゅ※夫人)は深く夫君の亡跡を弔うため、円福寺の僧に追福を乞うたという記録があります。


 本日の催し  6月9日(火)
     市民講座「旬を楽しむ折り紙プラザ」 10:00~   於・鹿島公民館 



     

 
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愁傷の中の旅路

2009-06-08 07:30:32 | Weblog
                      《球磨川の清流下り》

 九州に長居してきました。
 人吉に行ったのは1年間だけでも3回を数えますが、何度行っても私を飽きさせない不思議な魅力を感じさせます。  そこには人情、景観、歴史、住み心地、地酒(焼酎)などが充満しているからでしょう。
 
 今回は、兄妹の内の一人を欠いて、虚脱感を心の奥底に抱きながらも、残った者がいつまでも感傷に耽っていては駄目だと思い直して、この機会に皆が更に仲良く、協力し合っていくことを誓い合う場にしました。

 人吉は、熊本から肥薩線の九州横断特急に乗って約1時間30分のところにあり、その途中険しい山間を球磨川が流れ、その両側を国道と線路が挟み込むようにして走っています。

 こんな山奥に入って行って一体、町があるものだろうかと不安になるくらいの場所を、列車は乗客を乗せて自信有り気に先導していきます。
 やがて盆地が広がり、街並みが開けて四季の風情を体感できる人吉に辿り着きます。

 6月1日はアユの解禁日で全国各地から太公望が集結して川面には早朝から、しなやかに揺れる竹竿が朝陽に当たって輝いているのを見かけました。
 知る人ぞ知るアユ釣りの名所で、20~30センチ級のアユが釣れる時もあるそうです。

 肥薩線には川線(日本三大急流の一つ、球磨川沿線)と山線(日本三大車窓とループ線・峠越えのスイッチバック)があり、今年の4月からはSL(蒸気機関車)の運行が復活しました。

 人吉駅の近くには昨年(平成20年)に、熊本県では初めて国宝に指定された「青井阿蘇神社」があります。
 気持ちが落ち着いたら、真の「旅」を目的に又、訊ねたいと思っています。 

   ※球磨川下りには清流コースと急流コースがあります。


     本日の催し  6月8日(月)
        鹿島ダンス愛好会 19:00~    於・鹿島公民館


    

  
 
 
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街道とバイパスの分岐道

2009-06-01 07:16:31 | Weblog
                《上矢田町山ノ神前の鹿島街道が二股になる交差点》

 小名浜から車で平方面に向かって来ると、この上矢田地区の信号で道は二つに分かれます。
 直進すると、郷ケ丘~平工高~龍門寺~月見町~平消防署統合庁舎に出ます。
 左折してスグに右よりの道に進むと、福島高専~上荒川~競輪場~最終的にはJRいわき駅前に突き当たります。
 直角に左折したまま坂道を上ると若葉台団地に入ります。

 昭和40年代までは歩道になっている部分が旧・鹿島街道で、上荒川経由で平市街へ行く道でした。
 この先、高専あたりまでは旧道を拡張しての使用なので、道そのものに余り変化はありません。

 写真の近辺は、かつては辺鄙な場所で中村畳店の看板がある所に畳工場が一軒あるだけでした。
 いまでも建物は残っていますが、あとは田圃で右の広い道路は全体が山でした。

 この先に昔、追い剥ぎが出たといわれる、くうじ山(軍事山)があります。


  お知らせとお詫び

 いつも御訪問戴きまして有難うございます。
 この度、九州に在住しておりました実妹に不幸がありまして、只今から約半月ほどブログを休ませて頂くことになりました。
 誠に勝手では御座いますがお許しを願います。
 
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