《鹿島街道から見た円福寺》
金峰山圓福寺
宗派 曹洞宗
常磐上矢田町寺ノ作41
本尊 上品(じょうぼん)阿弥陀如来坐像(木造寄木造)恵心僧都作
創立 天文23年
檀家 常磐上矢田町、鹿島町下矢田、平、小名浜、その他近隣170世帯
「円福寺」と名の付く寺は、いわき市内に三ヶ所あり本寺の他に四ツ倉、遠野にもあります。
金峰山円福寺は、上矢田町の小高い場所にあり鹿島街道からよく見えます。
現在の、いわき地方を支配していた岩城氏は大舘城を大本家として、およそ四十八舘を置き、その一つに中山舘(現・中央台飯野)がありました。
文明時代、中山領主に嗣子がなかったため大本家、岩城下総守常隆の二男を養子として迎え、中山讃岐守隆吉と名乗らせました。
その後、隆吉は三春常盤の城を攻め落としますが、不運にも帰陣の際に流れ矢を胸に受けて落命しました。
隆吉の跡目を継いだ隆朝(右衛門大夫)は、磐城大本家の菩提所である上荒川龍門寺大和尚の勧めで、天文23年甲寅年(1554)居城を上矢田に移し、菩提所「大中山円福寺」もまた上矢田の金ケ峯へ移して伽藍を建立し、隆吉の守り本尊であった十一面観世音を安置し、山号を金峯山と改めました。
隆吉の隻袖(せきしゅ※夫人)は深く夫君の亡跡を弔うため、円福寺の僧に追福を乞うたという記録があります。
本日の催し 6月9日(火)
市民講座「旬を楽しむ折り紙プラザ」 10:00~ 於・鹿島公民館
金峰山圓福寺
宗派 曹洞宗
常磐上矢田町寺ノ作41
本尊 上品(じょうぼん)阿弥陀如来坐像(木造寄木造)恵心僧都作
創立 天文23年
檀家 常磐上矢田町、鹿島町下矢田、平、小名浜、その他近隣170世帯
「円福寺」と名の付く寺は、いわき市内に三ヶ所あり本寺の他に四ツ倉、遠野にもあります。
金峰山円福寺は、上矢田町の小高い場所にあり鹿島街道からよく見えます。
現在の、いわき地方を支配していた岩城氏は大舘城を大本家として、およそ四十八舘を置き、その一つに中山舘(現・中央台飯野)がありました。
文明時代、中山領主に嗣子がなかったため大本家、岩城下総守常隆の二男を養子として迎え、中山讃岐守隆吉と名乗らせました。
その後、隆吉は三春常盤の城を攻め落としますが、不運にも帰陣の際に流れ矢を胸に受けて落命しました。
隆吉の跡目を継いだ隆朝(右衛門大夫)は、磐城大本家の菩提所である上荒川龍門寺大和尚の勧めで、天文23年甲寅年(1554)居城を上矢田に移し、菩提所「大中山円福寺」もまた上矢田の金ケ峯へ移して伽藍を建立し、隆吉の守り本尊であった十一面観世音を安置し、山号を金峯山と改めました。
隆吉の隻袖(せきしゅ※夫人)は深く夫君の亡跡を弔うため、円福寺の僧に追福を乞うたという記録があります。
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市民講座「旬を楽しむ折り紙プラザ」 10:00~ 於・鹿島公民館