いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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鹿島小学校の沿革

2019-06-05 06:02:12 | Weblog

                           分類:学

校  名 : いわき市立鹿島小学校
所在地  : いわき市鹿島町走熊字                                        
☎ 0246 29 2052
 
    明治6年、金光寺(久保)の啓蒙小学校が始まり
 明治時代の『鹿島小学校』は12村に3つあり、校名も場所も目まぐるしいほど変わった。
 明治6年6月、鹿島町久保(当時は久保村)の金光寺を借り受けて久保、米田、上・下蔵持の生徒男14名、女2名の総計16名を抱え、啓蒙小学校を開校した。
 その後、久保小学校、下蔵持小学校、蔵持小学校、と改称されたが、明治13年に火災によって焼失してしまった。成徳小学校(後の矢田小学校)は、明治6年に上矢田村神宮寺に開校し明治7年、下矢田村の真浄院に移転し矢田小学校に改称され、ここに米田、走熊など全部で6ケ村の児童が通うようになった。
 御代、船戸の両村は住吉村(現・小名浜住吉)の鉄心小学(旧・住吉小)へ通学した。

            《昭和56年に完成した現在の鹿島小学校》

 明治14年、矢田小は下矢田村字細作の新校舎に移転し、明治16年、蔵持小は以前の校地に校舎を新築、移転している。同年、行政区の改正に伴い学区も改正され、、走熊・御代・船戸村は共に蔵持小の学区になったが、矢田小や住吉小に通う生徒もいた。
 明治20年4月~同22年4月の間は授業料を徴収されない簡易小学校になったが、その後、下矢田、蔵持の両簡易小学校を共に尋常小学校と改めた。
  
          《昭和20年頃の鹿島小学校・左端に奉安殿が見える》

 昭和10年5月10日、走熊字中島(※現在、鹿島小学校がある場所)に木造平屋建て瓦葺きの小学校が完成した。耕地面積が11,500平方メートル、予算1万1,900円で、校舎面積860平方メートル(260坪)だった。
しかし、経費節約のために矢田、蔵持両校の解体材料が多く使用されたという記録がある。
 現在の鹿島小学校は、鉄筋コンクリート3階建てだが完成したのは昭和54年。


         
①《小学校発祥の地碑(久保)》   ②《小学校発祥の地碑(上矢田)》  ③《上に蔵持小学校があった坂道》


  ①久保の金光寺境内にあり、説明版が付いている。
  ② 上矢田の鹿島神社上り口の鳥居脇にある。
  ③ 江名⇔湯本線(県道48号線)の七本松信号(角がファミリーマート)の近くにある。

 ▲ 小さい写真を拡大して見るには、ポインターを写真の上に置きクリックして下さい。

 ◎ 昭和23年に、校庭内に新制中学の『鹿島中学校』が併設されたが、昭和44年4月には小名浜1 中、平3中に統合されたために、21年の歴史を以って閉校になった。従って、鹿島町には中学校 は存在しない。

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