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桐箱入り、表解付きで見つかる
昨日(5日)は 「鹿島小学校の沿革」 を紹介したが、その中で旧校舎の写真説明で 「左端に奉安殿が見える」 と書いた。
偶然とはあるもので、その後で家の中に分散している諸々の写真を寄せ集めて整理していたら煤けた桐箱が出てきた=写真下。
箱の表書きは煤けていて解読不明(おそらく「教育勅語」と記してあるのだろう)なので蓋を開けてみると、教育勅語(きょういくちょくご)そのものが入っていた=写真上。以前に見た記憶はあるが、すっかり忘れていたのだった。
小学校・奉安殿・教育勅語。 特別の関連性があるので書いてみた。
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《明治22年10月30日の日付がある教育勅語》
教育勅語の用紙はA3の大きさで、黄色く変色して色褪せたこの紙を、昭和10年代初期生まれの人たちまでは両手で握って真っ直ぐに手を伸ばし学校で読まされていたに違いない。
私のように終戦間際生まれの者には無縁だったが、この紙をジッと見ていたら当時の世相が何となく思い浮かんできた。
教育勅語に添えてあるA4タイプの紙には 教育勅語煥発四十周年記念教育勅語表解石城郡小学校長協議会発行 とあり、福島県石城郡鹿島尋常高等小学校の押印がある。
裏面は文字通り、表解で「朕(※天皇陛下が)惟(おも)フニ我が皇祖皇宗(わが御先祖が)…… 」というように、全文を事細かに解説している。
文面は当然のことながら旧漢字が使用されていて、例えば、國・濟・亦・實・儉・發などが出てくるが、当時の小学生はこれら355文字の教育勅語全文を暗記させられたとも言うのだから只々、感心するばかりだ。、、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/06/6ec796f76726fa61e546032cc21b1739.jpg)
《教育勅語が入っていた桐箱と表解》
【奉安殿と教育勅語の関連】
奉安殿は、第二次大戦前・戦中に建てられたもので、学校に下賜された『御真影』や『教育勅語』など、勅語類を安置するため、特別に設けられた。
管理の不行き届きは学校長などの重大な責任問題とされていて、学校が火事に遭い『御真影』を守って焼死する校長などが全国的に相次いだ時もあった。
生徒は朝登校してきて校門に入った際に、先ず奉安殿に向かって拝礼することが決まりになっていたが、「これを怠ると近くで監視していた教師に厳しく叱責され、あるいはビンタを食らった」と、私より5,6歳先輩の人から聞いたことがある。
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