いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
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鹿島小学校の今昔

2018-06-15 06:40:31 | Weblog
                             分類:観                          鹿島町を見て歩こう (100)        
                    いわき市立鹿島小学校
                    いわき市鹿島町走熊字中島1 
                    ☎ 0246-29-2052

                                      
   現在の校舎は尋常小学校が3校統合して移転した場所                     鹿島小学校が久保、矢田、蔵持の尋常小学校の統合により、現在の地に移転したのは昭和10年(1935)5月10日になっています。                                                    11,500平方メートルの校庭面積に予算1万1、900円で、木造平屋建て瓦葺きの校舎(坪数260坪・860平方メートル)ができました=写真下。                                       しかし、経費の節約のために矢田、蔵持両校の解体材料が多く使用されたようです。                                                         
       《昭和20年代の校舎で校門前は田圃。左端にあるのは奉安殿》
                 
 古老の話によれば、登校時の朝、校門内に入る時には必ず左の奉安殿に向かって一礼しないと、先生からきついお咎(とが)めがあったそうです。                                                      この奉安殿は戦前の日本に於いて、天皇と皇后の御真影と教育勅語を納めていた建物で、小学校の奉安殿建設は昭和10年頃から全国で活発化していったものです。            
 昭和23年(1948)4月に同、校庭内に新制中学の「鹿島中学校」が併設されましたが、昭和44年(1969)に小名浜1中、平三中に統合されたため、21年の歴史を以って幕を閉じました。                                           これによって、鹿島町には中学校は存在しません。
                                《同じ位置から見た現在の校舎。昭和54年から1,2,3期工事を進めて同56年完成した》 
                
  昭和42年(1967)頃から木造校舎改築の動きが高まり、その後10年間の歳月を経て校舎は鉄筋コンクリート3階建てに生まれ変わりました。                                                新校舎は既存の校舎跡に建設するために、図書室を教室にしたり、理科音楽室を移動したり、玄関を仕切って教職員室にしたり、1年間に何回も教室の移動を余儀なくされて、先生も生徒も大変苦労されたようです。                                                                        
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