分類:観
鹿島町を見て歩こう(82)
いわき市鹿島町全域 鹿島は四方がトンネルに囲まれていた 平から小名浜に通ずる道には、平側に 「軍事山」 (くうじやま)、小名浜側に 「御代坂」 があって、双方共に急勾配で洞門(トンネル)があったので山越えには難儀したようです。 現在でも山の呼び名と坂は存在しますが、坂の高さと道幅は当時とは比較になりません。 平、小名浜間は位置的に南北で、東西にも三沢(湯本との境)と、上蔵持(江名との境)に坂と洞門があって阻まれていました。
《平に向かって行く坂道だがこの先に難所とされる軍事山洞門があった》
上の写真で右寄りに複数の建物が見えますが、あの辺りが郷ケ丘の信号で通称、軍事山(くうじやま)と呼ばれる所です。 かつては、頂上が更に高い場所にあって約50mの洞門を利用して山越えをした道で、切り割り道路にしたのは明治32年から33年に掛けてのことでした。 四方が山と洞門に包囲されていた鹿島村(当時)は地形的にいうと、すり鉢型の真ん中にあるようなもので、その中に12の部落がありました。 《切り通しになった御代坂だが、もっと高台にトンネルがあった》
御代と岡小名の境(昔の鹿島村と小名浜村の村境)にある御代坂は、現在の道路の位置とは異なり、山の頂上近くに洞門がありました。 2m前後の高さに山をくり抜いて、長さにして100m位の土壁の洞門で、急勾配だったために度々、洞門内は落土して通行不能になったと言われています。 《この先に江名口トンネルが現存するが、ここにも1つトンネルがあった》 鹿島から江名へ行くには2つのトンネルがありましたが、そのうちの1つが切り割り道路(写真)になり姿を消しましたが、この先(江名寄り)にもう1つあるトンネルはまだ残っています。
《湯本へ抜ける三沢トンネルだが、昔は人が通るのがやっとだった》
江名港⇔湯本線(県道48号)を湯本方面へ向かうと常磐鹿島工業団地が見えてくるが、その手前の信号を右折して進んでいくとトンネルが出てきます。 トンネルを抜けると、かつて栄えた常磐炭礦鹿島礦(水野谷礦)跡と、湯本自動車学校を通り、国道6号線のある関船地区へ出ます。
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