PV
『ヤバイ』を知らないと、ヤバイのだ!
今や「ヤバイ」という言葉は日本人にとって日常的な慣用語になっていて、あらゆる場面で出っくわします。
例えばテレビを観ていると芸人は疎(おろ)か、一般人までもがまるで口に付いて離れないかのように何かにつけて「ヤバイ」を蓮発します。
《番組でテロップ(字幕)にしてまで表示される》
昔気質の私にとっては余りにも単純に多用されているのを見ていながら、今更ながら自分の頭の固さと時代のズレを痛感させられる瞬間になるのです。それでも私には私なりの言い分はあります。
つまり「ヤバイ」をよく言えば、言葉の表現を簡素化する手段として使われているのだと思われるのですが、悪く云えば語彙(ボキャブラリー)が欠如している人たちの話し方だと思えて仕方ありません。
《「ヤバイ」を連呼しているが、そこに深い意味は感じられない》
主に若者たちを中心に使われているこの「ヤバイ」という俗語は、どんな状況の中でも直ぐに使える重宝な言葉なのです。幾つかの例を挙げてみます。
①山道を車で走行中に前方を熊が横切ったとする「あっ、熊だ。ヤバイ・ヤバイ・ヤバイ」
※行動や状況に危険を感じた時。
②町のイベントなどでステージに上がった人の歌が上手(うま)かったりすると「えっ、ヤバく
ない?」 ※予期していなかった技術を観たり、感動した時。
③予想以上に深刻な場面に直面したり、トラブルや困難を感じると「これ、ヤバイよ」
※何か 問題が起きたり困難な状況に陥った時。
要するに、私の言いたかったのは『ヤバイ』という言葉の中には「驚き」「無理」「予期していたか否か」「感動」「危険」等々、多種多様な意味合いがあるので、相手が話している時に使われた際や、テレビの画面に出たりする度、即座に①から③までのどこに該当する「ヤバイ」なのかを判断しないといけない(▲それ以外の意味を伝えているの場合もあるかも知れない)ので、いやはや何と単純かつ、厄介な言葉であるのかということ……に尽きるでした。
『ヤバイ』を知らないと、ヤバイのだ!
今や「ヤバイ」という言葉は日本人にとって日常的な慣用語になっていて、あらゆる場面で出っくわします。
例えばテレビを観ていると芸人は疎(おろ)か、一般人までもがまるで口に付いて離れないかのように何かにつけて「ヤバイ」を蓮発します。
《番組でテロップ(字幕)にしてまで表示される》
昔気質の私にとっては余りにも単純に多用されているのを見ていながら、今更ながら自分の頭の固さと時代のズレを痛感させられる瞬間になるのです。それでも私には私なりの言い分はあります。
つまり「ヤバイ」をよく言えば、言葉の表現を簡素化する手段として使われているのだと思われるのですが、悪く云えば語彙(ボキャブラリー)が欠如している人たちの話し方だと思えて仕方ありません。
《「ヤバイ」を連呼しているが、そこに深い意味は感じられない》
主に若者たちを中心に使われているこの「ヤバイ」という俗語は、どんな状況の中でも直ぐに使える重宝な言葉なのです。幾つかの例を挙げてみます。
①山道を車で走行中に前方を熊が横切ったとする「あっ、熊だ。ヤバイ・ヤバイ・ヤバイ」
※行動や状況に危険を感じた時。
②町のイベントなどでステージに上がった人の歌が上手(うま)かったりすると「えっ、ヤバく
ない?」 ※予期していなかった技術を観たり、感動した時。
③予想以上に深刻な場面に直面したり、トラブルや困難を感じると「これ、ヤバイよ」
※何か 問題が起きたり困難な状況に陥った時。
要するに、私の言いたかったのは『ヤバイ』という言葉の中には「驚き」「無理」「予期していたか否か」「感動」「危険」等々、多種多様な意味合いがあるので、相手が話している時に使われた際や、テレビの画面に出たりする度、即座に①から③までのどこに該当する「ヤバイ」なのかを判断しないといけない(▲それ以外の意味を伝えているの場合もあるかも知れない)ので、いやはや何と単純かつ、厄介な言葉であるのかということ……に尽きるでした。