いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

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龍門寺の坐像は玄慶作

2014-03-06 06:21:56 | Weblog
                             分類・歴

                  曹洞宗龍門寺 いわき市下荒川諏訪下90

 龍門寺 は岩城領主、岩城家の菩提寺で、初代朝義氏公が施主で建造して間もなく亡くなり、二代目常朝公が遺志を継いだが工事半ばで死亡、三代目清胤公が完成させて応永17年頃(1409)に青岑珠鷹(せいしんしゅよう)禅師を開山主に迎え開創されたといわれる=同寺の案内板から抜粋。
          
              《龍門寺にある青岑珠鷹禅師の坐像

 青岑珠鷹禅師の坐像が、平成23(2011)年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災の地震で本堂の須弥壇(しゅみだん)から落下したのだが、これによって坐像の底に銘文が刻まれているのが判明した。
 龍門寺の住職、光英覚法(みつふさ・かくほう)師が市立総合図書館を通して、市教育文化事業団非常勤講師 (元・いわき市暮らしの伝承郷館長) の小野佳秀氏に解読依頼をした結果、その詳細が明らかになった。
 延宝6(1678)年に京都で作られ、龍門寺に運ばれたものであることと、銘文は旧磐城平藩の家臣で地誌 「磐城風土記」 を編纂した葛山為篤(ためあつ)がしたためたことも分かったという。
 
 坐像は玄慶(註1)の作で、関係者の間で《坐像》は文化財級の価値があるとの評価を受けて高い関心が寄せられている。

〈註1〉玄慶=鎌倉時代の仏師・運慶の流れをくみ、東大寺南大門の金剛力士像をはじめ数々の仏像を手掛けた。作品は神奈川県や千葉県でも現存していて、鎌倉市(神奈川県)光明寺蔵の磐城平藩主、内藤忠興(註2)侯坐像や、山武郡芝山町(千葉県)陀弥院蓮福寺蔵の不動明王像などがこれにあたる。

          
        《光明寺(鎌倉市)の内藤忠興、磐城平城内藤家二代藩主坐像

〈註2〉内藤忠興
磐城平城内藤家二代藩主で弟の正晴を泉藩主に、次男政亮(まさすけ)を湯長谷藩主に分家させた。

▲内藤家は龍門寺が菩提寺ではないというのは、誰一人として埋葬された記録がないことからでも 分かるが内藤家と云えば崇神崇仏の念深く、領内の仏像を預かり、京都や鎌倉で修理をされては寺へ返し、修理落慶法要を営む家柄であり、著名な譜代大名文書として「内藤家文書」(約 4万点=磐城平藩時代・延岡藩等文書)に「仏像修理帳」が存在するほど修理を為政者として実施してお出でであります=小野佳秀氏の資料から引用。 


  3月6日(木)   一白 先勝  旧暦 2/6

【今日という日の過去】
 小惑星2個発見 明治33(1900)年 東京天文台(現国立天文台)の平山信教授が小惑星2個を発見した。
 日本人が近代天文学で成し遂げた大きな成果で「トキオ(東京)」、ニッポニア(日本)と命名された。小惑星の大半は火星と木星の間の軌道で太陽を回っている。

 
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