分類・文
小説 辿り着いた道 箱 崎 昭
(一)
泰治は小さい時からとても快活で行動力のあった子供で、友達と遊んでいてヒョンなことで言い合いになろうものなら、口数で相手を圧倒して打ち負かしてしまうほどの利発さを備えていた。
それを一変させた原因というのは、小学5年生の時に全く見知らぬ男が泰治を引きずるようにして家まで連れてきて、トキ子に怒鳴り込んだのが始まりだった。
男が言うには、泰治と遊び友達が2階建てアパートの階段を昇り降りしてふざけあっているのを見て、子供たちが怪我でもしたら大変だし住人が通るのに邪魔になるから注意をしたらしい。
ところが泰治は生意気を言ったようで、癇に障った男が逃げ損ねた泰治の胸ぐらを摑まえてやってきたのだった。
恐らく頭にゲンコツの1つや2つ喰らったのだろう、それは涙を腕で擦った痕が顔に残っていたことでも推察できた。
男は帰り際に「子供も然ることながら一体親はどんな教育の仕方をしているんだ。自分はそのアパートの持ち主で管理人だ」と捨てセリフを吐くと、肩で風を切るような恰好をして去って行った。なんと大人げのない事をするものだとトキ子は思った。
子供相手に脅迫的な怒鳴り方をしたものだから、泰治は恐怖感を払拭することができなかったのだろう、男が去っても暫らくの間は身体を震わせていた。
悪夢のような出来事が後々の泰治に影響を及ぼしていく原因となり、多感な少年期に必要な成長の芽はこの時点で脆くも摘まれてしまった。
トキ子は我が子の肩にそっと手を掛けて家の中に入ろうとしたが、うな垂れて歩く泰治を見てとても愛おしく思えてならなかった。
母親の目の前で無様な恰好を曝け出した泰治は、子供ながらにも相当な屈辱を受けたのと同時に、ショックでその日から言葉を忘れてしまったかのように親子で会話を交わすことさえ極端に少なくなってしまった。
言葉を忘れたのではないが人から避けるようになり、家の中に居ても必要以外は隣室で1人で居るのを好むようになった。
それ以降、泰治は友達から遠ざかったり登校拒否が続いたりする行動が目立つようになり、治男もトキ子もどうして良いのか悩み一時は精神医学や臨床心理学を専門とするところへ何度か相談に行ったこともある。
泰治が人に会いたくないとか、外に出て行きたくないという症状からみて、医師はその要因は対人恐怖からくる他人への適応困難にあると言われ、親が子に対して何事にも神経を尖らせることなく家庭内ではごく普通の扱いで接していくことが最善の方法であり、それが本人の自然治癒に繋がっていくというアドバイスを受けた。
泰治は人と会話をしたいと思っていてもそれができない、このままでは駄目だという思いは常にあっても実行が伴わないという歯痒さと不安に苛(さいな)まれた。
学校の担任も時々家庭を訪ねて来て、優しく声を掛けながら気が向いた時でいいから登校するように勧めてくれた。
泰治は元気溌剌な子から変貌して、人見知りをする内向的性格の持ち主になってしまったが、それでも6年生になった頃から学業を怠ることに不安感を覚えてきたのか断続的ではあるが通学を始めるようになってきた。 (続)
小説 辿り着いた道 箱 崎 昭
(一)
泰治は小さい時からとても快活で行動力のあった子供で、友達と遊んでいてヒョンなことで言い合いになろうものなら、口数で相手を圧倒して打ち負かしてしまうほどの利発さを備えていた。
それを一変させた原因というのは、小学5年生の時に全く見知らぬ男が泰治を引きずるようにして家まで連れてきて、トキ子に怒鳴り込んだのが始まりだった。
男が言うには、泰治と遊び友達が2階建てアパートの階段を昇り降りしてふざけあっているのを見て、子供たちが怪我でもしたら大変だし住人が通るのに邪魔になるから注意をしたらしい。
ところが泰治は生意気を言ったようで、癇に障った男が逃げ損ねた泰治の胸ぐらを摑まえてやってきたのだった。
恐らく頭にゲンコツの1つや2つ喰らったのだろう、それは涙を腕で擦った痕が顔に残っていたことでも推察できた。
男は帰り際に「子供も然ることながら一体親はどんな教育の仕方をしているんだ。自分はそのアパートの持ち主で管理人だ」と捨てセリフを吐くと、肩で風を切るような恰好をして去って行った。なんと大人げのない事をするものだとトキ子は思った。
子供相手に脅迫的な怒鳴り方をしたものだから、泰治は恐怖感を払拭することができなかったのだろう、男が去っても暫らくの間は身体を震わせていた。
悪夢のような出来事が後々の泰治に影響を及ぼしていく原因となり、多感な少年期に必要な成長の芽はこの時点で脆くも摘まれてしまった。
トキ子は我が子の肩にそっと手を掛けて家の中に入ろうとしたが、うな垂れて歩く泰治を見てとても愛おしく思えてならなかった。
母親の目の前で無様な恰好を曝け出した泰治は、子供ながらにも相当な屈辱を受けたのと同時に、ショックでその日から言葉を忘れてしまったかのように親子で会話を交わすことさえ極端に少なくなってしまった。
言葉を忘れたのではないが人から避けるようになり、家の中に居ても必要以外は隣室で1人で居るのを好むようになった。
それ以降、泰治は友達から遠ざかったり登校拒否が続いたりする行動が目立つようになり、治男もトキ子もどうして良いのか悩み一時は精神医学や臨床心理学を専門とするところへ何度か相談に行ったこともある。
泰治が人に会いたくないとか、外に出て行きたくないという症状からみて、医師はその要因は対人恐怖からくる他人への適応困難にあると言われ、親が子に対して何事にも神経を尖らせることなく家庭内ではごく普通の扱いで接していくことが最善の方法であり、それが本人の自然治癒に繋がっていくというアドバイスを受けた。
泰治は人と会話をしたいと思っていてもそれができない、このままでは駄目だという思いは常にあっても実行が伴わないという歯痒さと不安に苛(さいな)まれた。
学校の担任も時々家庭を訪ねて来て、優しく声を掛けながら気が向いた時でいいから登校するように勧めてくれた。
泰治は元気溌剌な子から変貌して、人見知りをする内向的性格の持ち主になってしまったが、それでも6年生になった頃から学業を怠ることに不安感を覚えてきたのか断続的ではあるが通学を始めるようになってきた。 (続)
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