いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

いわき鹿島の昔ばなし10

2013-04-25 05:58:35 | Weblog
                                            分類・歴
      旧、鹿島村の手毬(てまり)唄

 手毬唄は明治後期から昭和時代にかけて、全国で唄われていたが、今では歌詞を覚えている人や、実際に唄える人は皆無と云ってもいいのかも知れない。
 故人だが常磐松久須根町(旧鹿島村)のSさんという明治31(1898)年生まれの人が、10歳の頃に覚えたという手毬唄を「鹿島郷土誌」の中で紹介している記事があったので、その二題を転載する。
 既に100年以上も前から鹿島の子供たちの間に「手毬遊び」があったことに驚く。


     《まりつき(ゴムまり)で遊ぶ子供だが、手毬も基本的には同じような動作をして遊んだ》

        正月門松〈手毬唄〉  
♪正月門松 2月初午
     3月雛様 4月お祭り
     5月は誤節句 6月天王
     7月七夕 8月八朔
     9月は菊ずけ 10月恵比寿講で
     夕べ呼ばれに 恵比寿講に行ったらば
     鯛の浜焼き すずきの吸い物
     おつけでざくざく 一杯吸いましょ

        一番初めは一の宮〈手毬唄〉
    ♪一番初めは一の宮
     二また 日光東照宮
     三また 佐倉の宗五郎
     四で 信濃の善光寺
     五つは 出雲の大社
     六つ 村々鎮守様
     七つは 成田の不動様
     八つ 八幡の八幡宮
     九つ 弘法大師なり
     十で とうとう専願し
     これほど専願したけれど
     浪さんの病は 治らぬか

註釈・三は讃岐の金比羅さん/八つ大和の東大寺/十で所の氏神さん/東京泉岳寺/東京本願寺、など様々なバリエーションが地域ごとに見られる。

◇鹿島地域には地搗き唄や、祝儀唄、鹿島村(当時)の地名や名所古跡を織り込んだ唄など、文献に多
 数残っている。
 中には歌詞が長いために、朝から昼過ぎまで掛かるという唄もある。
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