分類・歴
旧、鹿島村の手毬(てまり)唄
手毬唄は明治後期から昭和時代にかけて、全国で唄われていたが、今では歌詞を覚えている人や、実際に唄える人は皆無と云ってもいいのかも知れない。
故人だが常磐松久須根町(旧鹿島村)のSさんという明治31(1898)年生まれの人が、10歳の頃に覚えたという手毬唄を「鹿島郷土誌」の中で紹介している記事があったので、その二題を転載する。
既に100年以上も前から鹿島の子供たちの間に「手毬遊び」があったことに驚く。
《まりつき(ゴムまり)で遊ぶ子供だが、手毬も基本的には同じような動作をして遊んだ》
正月門松〈手毬唄〉
♪正月門松 2月初午
3月雛様 4月お祭り
5月は誤節句 6月天王
7月七夕 8月八朔
9月は菊ずけ 10月恵比寿講で
夕べ呼ばれに 恵比寿講に行ったらば
鯛の浜焼き すずきの吸い物
おつけでざくざく 一杯吸いましょ
一番初めは一の宮〈手毬唄〉
♪一番初めは一の宮
二また 日光東照宮
三また 佐倉の宗五郎
四で 信濃の善光寺
五つは 出雲の大社
六つ 村々鎮守様
七つは 成田の不動様
八つ 八幡の八幡宮
九つ 弘法大師なり
十で とうとう専願し
これほど専願したけれど
浪さんの病は 治らぬか
註釈・三は讃岐の金比羅さん/八つ大和の東大寺/十で所の氏神さん/東京泉岳寺/東京本願寺、など様々なバリエーションが地域ごとに見られる。
◇鹿島地域には地搗き唄や、祝儀唄、鹿島村(当時)の地名や名所古跡を織り込んだ唄など、文献に多
数残っている。
中には歌詞が長いために、朝から昼過ぎまで掛かるという唄もある。
旧、鹿島村の手毬(てまり)唄
手毬唄は明治後期から昭和時代にかけて、全国で唄われていたが、今では歌詞を覚えている人や、実際に唄える人は皆無と云ってもいいのかも知れない。
故人だが常磐松久須根町(旧鹿島村)のSさんという明治31(1898)年生まれの人が、10歳の頃に覚えたという手毬唄を「鹿島郷土誌」の中で紹介している記事があったので、その二題を転載する。
既に100年以上も前から鹿島の子供たちの間に「手毬遊び」があったことに驚く。
《まりつき(ゴムまり)で遊ぶ子供だが、手毬も基本的には同じような動作をして遊んだ》
正月門松〈手毬唄〉
♪正月門松 2月初午
3月雛様 4月お祭り
5月は誤節句 6月天王
7月七夕 8月八朔
9月は菊ずけ 10月恵比寿講で
夕べ呼ばれに 恵比寿講に行ったらば
鯛の浜焼き すずきの吸い物
おつけでざくざく 一杯吸いましょ
一番初めは一の宮〈手毬唄〉
♪一番初めは一の宮
二また 日光東照宮
三また 佐倉の宗五郎
四で 信濃の善光寺
五つは 出雲の大社
六つ 村々鎮守様
七つは 成田の不動様
八つ 八幡の八幡宮
九つ 弘法大師なり
十で とうとう専願し
これほど専願したけれど
浪さんの病は 治らぬか
註釈・三は讃岐の金比羅さん/八つ大和の東大寺/十で所の氏神さん/東京泉岳寺/東京本願寺、など様々なバリエーションが地域ごとに見られる。
◇鹿島地域には地搗き唄や、祝儀唄、鹿島村(当時)の地名や名所古跡を織り込んだ唄など、文献に多
数残っている。
中には歌詞が長いために、朝から昼過ぎまで掛かるという唄もある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます