いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
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岩城判官と安寿・厨子王

2022-01-27 18:25:19 | Weblog
                            分類:歴

                 住吉館跡 いわき市小名浜住吉字搦(からめ)町    
                  安寿と厨子王像 いわき市金山町朝日台

   安寿と厨子王は、いわきの人                                     
  平安時代に遡りますが、岩城判官だった平政氏(正氏とも書く)は、いわき市泉の滝尻城から住吉に城を築いて政治を行っていましたが朝廷の命令で京都に上り、そこで永保(西暦1081~1084)の初めに、国守の違格(いきゃく)に連座して筑紫へ左遷されてしまいます。   
  しかし、後に正氏は無実であることが分かり長男の正道が判官職に就きます。          
                     ※違格=古代の罪名で臨時勅令に違反すること。        
  この正道の子供が安寿と厨子王なのです。             
                                                                   
           金山町朝日台にある安寿と厨子王母子像

 その正道は、いわき小山田(現・山田町)へお花見に行った帰りに、安寿と厨子王の後見人であった村岡重頼が企てた陰謀により殺されてしまいます。身の危険を感じた母は安寿と厨子王と、家来の大村次郎、召使の小笹を引き連れて朝廷に今回の事件を申し出て父の仇を討つべく都へ向かう決意をして旅立ちますが途中、追手と戦い家来は死んでしまいます。
 森鴎外の小説『山椒大夫』は、前述の内容を把握して読み始めると、いわき人はより一層興味が湧いてきて、正に〝判官びいき〟の心境で熱が入ってきます。
                                             
                同、母子像の全景 
 
 同書の書き出しは「越後の春日を経て今津に出る道を、珍しい旅人の一群が歩いている。母は30歳を踰えたばかりの女で、2人の子供を連れている。姉は14、弟は12である。それに40くらいの女中が1人附いて、草臥(くたび)れた同胞2人を「もうじきにお宿にお着きなさいます」こう云って励まして歩かせようとする。……」から始まっています。            
                                                
            住吉城跡の発掘調査風景(平成24年夏)》

 住吉館(たて)跡(住吉城、又は玉川城とも呼ぶ)は鹿島町御代地区から矢田川を渡って、大原街道に出るとすぐ左側にある遍照院の裏山の独立丘陵上にある小山です。              
 この城跡からの検出遺構と遺物は、これまでに竪穴住居跡、土坑(落とし穴も含む)、焼土跡、柱穴、溝跡、石棺状遺構、遺物包含層などが多数発掘されています。 
                                                                                
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