いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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解釈が崩れていくお正月

2019-01-02 11:18:38 | Weblog

                                         分類:PV                                              磐城の歳時記から正月を探した                                 いわきに生まれた大須賀筠軒(おおすが いんけん)1841~1912 が書き記した 『磐城誌料歳時民俗記』 の中で、陰暦1月元日の項に概略すると次のように記されています。

 元日、2日、3日、の3が日の間は、門松を飾り、若水を汲み、雑煮を食べ、屠蘇を呑む。家によって作法は様々ではあるが、その詳細については記さない。その年の歳神様がやって来る方角を恵方(えほう)というが、その方角を開けて部屋の中に張り巡らす縄を年縄という。商家では元日を「店休(たなやすめ)」として店を休む。また、元日には家の掃除はしない。その謂れについて『日本歳時記』に「新たに来る陽気を払い除けるに等しいので、静養するという意味がある」 ※傍線の部分に注意して下の文章をお読みください。                                                《鹿島からカメラをアップして見た正月の湯の岳》

   実は昨夜(1日)、NHK番組の 『日本人のおなまえって……』 で、正月に関する疑問や誤解のナゾ解きをしていたので観ていたら、大須賀筠軒の記述に納得させられました。                              元日だけは何もしないで、家の中で静かにしているというのが本来の正しい姿なのでした。なぜなら新年を迎えて神様がやって来る日なのだから当然といえば当然です。そうなると、寝正月こそが正しいという理に叶った方法で、これ迄の寝正月に対するイメージは現代とは真逆ということになります。                                                                     《空気の澄んだ鹿島の矢田川から見た湯の岳の遠景》

 番組では、その他にも 「お年玉」 は本来 「お年魂」 といって、子供にお金をあげるのではなく、家族に丸餅をあげるのが慣わしであったとか、年賀状を書くのは2日であったとか、門松の竹の先がとがっているのはどういう訳か、など正月番組として気楽に一杯やりながら頷いていたひと時ではありました。

コメント
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