2011年に録音された、ラファエル・ピションとピグマリオンによる「Johann Sebastian Bach Missa 1733」。ロ短調ミサ曲(BWV232)の第1部のミサ曲(キリエとグローリア)のみの録音で、これはかなりめずらしいですね。まずその特徴をまとめてみると、
- ウヴェ・ヴォルフ版(新バッハ全集改訂版)にもとづく演奏
- 合唱とオーケストラの編成は比較的大きめ
- ホルンはベンディングのみで音程補正
というところでしょうか。
CDには指揮者ピションによるくわしい解説(国内仕様には白沢達生訳が添付)があり、「原点回帰」のかたちでロ短調ミサ曲を録音したことについては、「この作品を当時のドレスデン宮廷という、たいへん豪奢な宮廷で許されていた演奏編成にできるだけ近いかたちで演奏再現してみたら、どのような結果になるのか」、そして「1748年から翌1749年にかけミサ全体を含む大作楽曲として仕上がっていった作品は、1733年の時点で出来上がっていたミサ・ブレヴィスとは、いくつかの細部においてかなり異なっていた」ためと説明しています。
「バッハの「ミサ 1733」を聴く、残念ながらオリジナル編成とは言えないが・・・ 」(「私的CD評」)にくわしく説明されているとおり、キリエとグローリアのみのミサ曲の総譜から、ほとんどの部分がバッハの手になるパート譜がつくられ、ドレースデンのザクセン選帝侯に献呈されました。ピションたちの録音は、ウヴェ・ヴォルフ版で参照できるその献呈パート譜をも参考にしているようです。「たいへん豪奢な宮廷で許されていた演奏編成にできるだけ近」づけたため、いわゆる古楽系の演奏としては、かなりおおがかりな編成をとっています(表を参照)。

しかし、現在のこされているパート譜のみで演奏した(つまりほかに重複譜は作成されなかった)と仮定すれば、合唱、弦楽や通奏低音はもっとつつましいもの(せいぜいすべてで30人ほど)であったこと思われるのですが、ピションは当時の宮廷楽団がフル編成に近い状態で演奏したことを想定しているようです。声楽30人、器楽29人という編成は、しかしどちらかというと考証的というよりは、ピションの好みがそうさせた感じがしないでもありません。独唱のみの歌手をたてたのは、録音ということで、よりよい芸術的な完成度を要求したためと思われます。
ところで、ピションの解説の中で気になるところがありました。それは「1733年のドレスデン向けのパート譜と」一般的なロ短調ミサ曲とのちがいを具体的に示した第1曲「キリエ・エレイソン」の部分。「キリエ・エレイソン」のはじめの4小節について、「総譜では「アダージョ(緩徐に)」としてあるのですが、チェロ用のパート譜はより詳しく「モルト・アダージョ(きわめて緩徐に)」と書かれています」として、演奏において「モルト・アダージョ」を採用したと説明しています。
しかし、チェロ用のパート譜における「モルト・アダージョ」という表記は、パート譜の中でもチェロだけ。編成された中では、声楽と2部のオーボエ、ファゴットは表記なしで、ほかの楽器はすべて「アダージョ」です。そもそも自筆総譜には、「アダージョ」も「モルト・アダージョ」もどちらもなく、ひょっとして、ピションは自筆の総譜にもパート譜にもあたっていないのかもしれません。蛍光X線分析をも利用した最新版にたよりすぎたということなのでしょうか。
じつは、このCD、「Missa 1733」というその表題のつけかたからして、ドレースデンへの献呈譜に準拠した演奏ではないかと期待していました。もとより、バッハ(とその家族、そして不明のコピスト)の手になるパート譜だからといって、アーティキュレーションなどが完全にほどこされたものではありません。したがって、演奏者がそれを補う必要はあります。しかし、なんだか好みにあわせてつごうよく取捨したようでもあり、演奏そのものはひきしまってすぐれているだけに、ちょっとざんねんな気もしますね。過剰な期待もよくなかったのでしょうが……。
なお、文中引用はすべて白沢達生訳のピション解説です。