OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

サイケデリックは、ここから聴いた

2009-08-01 12:02:41 | Rock

シスコ・ブルース / Grateful Dead (Warner Bros. / 東芝)

サイケデリックという言葉を覚えたのも、つまりは洋楽からでした。

それは昭和41(1966)年頃から当時のミュージックライフあたりの音楽雑誌とかラジオの洋楽番組で使われるようになり、最初は「サイコデリック」なんて表記もありましたですね。

しかし、それで表現される歌や演奏については、文字や話だけでは結局、ピンッとこないのが本当のところで、どうやらお経のような長い演奏とか、いろんな照明が煌びやかで妖しい雰囲気を作るステージとか、カラフルな衣装とか、悪いクスリやフリーセックスとか、とにかく酒池肉林とはいかないまでも、相当に自由でブッ飛んだ世界であるとしか想像出来ませんでした。

そしてサイケデリックをやっているバンドとしては、ジェファーソン・エアプレインと本日の主役たるグレイトフル・デッドという、ともにサンフランシスコを本拠地とするグループが代表格と紹介されたのですが、前者には「あたなだけを / Somebody To Love」というシングルヒットがあって、それは若き日のサイケおやじも聞いたことがありました。

しかしグレイトフル・デッドに関しては、その頃から既に、ライプの魅力がレコードでは楽しめない云々が喧伝されていたのです……。

さて、そこで本日ご紹介のシングル盤ですが、結論から言うと、グレイトフル・デッドの公式デビューアルバムに収録された10分近くある曲を両面に振り分けた、おそらくは我国で最初に発売された彼等のレコードだと思います。尤もこれは私がカタログ番号から類推したことですから確証はありませんが、発売は昭和42(1967)年とされています。

ちなみに私が買ったのは昭和44年で、その思惑は、とにかく長いギターのアドリブソロやブリブリのインタープレイに期待してのことですが、それはもちろん、ニューロックの代表的なグループだったクリームと同じ味わいを求めてのことでした。

このあたりはLPが買えない事情も当然ながら、その頃のロックバンドはサイケデリックに染まり、長い演奏が出来なければダメという風潮が蔓延していたのですねぇ~。

つまり前述したグレイトフル・デッドのレコードに収めきれないグループとしての魅力とは、その場の空気で千変万化する長いライプ演奏のことだったのが後に知れてくるのですが、レコード会社としては当時の流行もあり、あえてアルバムで一番の長尺曲を独自にシングルカットしたのでしょう。

もちろん当時はサイケデリック≒サンフランシスコという図式が一般的だったという曲解から、原題「Voila Lee Blues」を「シスコ・ブルース」にしてしまった邦題の憎めなさも、今となっては苦笑するばかりですが……。

肝心の演奏の基本はR&Bの味わいも少し滲む、典型的なブルースロックで、個人的には我国のGSではゴールデン・カップスを、最初は強く連想させれられました。

グレイトフル・デッドはサンフランシスコ周辺で活動していたギタリストや歌手の集合体として、メンバーは流動的ながら1963年末頃から活動を始めたらしく、紆余曲折があって、いつしかバンド名はウォーロックスとなり、メンバーはジェリー・ガルシア(g,vo)、ボブ・ウィア(g,vo)、ピッグペン・マッカーナン(org)、フィル・レッシュ(b)、ビル・クルーツマン(ds) に定まった頃には地元で人気沸騰! 1966年にワーナーと契約し、公式デビューを果たしていますが、そのライプでの人気にとは裏腹にレコードの売れ行きはイマイチだったと言われています。

それは既に述べたように、LPとはいえ、限られた時間の制約があるレコードでは、グレイトフル・デッドの魅力が完全に伝わらなかった証でもあり、ライプ演奏の素晴らしさが尚更に強く広まることへ直結したようです。

そして我国では、そういう生演奏に接する機会がありませんから、レコード会社では苦肉の策として、このシングル盤を出したのではないでしょうか? もちろんLPアルバムで聞くのが最良なんですが、やはり当時の若者の経済状態を鑑みれば、シングル盤の「ありがたみ」を最大限に活かしたナイスな企画だったのです。

演奏そのものも、ジェリー・ガルシアのギターが長いアドリブを聞かせ、最初はダレ気味のブルースロックが、いつしか倍テンポのハードなノリに変化していきますが、そのギタースタイルはブルースやカントリーやジャズというよりも、ズパリ、「Terry-sh」なんですねぇ~♪ 完全に寺内タケシが十八番としていたエレキ民謡の、例えば「津軽じょんがら」っぽいフレーズとビート感! これがたまりません♪♪~♪

また要所で執拗に絡んでくるフィル・レッシュのエレキベース、サイドギターやチープなオルガンによる適材適所の彩も、完全にブルージーンズかバニーズの世界に通じるものがあると、サイケおやじはリアルタイムから思っていました。

こんなことを書くと、きっと激怒したり、失笑される皆様がいらっしゃるでしょうねぇ……。

しかし、これは偽りのない気持ちです。

それとジェリー・ガルシアのギターは、あまりエフェクターは使っていないようですから、エリック・クラプトンとは違うというか、比較すると些か古い感じも、逆に結果オーライでしょう。

グレイトフル・デッドがレコード売り上げの面で成功するのは、1970年代に入ってからなんですが、そのライプステージの魅力は、それを上回るものが、どんどん巨大化していくことになります。

その意味で、このシングル盤を独自にカットした我国レコード会社は、実に的確な判断を下していたわけです。

しかし正直に告白すれば、少年時代のサイケおやじには、イマイチのインパクト……。というよりも、これなら寺内タケシを聴くのが正解!?! とさえ、思ったのです。

サイケデリックなロックって、なかなか味わい深いです。

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2 コメント

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当時、アルバム買いました。 (明彦)
2009-08-01 21:47:30
68年の11月の事です。
その頃は、もうニユー・ロック、アート・ロックしか目に入りませんでした。
このシングルはアルバムのB面の最後の曲でしたね。
このアルバムの中では 時に『モーニング・デュー』が気にいっていました。

次のアルバム『太陽の讃歌』のアルバムを買いましたが、イマイチでした。

ファズ・ギターと チープなオルガンの音が
何より好きな親父です。 1950年産

今日、偶然にみつけました。
さっそく、遡って拝見いたします。
(フェヴァリット・バンドは JAです。)
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羨ましいです (サイケおやじ)
2009-08-02 09:34:15
☆明彦様
コメント、ありがとうございます。

リアルタイムでLPが聴けたというのは、本当に羨ましです。
私がデビューアルバムを買えたのは、1970年代中頃になっていました。そして、このシングル盤よりも、ずっと楽しくて聞き易い曲が多く入っていたのには、びっくりするほどでした。
「モーニング・デュー」も大好きになりましたよ。

JAも私は大好きで、ホットツナも更に好きです。

これからもよろしくお願い致します。
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