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サイケおやじの生活と音楽

しばたはつみはシンガーレディ

2011-10-02 15:16:08 | 歌謡曲

帰らざる日々 c/w シンガー・レディ / しばたはつみ (日本コロムビア)

歌謡曲を保守本流とする我国芸能界において、本格的な洋楽テイストでブレイクした朱里エイコがきっかけとなり、昭和50年代には所謂ショウビズ系の実力派女性シンガーが続々と表舞台に登場しています。

その中でも、しばたはつみはプロのミュージシャンだった両親に英才教育を施されたのでしょう、幼少期からジャズやポピュラーミュージックを歌っていたそうですから、既に十代の頃には様々なバンドの専属歌手としてステージで活動していた履歴がありました。

そして昭和43(1968)年には、「はつみかんな」の芸名で本格的なレコードデビューを果たし、同時にCMソングの世界でも、例えば小川ローザの人気に火がつけられた某ガソリン会社のテレビコマーシャル「オー!モーレツ」は社会現象にもなったのですが、そこで実際に歌っていた彼女には注目が集まる事は無く……。

ですから、「はつみかんな」名義で出した数枚のシングル盤、および昭和46(1971)年の「麻まにか」名義の再デビュー盤も、全くヒットしていません。

しかし、その実力は業界では高く評価され、また渡米しての芸能修行も経た後、昭和49(1974)年に「しばたはつみ」となって、再々デビューに至るのですが、現実的には当時の歌謡界で彼女の居場所は極端に限られており、結果的にTBSの深夜音楽番組として密かな人気を集めていた「サウンド・イン・S」にレギュラー出演した事が良かったんじゃないでしょうか。

実はサイケおやじも、しばたはつみを初めて見たのが件の番組で、そこにはジャズピアニストの世良譲を音楽監督(?)にした大人のエンタテイメントが毎週繰り広げられていましたから、彼女の持ち味であるジャジーでソウルフルな世界が、それに留まらない実力と共に日本中の音楽ファンを瞠目させたのです。

彫の深いフィリピーナ系の面立ちとスレンダーでバランスの良い肢体も非常に良い雰囲気でしたねぇ~~♪

こうしてジワジワと人気を高めていった彼女が、ついにブレイクのきっかけを掴んだのが本日ご紹介のシングル盤とはいえ、告白するとサイケおやじは決して自ら買ったものではなく、これが発売された昭和50(1975)年晩秋に知り合いからプレゼントされたというのが真相です。

と言うのも、ちょいと脇道に外れますが、当時のサイケおやじは度々述べてきたように、ロマンポルノを中心とする成人映画の世界にもどっぷりと浸かり込んでいたんですが、そういう作品を上映する劇場に集う面々が自然と友人関係になるのも世の中の常であり、学生も社会人も立場の相違に関係無く、共通の趣味嗜好を持つわけですから、エロ映画以外にも話が合うという中で、何故かあまり音楽には興味が無いと思われていた初老の紳士からの頂き物が、これでした。

ちなみにそういう交友関係はサイケおやじ周辺の場合、相手の氏素性は特に詮索しないのがひとつの「掟」みたいになっていたんですが、この時は後で感想等々を聞かせてほしいとの事……。

そこで早速、帰宅してレコードに針を落した瞬間、全身の血液が煮え滾るが如き興奮を覚えましたですねぇ~~♪

なにしろそれは、当時の日本では最先端のファンキー歌謡でしたからっ!!

なんとっ! 結論から言うと、サイケおやじはB面の「シンガー・レディ」を先に聴いてしまったんですねぇ~~♪

しかし、これが大正解!!!

アップテンポでビシバシに弾ける16ビートのシンコペイションにノリまくったソウルフルなボーカルは実に爽快ですし、サビでスローダウンさせる展開での余裕と感情表現の豊かさは、本当に絶品ですよ♪♪~♪

また演奏パートの凄さは、参加メンバーに杉本喜代志(g)、松木恒秀(g)、岡沢章(b)、村上秀一(ds) 等々の名手が揃っていますし、なによりも大野雄二(key,arr) が実質的なバンマスというだけでホーンやストリングスの使い方もツボを外す事なく、それは証明済みと納得される皆様も大勢いらっしゃるはずです。

もちろんそこにはご存じ、「ルパン三世」のサントラ音源と同質のグルーヴ&メロディがテンコ盛り♪♪~♪ この「シンガー・レディ」にしても、そのまんま同作品に使われたとて、全く違和感は無いでしょう。当然ながら作編曲が大野雄二本人である事は言わずもがな、武田全弘の作詞も「シンガー・レディ=しばたはつみ」を表現せんとする確信犯(?)的な良さがありますよ。

一方、A面の「帰らざる日々」は作詞:橋本淳、作曲:宮本光雄のコンビによるポピュラー系の歌謡パラードなんですが、大野雄二のアレンジは如何にもスマートなフュージョン感覚の中にも下世話な味わいが流石!

これを所謂ニューミュージックと定義するのは十人十色の感性でしょうが、しばたはつみも、そのあたりを上手く解釈した、良い意味でのダサいフィーリングは逆説的に素晴らしいと思いますねぇ~♪

ですから、これがリアルタイムではパチンコ屋とか炉端焼きの店で流れる有線放送でも、なかなかヒットしていましたし、「しばたはつみ」という素晴らしくお洒落な歌手を世間一般に知らしめるには最高の1曲だったはずで、この頃から普通の歌謡番組にもテレビ出演が増えていったと記憶しています。

ちなみに同時期に発売されたアルバム「シンガーレディ」は、もちろんこのシングル盤両面2曲を含め、全篇が大野雄二のアレンジで纏められた大名盤! サイケおやじも速攻でゲットさせられ、聴き狂った勢いは、今も継続中なんですよっ!

ということで、しばたはつみは日本において、洋楽しか聴かない偏向した音楽ファンをも虜にする魅力的な歌手のひとりでした。

そうした立場は朱里エイコも同じでしたが、朱里エイコが十八番のダンスも含めたエンターテイナーとしての存在感を強めていったところを、しばたはつみはセクシーな露出はそこそこでも、歌手としての柔軟な器用さを前面に出していたように思います。

あぁ、まさしくシンガー・レディ!

昭和52(1977)年の大ヒット「マイ・ラグジュアリー・ナイト」は、その最高の成果でありましたが、極言すれば残された音源は全てが最高であり、時にはジャジーに、また、ある時にはソウルフルに歌謡曲を演じてくれた歌声は、決して忘れられるものではありません。

ご存じのとおり、彼女の昨年春の突然の訃報は記憶に新しいわけですが、ここらでひとつ、朱里エイコ同様に素晴らしいボックスセットの復刻を熱望しています。

そして最後になりましたが、このシングル盤をプレゼントしてくれた件の紳士は、後に知ったところによると、しばたはつみを子供時代から注目していたというファンと言うよりも後援者だったようですね。おそらくはレコードが出る度に自腹で大量買いしていたというエピソードもあったらしく、羨ましいほど心が温まります。

しかしサイケおやじは、バチアタリにもジャケットを破損させたまま今日に至り、ネットで同じ画像を探そうと思いましたが、これも帰らざる日々と思っているのでした。

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