■初めての涙 c/w お前と俺 / PYG (ポリドール)
PYG はGSのスタアが結成した「スーパーグループ」という響きも懐かしいバンドで、それはタイガースからジュリー=沢田研二(vo) とサリー=岸部修三(b)、スパイダースから井上堯之(vo,g) と大野克夫(key)、そしてテンプターズからショーケン=萩原健一(vo) と大口広司(ds) が参集し、既に各々のグループが解散していた昭和46(1971)年2月に公式レコードデビューしたわけですが、本人達が当時の最先端であった「ニューロック」を懸命に標榜しても、日本語主体で歌っている彼等は所詮歌謡曲という括り方はもちろん、もっと辛辣だったのは「悪足掻き」とか「残党」なぁ~んて言われていたんですから、今となっては、それが真実であったとしても、PYG が残した音源を聴くことは、ひとつの儀式以上の行為である事は言うまでもありません。
平たく言えば、少なくともサイケおやじは、リアルタイムから PYG が嫌いではありませんでしたし、基本的にGSが好きだった自分の感性からすれば、PYG は歌謡ロックの素晴らしきバンドでありました。
しかし、ご存じのとおり、PYG は決して大きな成功を収める事なく、翌年の夏頃には自然に活動を停止!?
というか、沢田研二がソロシンガーして堂々と売れ始め、井上堯之、大野克夫、岸部修三が、井上バンド名義でバックバンドというよりは対等の存在感を示せば、萩原健一は俳優として大ブレイクしましたらかねぇ~~~。
だからこそ、PYG は「仇花」とか言われてしまうんでしょうが、前述の井上バンドが本格的に劇伴サントラを担当した萩原健一主演のテレビドラマ「太陽にほえろ」「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」等々が何れも素晴らしい印象を残している事を思えば、昭和40年代後半からの我国芸能界は、PYG の影響力から逃れられないわけでしょう。
さて、それはそれとして、本日掲載のシングル盤は、おそらくは PYG 名義としては最後のレコードになるのでしょうか、昭和47(1972)年11月に発売されたもので、まずはA面「初めての涙」が作詞:大橋一枝&作曲:大野克夫による、これがベタベタの「クラプトン歌謡」の決定版!
と言うよりも、実はビートルズの人気曲「While My Guital Gently Weeps」の替え歌の如き味わいが否定出来ませんので、本当は「ジョージ・ハリスン歌謡」とするべきなんでしょうが、井上堯之のギターの泣き方があればこそ、これは「クラプトン歌謡」に括るのがサイケおやじの独断と偏見であります。
もちろんジュリーとショーケンのツインボーカルは言わずもがな、モロにビートルズがど真ん中のコーラスパートの転調具合も良い感じ♪♪~♪
ちなみにドラムスは当時、原田裕臣に交代しており、そのリズム隊がソウル性感度を増している事は、作詞:岸部修三&作曲:大野克夫、そして井上堯之がリードボーカルを聞かせるB面収録曲「お前と俺」に結実していますよ♪♪~♪
いゃ~、このファンキー歌謡曲は、もっと広く伝播されるべきと思うばかりです。
ということで、PYG の音源は現在でも、それなりの復刻はされていますが、サイケおやじとしてはメンバー各々のソロレコーディングに関わった井上バンドのセッションワークも包括したアンソロジーが編まれるべきと、強く念じる次第です。
アイドルバンドと揶揄され、歌謡曲とバカにされる場面さえあった PYG ではありますが、これだけ真っ向から歌謡ロックに取り組んだグループも稀だと思うのはサイケおやじだけでしょうか?
そりゃ~、今や伝説となっている PYG への拒絶反応から様々なロックフェス等々でのヤジの大合唱や疑似暴動にしても、それだけ彼等の存在感が強かった証であったとすれば、後年になって局地的に再評価される動きがあった時でさえ、やはり同じ事の繰り返しになるのは、ど~しようもない現実です。
う~ん、虚心坦懐に PYG を楽しめ日が来る事を祈りつつ、本日は拙プログを書いているのでした。
この印象残りすぎる迷フレーズはやはりサリーの作詞か。
これぐらいの開き直りが出来るならば、後年、俳優としての 意外な? 大ブレークも 納得するしか ないよね。
コメント、感謝です。
サリーの作詞家としての資質も侮れませんよねぇ~。
仰るとおり、役者として大成したのも、物事を観察する心があったからだと思います。
しかし一番に評価して欲しいのは、ベース奏者としてのサリーなんですが(笑)。