■ビッグ4 / Pink Floyd (EMI / 東芝)
正直、ピンク・フロイドは苦手なんですが、それでも大ヒットアルバム「狂気」は好きですし、私には未だに理解出来ない名盤「原子心母」が出る以前のサイケデリック期は、もっと好きです。
ご存じのとおり、ピンク・フロイド結成時の主要人物はシド・バレットという、実にアブナイ感覚のギタリストだったわけですが、そのシリアスな表現手段を如何にポップに展開していくかが、ピンク・フロイドにとっては永遠の命題なのかもしれません。
当然ながら、シングルヒット狙いの初期楽曲は今日でも古びていませんし、その反面、アルバム中心主義になって以降は、何故かガチガチのロックファンほど冷淡な態度を表明するのが、今日の実相かと思います。
それはピンク・フロイドが、例えばイエスのような超絶技巧集団でもなく、キング・クリムゾンのような怖さも、エマーソン・レイク&パーマーのような自然体の構築美も、あるいはフォーカスやソフトマシーンのようなフュージョン指向も目指すところではないという、プログレに分類されながら、その立ち位置を自ら曖昧にし続けた結果かもしれません。
ですから局地的には高級BGMとまで揶揄されたのが、1970年代後半からの受け取られ方なんでしょうが、それゆえに凝りに凝ったステージアクトやライトショウを伴ったライプ巡業は常にソールドアウト! しかもその演目は過去のスタジオ録音アルバムの再現をメインに据えるという、非常に居心地の良いものです。
おまけに1980年代後半からはグループの分裂があったとはいえ、新作アルバムが過去のヒット作をセルフパロディしたかのようなものばかり……。
う~ん、これも伝統芸能プログレ篇というところなんでしょうか?
そんな状況ですから、サイケおやじは尚更にピンク・フロイドが苦手になり、また同時に初期の楽曲への偏愛度数が上がるという、なかなか天の邪鬼な道を歩んでいます。
で、本日のご紹介は、そんなピンク・フロイドが「狂気」で大ブレイクする以前の人気曲を集めた、我国独自編集のコンパクト盤♪♪~♪ 発売はジャケットにもあるとおり、昭和47(1972)年の来日に合わせたものです。
A-1 One Of These Days / 吹けよ風、呼べよ嵐
A-2 Julia Dream / 夢に消えるジュリア
B-1 Point Me At The Sky / 青空のファンタジア
B-2 She Emily Play / エミリーはプレイ・ガール
まず、この如何にもという邦題が泣かせますよねぇ~~♪
尤も「エミリーはプレイ・ガール」は、このコンパクト盤ではストレートに「シー・エミリー・プレイ」と表記されているんですが、やはり我国で最初にシングル盤が出た時のタイトルが素敵に決まっています!
肝心の楽曲は公式デビュー間もないピンク・フロイドが2枚目のシングルA面曲として、1967年初夏に発売した、実にポップなサイケデリックヒット♪♪~♪ 力強いピートと浮遊感に満ちたキーボード、そしてキャッチーな曲メロを彩る様々な効果音が見事に融合した抜群の仕上がりがニクイばかり♪♪~♪
ちなみに当時のメンバーはシド・バレット(vo,g)、リック・ライト(key)、ロジャー・ウォーターズ(b,g,vo)、ニック・メイソン(ds,per) という布陣でしたが、実質はシド・バレットのワンマンバンドだったと言われています。ただしピンク・フロイド結成前には、シド・バレット以外の3人がジャズや現代音楽を演奏するトリオを組んでいたそうですから、シド・バレット脱退以降の結束も当然だったと思います。
そうした成果は、なんといってもファンには一番人気であろう「夢に消えるジュリア」に顕著で、シド・バレット在籍時のシングル曲ではありますが、現実的には後任として参加したデイヴ・ギルモア(g) が既にライプ巡業で活躍していた1968年初夏の発売でしたから、全体に漂う穏やかで美しいフィーリングは、明らかにシド・バレットが抜けて以降の味わいに直結しています。
おそらく、この曲が嫌いなファンは存在しないんじゃないでしょうか?
しかし特に我国で一番有名なピンク・フロイドの楽曲は、「吹けよ風、呼べよ嵐」でしょうねぇ。なにしろ悪役黒人プロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーの入場テーマ曲として、プロレスファンはもちろん、広く一般大衆に印象付けられた名演だと思います。
それは冒頭からビビン、ビビンと鳴り響くエレキベースを核として、暴風の効果音や不気味な不安感を増幅させる演奏展開が、本当にジャストミートの大衆プログレ! 何回かのリバイバルヒットが記録されたのも、ムペなるかなでしょう。
そしてこのコンパクト盤のウリだったのが、それまで我国では未発表だった「青空のファンタジア」でした。実は本国イギリスでは1968年、デイヴ・ギルモアが正式メンバーとして迎え入れられた直後のシングル曲として発売済みだったわけですが、契約の関係でしょうか、アメリカでさえも未発表になっていました。
で、その曲調は正直、ビートルズの「Lucy In The Sky With Diamonds」の展開をパクッたというか、本物から煌びやかな装飾を剥がし、デモテープの如きシンプルなスタイルで再構成したと言っては、言葉が過ぎるでしょうか……。
相当に期待していたサイケおやじは、強烈な肩すかしをくらった気分でした。
ということで、如何にもコンパクト盤という隠れ人気メディアの特性を活かした1枚だと思います。なにしろ発売された頃にはロックもアルバムで聴くのが本筋となっており、ましてやピンク・フロイドはアルバムでなければ真髄を楽しめないという定説が出来あがっていたのですから!?
しかし、そんなピンク・フロイドに馴染めない私のような者だって少なからず存在していたはずですし、もちろん経済的な理由も確かに強いものがありました。
現在のように曲単位でダウンロード出来る仕組みも無かった1970年代、コンパクト盤は以外にも強い味方だったというのが、本日の結論なのでした。