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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

河合夕子に浮かされる

2020-07-17 19:12:09 | Singer Song Writer

東京チーク・ガール / 河合夕子 (EPIC / SONY)

そりゃ~~ないぜっ!

と思わず呟く、あるいは嘆き節、時としては歓喜悶絶の瞬間ってのは、誰にだって必ずやあるはずで、サイケおやじにとっては本日掲載のシングル盤A面曲「東京チーク・ガール」を耳にした最初っから、丸っきり後頭部を突然に殴られるってのは、この事かっ!

そんな強烈な衝撃を覚えてしまったんですよっ!

なにしろイントロからしてドゥービー・ブラザーズが1979年にメガヒットさせた「What a Fool Believes」をシンセ主体のキーボードサウンドに焼き直しただけじゃ~なくて、楽曲主旋律までもが同じリフメロディで歌われていくんですから、全くのなんじゃ~~これっ!?

っていう松田優作のジーパン語録!!

で、これはラジオから流れて来たとはいえ、その声の主が河合夕子というシンガーソングライターという事は、この「東京チーク・ガール」は自作自演という狂言なのかぁ~~~!?

ところが、楽曲そのものの全体としての仕上がりは素晴らしく、弾んだリズムにファルセットを活かしたコーラス・アレンジも心地好く、これぞオンタイムの昭和56(1981)年にサイケおやじが求めていたサウンドにジャストミート!!

そして速攻でレコード屋を急襲し、ゲットしたのがこれというわけなんですが、クレジットを確認してみれば、やはり作詞作曲は河合夕子、そして編曲は水谷公生の名前があるものの、実は後に知ったところによれば、彼女の楽曲レコーディングには以前に愛奴に在籍し、浜田省吾のバックでも活躍していたギタリストの町支寛二の働きが大きかったそうで、以降に発売されていく彼女のアルバムのプロデュースも担当するのですから、要注意でしょう。

肝心の河合夕子については、これ以前も以後も、それほどプロフィールも知らないんですが、当時からテレビ出演も多かった記憶がありますし、ルックス的には平田隆夫とセルスターズのみみんあい、あるいは漫画のアラレちゃんの様でもあり、つまりは愛嬌フェイスの存在感と無意味に高揚感が素晴らしいパフォーマーという印象でしょうか。

それはサイケおやじの勘違いかもしれませんが、この「東京チーク・ガール」の気持ち良さは、見事なほどに希薄な歌詞のイメージとサウンドそのものの浮ついたノリと思えば、これからの季節には欠かせない魅力に満ちているはず?

結果的には河合夕子は数枚のアルバムやシングル盤を出しながら、何時しか表舞台からスタジオセッションの世界へ活動の場を移してしまい、今では音源の復刻も芳しくありません。

しかし、この「東京チーク・ガール」だけは忘れられていないインパクトがあるはずで、それが狂言だろうが、漫画だろうが、十人十色の感性には関係の無い話です。

唯そこに、気持ちの良い歌がある!

その真実はひとつと思うばかりです。

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色褪せぬ青いくれよん

2020-07-04 19:19:23 | Singer Song Writer

青いくれよん / 菊地弘子 (日本ビクター)

掲載したのは、以前にちょいとご紹介した菊地弘子の公式デビュー作と云われているシングル盤なんですが、これが……、なんとっ!

サイケおやじのレコード棚から久しく消えていたというか、行方不明になって幾年月……、ある事情から移動させた家具の裏側で本日発見されたという次第です。

しかも、それが決して自宅ではなかった事が様々な憶測を呼びそうなので、顛末は伏せますが、とにかく見つけ出してみればジャケットは経年劣化していましたし、中身のレコード本体にもカビっぽい残留物が少しばかり発生していたという現実が、自らの怠慢を強く反省すべき汚点でありましょう。

しかし、最初っから中古扱いでゲットしたブツなんで、それなりに盤質のスクラッチノイズも気にならず、無事に再生出来たのですから、安心致しました。

で、それにしても菊池弘子はユーミンからの影響が確かに強いと実感され、この自作曲「青いくれよん」にしても、瞬間的にユーミンの人気曲「海を見ていた午後」のメロディが出て来るのですから、たまりません ♪♪~♪

しかし、全体の曲調は歌謡フォーク色が濃く、アコースティックギターのアンサンブルやエレピを効果的に用いた萩田光雄のアレンジが、如何にも発売された昭和50(1975)年の思い出を呼び覚ましてくれるのは嬉しいかぎりです。

そして聴いているうちに、不得手なアコースティックギターのフィンガーピッキングを練習したくなっちまいましたよ。

うむ、それも当時の流行であり、私有盤は経年劣化していようとも、中身の音楽は、ちっとも色褪せていないんですねぇ~~♪

それを思い出という感傷に繋げるのもイイもんです。

ということで、そんなこんなを書き綴っている本日、九州では豪雨被害が甚大!

被災された皆様には、心からお見舞い申し上げます。

これ以上、悲惨が広がりませんように、祈念するばかりでございます。

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雨の季節の初恋の歌

2020-06-27 19:42:03 | Singer Song Writer

初恋の通り雨 / 尾崎亜美 (東芝)

シンガーソングライターとしての尾崎亜美がブレイクしたのは昭和52(1977)年に某化粧品メーカーのCMに使われた「マイ・ビュア・レディ」のヒットからだと思いますが、次に発売された本日掲載のシングル盤A面曲「初恋の通り雨」も、今日の一般的な彼女のイメージであるニューミュージックから歌謡曲に接近した名作ヒットとして忘れられません。

もちろん、作詞作曲は尾崎亜美、そしてアレンジ&プロデュースは松任谷正隆という、公式レコードデビューからの制作方針に変化は無いんですが、殊更1st アルバム「SHADY」に強く感じられた幾分無理した印象の曲作りが解消されている様に思える、なかなか素直な歌の世界が表現されているのは、彼女の個性の確立でしょうか。

それはシンプルなメロディラインの積み重ねと曲終わりに繋げていくコード進行の妙、また青春歌謡フォーク的な歌詞の世界は、下手すりゃ~ベタなカレッジフォークになりかねない、そんなギリギリのところまで接近していたとしても、それを踏み止まらせているのが尾崎亜美の歌謡センスと申しましょうか、後にアイドルやニューミュージック系ボーカリストに多くのヒット楽曲を提供していく下地は、この時期に出来上がっていたと思うばかりです。

また、そ~した狙いを決定的にしているのが松任谷正隆の編曲の上手さで、伊集加代子グループやタイム・ファイヴが参加したコーラス、及びストリングスアレンジがビーチボーイズ風味で用いられているのは、なかなか嬉しいところ♪♪~♪

まあ、個人的には、もう少し、コーラスやストリングスに厚みが欲しいと思ってしまうんですが、尾崎亜美や松任谷正隆の狙いは決してビーチボーイズじゃ~ありませんからねっ!

ということで、この「初恋の通り雨」を含む2nd アルバム「MIND DROPS」が傑作として今日までも評価され続けているのと同じく、ちょうど今頃からの雨の季節にも忘れられないのが「初恋の通り雨」であり、サイケおやじにしても、先日ちょいと触れた「雨の歌の曲集」カセットやデジタルファイルには必須のトラックにしております。

おっ、急にビーチボーイズが聴きたくなってきたのは、何故だろう ♪♪~♪

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石黒ケイには港が似合う

2020-06-26 19:34:25 | Singer Song Writer

港のマリア c/w 雨 / 石黒ケイ (ビクター)

本日掲載のシングル盤の主役たる石黒ケイも、昭和の芸能界では、ある意味じゃ~罪作りなシンガーソングライターで、まずは昭和52(1977)年のレコードデビューからして、そのシングル曲「恋人時間」が筒美京平直々のプロデュースでありながら、リアルタイムでは決してヒットしたとは言い難い状況であるがゆえに後年、オリジナル盤がコレクターズアイテム化している事から始まり、さらに昭和55(1980)年に発売されたジャズテイストに彩られたLP「アドリブ」には、なんとっ!

モダンジャズの天才にして人気アルトサックス奏者のアート・ペッパーが参加しているという、これまた世界中のマニアが血眼になって欲したアルバムなんですから、たまりませんっ!

もちろん、サイケおやじにしても、特に後者は海外のジャズ愛好家に頼まれて新品や中古をゲットしては現地へ送った事が数度あるほどです。

しかし、石黒ケイの魅力は、そんな話題性だけではなく、自作曲を演じられるという強みを活かした、なかなか魅力のある歌手であり、その雰囲気の醸し出し方には確かに好き嫌いがあるかもしれませんが、サイケおやじには、趣味性を超越したナチュラルな魅力を感じる存在です。

で、掲載のシングル盤は昭和57(1982)年に発売された1枚なんですが、特筆すべきは本人が作詞作曲のA面曲「港のマリア」が、同時期に製作されたアルバム「Yokohama Ragtime」に収録されたテイクとは異なる、つまりはシングルバージョンですから、要注意!

その違いは、まずアルバムバージョンは様々な港のざわめきを入れたSEが使われ、武藤祐二のアレンジによる、所謂アンプラグドなムードであるのに対し、こちらのシングルバージョンは大野克夫が編曲したホーンセクション入りのソウルジャズ風味に仕上がっておりまして、楽曲そのもののアンニュイな情景描写を別角度から表現していく石黒ケイのボーカリストとしての実力は、それぞれの魅力に満ちているんじゃ~ないでしょうか。

ただし、サイケおやじとしては、吉川忠英のアコースティックギターによる素晴らしい伴奏が寄り添うアルバムバージョンが、どちらかと言えば好きですねぇ~~♪

それでも、このシングル盤の価値が聊かも損なわれないのは、B面に収録された作詞:田口美由紀&作編曲:武藤祐二が提供の歌謡ソウル「雨」の素晴らしさがあるからでして、実は楽曲そのものは前述のアルバム「Yokohama Ragtime」にも収録され、テイクも同一のはずなんですが、やはりアナログのシングル盤特融の「45回転」の魔法という事なんでしょうか、その音圧の強さゆえに歌も演奏もグッと前に出ている感じで、なんとなくミックス違いにも思えるんですが、いかがなものでしょう。

また、このスリーブデザインは所謂エロジャケという分類にも当てはまる、これはこれで好事家の興味を集めるんじゃ~ないでしょうか。

しかし、それでも石黒ケイのボーカリストとしての魅力だって不滅!

現在では活動も縮小されてはおりますが、残された音源の主なところはCD化されているはずですので、機会がございましたら、お楽しみくださいませ。

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川村ゆうこの思い出

2020-05-19 19:46:20 | Singer Song Writer

風になりたい / 川村ゆうこ (FOR LIFE)

我が国で歌謡フォークが全盛だった昭和50(1975)年、突如として設立された「フォーライフレコード」は、まさに当時の芸能界を震撼させ、それに纏わる諸々が社会現象となった騒動(?)は、サイケおやじと同世代の皆様であれば、記憶されていると推察する次第です。

なにしろ設立に参加した主要メンバーが吉田拓郎、小室等、泉谷しげる、そして井上陽水という、まさに当時の歌謡フォークをリードしていた面々でしたし、一般大衆にとっては決して相性が良いとは思えなかった前述の4人が、手を組んで始めるレコード会社の先行きに期待と不安を抱かされてしまったという、なかなか面白いプロジェクトだったんですねぇ~~!?

もちろん、今となっては皆様ご存知のとおり、当初の方針と異なる会社運営、つまりイノセントなシンガーソングライターやフォーク歌謡のレコードを出していくはずが、当然ながら利益優先が求められた結果、如何にもアイドルっぽい新人の売り出し方法や俳優やタレントのレコード制作にまで手を広げては、創業者であり、役員でもあった前述の4人の結束も乱れたのでしょう、泉谷しげるが真っ先に退社してしまって以降は、ちょいと節操が……。

ちなみに泉谷しげるは、これを契機に俳優の道へと進んだようで、その成功は言わずもがなの結果オーライでしょう。

しかし、やっぱり会社発足当初の勢いは物凄く、昭和50(1975)年に開催された最初の新人オーディションには関係者が驚くほど膨大な数のデモテープが集まったそうで、実はサイケおやじの知り合いも本気になってオーディションに応募していたんですが、当然結果は落とされて……。

そして、見事にそこでグランプリを獲得したのが、本日掲載のシングル盤の主役たる川村ゆうこでありました。

発売されたのは昭和51(1976)年春、もちろん芸能マスコミは率先して煽りに加わり、何故ならば件のデビュー曲「風になりたい」は作詞作曲&プロデュースが吉田拓郎でしたからねぇ~~~!

もはや、これが売れなきゃ~、この世は終わり!?

みたいな雰囲気が当時は確かにありましたですよ。

しかも彼女はルックスも、イケてましたし、肝心の楽曲「風になりたい」は典型的な拓郎節で、それを松任谷正隆が当時流行のウエストコーストスタイルのカントリーロックにアレンジしていましたから、そのミディアムテンポの長閑な雰囲気と彼女のナチュラルに切迫感が滲む節回しと声質が、絶妙の緊張と緩和を与えてくれるという仕上がりは流石と思うばかりだったんですが……。

やはり現実は厳しいというか、それほど周囲の期待どおりに大ヒットしたとは言い難く、むしろ各方面からの誹謗中傷までもが確かにあって、そこには所謂「やっかみ」がミエミエだったのは、いやはやなんとも……。

実際、前述した「オーディションに落ちた知り合い」は、ボロクソに言い募るという醜態を晒していましたですね。

でもねぇ~~、サイケおやじは、そんなに酷くは無いと思っていたんですよ。

実際に生で接した彼女のミニライブでも、自分好みの可愛さ余って憎さ百倍というよりも、素直に好感が持てましたですよ。

それでも、ちょいと同情すべきは、彼女は所謂シンガーソングライターにジャンル分けされながら、自作曲がシングル盤のA面に入れてもらえないという事が度々で、同様に作られていたアルバムにしても、他人からの提供曲がメインというのでは、物足りなさも確かにありました。

そして何時の間にかフェードアウトしてしまったんですが、近年は再び活動されている事は喜ばしいと思いますよ、本気でねっ!

ということで、時代の寵児ともなっていた「フォーライフレコード」が最も純粋に期待を集めていた頃にデビュー出来た川村ゆうこが、それゆえに仇花扱いされる事さえあるのは、ど~なんでしょう?

そんな誹謗を言いふらしているのは極一部とはいえ、それを信じる自由を認める前に、虚心坦懐に彼女の歌声に耳を傾けるのも、決して悪くは無いと思っているのでした。

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フォロワーにこそ真相への道

2020-02-21 19:50:00 | Singer Song Writer

髪 / 片桐麻美 (Epic)

芸能界には所謂「二番煎じ」が何時の世にも必須でありながら、それを露骨に思わせない便利な言葉として、「フォロワー」なんていう言い回しが確かにあって、本日掲載したシングル盤を公式デビュー作にした片桐麻美はスバリッ!

中島みゆきのフォロワーのひとりとして、短かった昭和60年代には、局地的な人気を集めていました。

もちろん、彼女は自作自演を看板するシンガーソングライターであり、出身も北海道であった事から、その作風共々に完全なる中島みゆきっぽさが注目されていました。

しかも、広く知られる様になったのが、ヤマハのポプコンに出場して以降というのもラッキーの二重奏かもしれません。

ちょいと曖昧な記憶ではありますが、深夜放送のDJもやっていた様な……。

で、昭和62(1987)年に発売された掲載盤A面曲「髪」は、片霧麻美が作詞作曲した、歌詞の世界もメロディの雰囲気も、モロに中島みゆきという個性が全開した、正にフォロワーの鏡の如き人気作なんですが、しかし岩本正樹が施したアレンジが欧州系クラシックの影響が色濃いストリングスや木管&キーボード中心に組み立てられているもんですから、なんともミョウチキリンな気分にもさせられますが、同時に内向きな決意や現実の厳しさを冷静に、そして心根は熱く表現する歌いっぷりは高得点と思います。

どうか皆様には、虚心坦懐にお楽しみいただきとうございます。

ということで、物造りの世界には贋作とか疑似とか、コピーとか模倣とか、とにかく本家本元への憧れと畏敬の念に満ちた「後追い」や「フォロワー」が常に存在し、だからこそオリジナルは尚更に尊重されるわけですが、逆に言わせていただければ、フォロワーを楽しむ事こそが、本物の真実に迫れる道という解決策もあるんじゃ~ないでしょうか。

平たく言えば、真似されてこそ、それは超一流!?

そんな真実があっても許されるにちがいないと思うばかりです。

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グラスの中の青い海に溺れる

2020-02-15 17:00:38 | Singer Song Writer

グラスの中の青い海 / 伊藤美奈子 (CBSソニー)

伊藤美奈子は昭和50年代後期に登場したシンガーソングライターですが、失礼ながら結果的には大きなブレイクも無いままにフェードアウトしたとはいえ、当時からコアのファンが多く、そして現在は再評価も進んでいるという、所謂マニア泣かせのひとりかもしれません。

本日掲載したのは、昭和57(1982)年秋に発売されたデビューシングルなんですが、とにかく初めて聴いた瞬間から、そのクールな情熱を滲ませたボーカルスタイルに惹かれてしまいましたですねぇ~~♪

それが作詞:田口俊&作曲:伊藤美奈子とクレジットされたA面曲「グラスの中の青い海」で、ちょいとユーミンっぽいところは松任谷正隆のアレンジに拠るところが大きいのでしょうか。

しかし、それはそれとして、ゆるやかなビート感を伴ったグルーヴィな歌唱には抗い難い魅力が確かにあります。

そして実はこの時には今や伝説の1st アルバム「Tenderly」も制作発売されていて、このデビュー盤は、そこからのシングルカットだったというのが真相であれば、アレンジ&プロデュースを担当した松任谷正隆以下(key)、松原正樹(g)、椎名和夫(g)、後藤次利(b)、林立夫(ds) 等々、当時トップランクのセッションプレイヤーが参集した演奏パートも素晴らしく、それゆえに幾分クセが強い伊藤美奈子の曲作りがクッキリと仕上げられた事から、好きな人には好き!

つまり十人十色の好き嫌いは確かにあると思われますが、一度虜になると抜け出せない魔法の様な世界をサイケおやじは否定出来ないのです。

そのあたりは業界においても評価が分かれていたらしく、村下孝蔵はツアーバンドのバックコーラスに起用していましたし、一緒にデュエットレコーディングも残していながら……。

結局は既に述べたとおりのまま、現在に至ってはおりますが、個人的には残されたレコーディングは全て好きですし、昭和60(1985)年までに公式発売された「Tenderly」「誘魚灯」「Portrait」の3枚のLPは裏名盤的傑作と思うばかりです。

そして皆様には、どうか虚心坦懐に鑑賞していただきとうございます。

願わくは「裏」から「表」の名盤と認識される日がやって来る事を心から切望しているのでした。

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別れの後に…、うみなりを

2020-01-31 17:46:22 | Singer Song Writer

別れて そして c/w うみなり / 渡辺真知子 (CBSソニー)

ど~してもっ!

という思いで、わざわざ南の島まで赴いての仕事の話は結局、決裂……。

否、こっちから三行半!

と、自分に言い聞かせているのは、心が弱くなっている所為でしょう。

そこで本日の1枚は、全く現在の心境にジャストミートのカップリングという、渡辺真知子が昭和54(1974)年に出したヒット盤です。

説明不要とは思いますが、所謂シンガーソングライターとしての渡辺真知子は、ソングライターとしてよりも、今となってはシンガー、つまりはボーカリストとしての評価も高い存在ながら、イメージとしては常に情熱派と思われがちかもしれません。

しかし、実はリラックスしたライトタッチの節回しも最高に上手く、このA面曲「別れて そして」は自作自演の強みがあるとはいえ、せつない心情を抑えて歌う表現は芸域の幅広さを確実に伝えるところでしょう。

船山基紀のアレンジも、その気持ちを大切にした手際の良さと思います。

そして、その意味で、さらに素晴らしいのがB面収録の「うみなり」で、こちらも渡辺真知子の作詞作曲に編曲が船山基紀という、正に阿吽の呼吸が素晴らしいボサノバ歌謡の名曲にして名唱 ♪♪~♪

一般的に「ボサノバ」と云えば、抑揚の少ないメロディラインという思い込みを逆手に活かした様な起伏の大きな音使いで作られた楽曲ですから、本来は幾分ロック寄りのアレンジが常套手段だとしたら、しかしっ!?

ここではキーボードをメインに用いたAOR風味のフュージョン系ボサノバとして、歌謡曲というよりは、ニューミュージックと呼ぶに相応しい仕上がりになっているんですねぇ~~♪

個人的には、むしろA面よりも針を落とした回数が多いという告白をさせていただきます。

うむ、この歌詞の世界って、冒頭述べた仕事の話の物別れの後、宿泊先のロビーから眺めた海の景色と心情的にもリンクしていたという……。

そんなこんなの……、空っぽな心持に、さあ……、これから何を詰め込もうか……。

ということで、これからちょいと時間があるので、ブート屋&中古屋を急襲し、話題になっている映画でも鑑賞しようと目論んでいるのでした。

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このストレート感が羨ましい

2020-01-19 17:49:11 | Singer Song Writer

哀しみのバラード / 根田成一 (キャニオン)

今年の目標を「素直」と決めていながら、実際には連日、心にも無い事を言ってしまうサイケおやじにとっては、ストレートにド真ん中で勝負してくる、例えば本日掲載のシングル盤A面曲「哀しみのバラード」には、恥ずかしくも、面映ゆい気分で心を動かされてしまいます。

歌っている根田成一については、何時もながら何も知るところは無いんですが、この自作自演の「哀しみのバラード」はヤマハ系の音楽コンテスト「第7回世界歌謡祭」の入賞曲という事で、昭和51(1976)年末頃からラジオでオンエアされる事が多く、

 北へ 北へ 北へ行く船の 汽笛さえも遠のくよ

という頭サビが、曲タイトルどおりの哀切のメロディと一緒に刷り込まれている皆様もいらっしゃると思います。

もちろん、と申しましょうか、演奏パートはアコースティックギターが主役で、隠し味的なエレキギターの慎ましいフレーズとかリズム隊の弁えた存在感もニクイところではありますが、何と言っても根田成一の魂が入ったストレートな歌いっぷりがあってこその仕上がりでしょう。

また、福井崚のアレンジにはイントロから刹那のハーモニカ、あるいはキーボードを用いた胸に迫る泣きのメロディが置かれ、ちょっぴりソフトなフィーリングを秘めた根田成一の声質による如何にも歌謡フォーク的な歌をギリギリで演歌にならない所に留める、その手際も流石の思うばかりです。

そして決定的に素晴らしいのは、「哀しみのバラード」と付された曲タイトルの潔さ!

全く、それ以外には何を持って来ても、しっくりしないと感じるのは、サイケおやじだけでしょうか。

うむ、如何にも昭和50年代的な歌謡フォークと云えば、それでお終いかもしれませんが、こ~ゆ~歌が何気なく巷に流れていたんですよねえ~~、当時は。

今となっては、それゆえに古めかしく、中途半端な懐かしネタと笑われたとしても、そこにある素直な歌の衝動は消え失せる事は無いと信じております。

最後になりましたが、このシングル盤は、その頃に入れてもらっていたバンドで某女子大のダンパに出る時、ウケ狙いでやってみるかっ!

なぁ~んて、下心に満ちた仲間内の気持ちを代弁するが如き流れから、サイケおやじがゲットしたブツでありながら、練習場所に置きっぱなしになっていた所為で、タバコのヤニに侵されたジャケットスリーブと傷だらけの盤面という有様に……。

久々に本日取り出してみたら、バチバチいう針音にも、当時が思い出されるのでした。

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カラオケ難曲:その五

2019-11-28 19:22:31 | Singer Song Writer
想い出のスクリーン / 八神純子 (ディスコメイト)

本日は、いきなりの言い訳になりますが、最近ブログを綴るのに頼っているスマホが大不調……。

まずカメラの解像度が全く上がらないし、キーボードを繋いでの入力も特に文字変換の反応が鈍くて、ど~にもなりません。

それでも……、なんとか短めにご紹介させていただきますのは、八神純子が昭和54(1979)年にヒットさせた「想い出のスクリーン」で、これまたカラオケで歌うのは、なかなかに難しい楽曲と思います。

皆様ご存知のとおり、八神純子は曲作りは自分が担当しますが、作詞やアレンジは他のプロ作家との共同作業が多く、この「想い出のスクリーン」は作詞が三浦徳子、アレンジが大村雅朗とクレジットされておりますから、果たして曲メロが先にあったのか、あるいは歌詞が先に出来上がっていたのかは不明なれど、流石にヒット狙いのツボは外していません。

なにしろ曲調が当時流行っていた所謂サンタナ歌謡と申しましょうか、ラテンフュージョンのニューミュージック的展開の趣が強く、もちろんギターはサンタナ色がド真ん中! またパーカッションの使い方も、それに同調しているのですから、歌唱の節回しも自然にノセられてしまうアレンジと演奏になっています。

そして八神純子の声質というか、歌いっぷりも含めて、所謂Aメロは穏やかに粘っこく、それでいてサビは思いっきり裏声交じりの高音域へ持っていくのですから、こりゃ~~、やっぱりプロの仕事の自作自演という強みでしょうか、すなんりと出来る技ではないはずです。

それと八神純子は基本的にピアノの弾き語りスタイルでライブをやっているんですが、このスタジオバージンではアナログ盤シングルを聴く限り、ピアノよりはシンセ系キーボードやストリングスが目立ち、このあたりがステージギグでどのように演じられていたのか、ちょいと気になるところです。

ということで、カラオケでも八神純子のヒット曲は多数歌われているはずで、これまでにサイケおやじも宴席等々では聴かされる事が度々ありましたが、やっぱり彼女の持ちネタはハイトーンボイスの節回しを裏声交じりで演じるのが上手く聞かせるコツかもしれません。

最後になりましたが、冒頭に述べたとおり、やっぱりスマホの不調は大きな気がかり……。

大事に至って中のデータが壊れるのが怖いので、これからその保存作業に移行するつもりです。

上手く復調出来ますように!
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