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サイケおやじの生活と音楽

この人だぁ~れ part-27:久保田育子

2021-03-14 17:58:05 | Singer Song Writer

■夢色ヒコーキ / 久保田育子 (キャニオン)

本日の主役たる久保田育子についてもサイケおやじは全然知らず、つまりは掲載のシングル盤は「この人」シリーズ中の1枚なんですが、それでもA面収録「夢色ヒコーキ」に針を落としてみれば、彼女の歌声は清涼感に満ちていて、ゾクッとさせられましたですねぇ~~♪

そこでソングクレジットを確認してみれば、作詞作曲は彼女自身ながら、吉岡治の補作詞に丹羽応樹の補作曲というプロのサポートがあり、シンプルでありながら奥の深いキーボード多用型のアレンジはクニ河内ですから、さもありなん!?

そうかっ!?

彼女はやっぱりシンガーソングライターという扱いなんでしょうかねぇ~~、サウンドの作りも含めて、その曲調からは如何にも発売された昭和52(1977)年当時の雰囲気が滲み出たニューミュージック風味の歌謡曲に仕上がっているんですから、おそらくはヒットしたとは言い難い状況だったとは思いますが、それゆえに懐かしく心に響いてしまうのはサイケおやじだけでしょうか……?

そして、こ~ゆ~シングル盤に出会えてしまうからこそ、中古漁りの猟盤活動がやめられないわけでして (^^;

ということで、本日は短めのご紹介で失礼させていただきます。

もちろん、明日からの激務(?)に備えての悪企みを練るためなんですが、その前に久保田育子の歌声に心を洗われたのは幸いであります (^^♪

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せつない歌謡の七曲り

2021-02-04 18:01:58 | Singer Song Writer

七曲り / 中川よしの (BLOW UP / 日本コロムビア)

ジャケ写だけ見れば、如何にも歌謡曲のレコードという印象が確かにありますが、しかし主役たる「中川よしの」は「中川由乃」名義で曲作りもやっている、つまりはシンガーソングライターです。

そして彼女が世に出たのは昭和51(1976)年にヤマハ主催のポピュラーソングコンテスト、通称ポプコンにおいて優秀曲賞を獲得した時らしいんですが、実はサイケおやじが彼女の存在を知ったのは、それから数年後、ヤマハ系のミュージシャンばかりを蒐集している某コレクター氏と知り合った時でして、成り行きで頂戴したコレクター氏自選の名曲が入れられたカセットコピーを聴いた中にあったのが掲載のシングル盤A面収録「七曲り」であり、その人懐っこい歌声と歌謡曲寄りのメロディは忽ちサイケおやじに強い印象を残して幾年月、ついにレコード現物を入手したのは、それから更に数年が経過していたんですが、イイ歌は、やっぱり残りますねぇ~~♪

それは杉山政美が綴った失恋の歌ではありますが、待てど来るはずもない別れた男との思い出に浸る、そのピュアな女心を表現するべく「中川由乃」が附したメロディラインは歌謡フォークの黄金律であり、殊更サビの展開はサイケおやじが最も好むところですし、既に述べたとおり、「中川よしの」の歌いっぷりが、せつないんですねぇ~~、本当に♪♪~♪

また、泣き節たっぷりのピアノのイントロとコーラスからグッと強いビートを伴って進行する演奏パートにはストリングスやアコースティックギターが巧みに配され、その全体を俯瞰して組み立てた上柴はじめのアレンジも秀逸だと思います。

いゃ~~、何度聴いても胸キュンですよ ♪♪~♪

せつない系歌謡曲がお好みの皆様には、ぜひともお楽しみいただきたい名曲にして名唱です。

ということで、実は彼女は決して長くない活動期間中に素晴らしいアルバムを出していて、その「プリズム」と題されたLPをサイケおやじは残念ながら、これまたカセットコピーでしか聴いた事がありませんので、もちろんっ! それも探索対象であり、もしもCD化されているのであれば、やっぱり欲しいです (^^♪

まあ、それも……、これからの余生の楽しみということですが (^^

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夜会は楽しいはずだよなぁ~~

2020-12-20 19:52:34 | Singer Song Writer

パーティーへようこそ / Carly Simon (Warner Bros. / ワーナーパイオニア)

ここ2日ほど、失礼致しました <(_ _)>

おかげさまでPCも体調も回復モードに入りつつあります (^^;

しかし、それにしてもコロナウイルス蔓延により世の中の疑心暗鬼は深まるばかりで、特に国民に宴会や忘年会等々の集まりを自粛要請していた政府の総理大臣ともあろう者が、率先して夜の宴会に浸りきっての居直りには、腹立たしくも呆れてしまったですよっ!

おまけに関連担当大臣までもが、「一律に5人以上がダメというわけじゃ~」云々ですからねぇ~~!?

また、マスコミも、それに対して寛容というか、そりゃ~、大物芸能人や政治ゴロ系の評論家、そして有名スポーツ関係者が絡んでいるんじゃ~、腰も引けるんでしょうが、それでもサイケおやじは、だったら件の総理大臣主催の宴会の様子を詳らかにして欲しいと願うんですよ。

つまり、どのような席次で、どんなふうに食事を楽しみ、酒盛りやって世間話(?)に興じていたのか、それを見本として国民に提示すれば、我々下々の者だって、堂々と歓楽街で宴会も開けるし、飲食業界の各店にしても、「総理大臣公認」という絶対の「お墨付き」を看板に出来るんですから、後は自ずとコロナは退散!

てなことになりませんかねぇ~~!?

結局、こんな暗くて鬱陶しい世相に求められるのは、裏晴らしって事ですからっ!

ということで、本日ご紹介するのはのカーリー・サイモンが1980年に出したアルバムの「パーティへようこそ / Come Upstairs」からカットされた同名タイトル曲です。

当時の彼女はシンガーソングライターという立場は崩さすとも、サウンドはグッとAOR~フュージョンロックに傾き、様々な憂いさえも明るさで隠してしまう持ち前のエネルギーが良い方向へと出ていた頃で、それは「You Belong To Me」「Jesse」等々、連発されていたヒット曲からの流れに位置する掲載盤A面収録「パーティへようこそ / Come Upstairs」の勢い込んだロックサウンドにもクッキリとっ!

もちろん、曲作りはカーリー・サイモン自らがやっていますが、今回のプロデュースを担当したマイク・マニエリはフュージョン界の大スタアにして名人プレイヤーという事から、作曲やアレンジにも参画していますし、バックを演じたセッションプレイヤーもスティーブ・ガッド(ds)、トニー・レビン(b)、シド・マクギニス(g) 等々の名手が集められており、本来がヴィブラフォン奏者のマイク・マニエリは特にシンセを含むキーボードで活躍するあたりも、なかなか時代にアクセスした仕事と思うばかり♪♪~♪

正直、楽曲そのものは平凡なんですが、サウンドプロデュースとカーリー・サイモンのボーカルのパワーで全ては結果オーライでありましょう。

う~ん、今なればこそ、こ~ゆ~力強さこそが求められるのであれば、為政者どもの居直りも大いに許せるのかもしれません。

そして……、況や我々国民も、ねっ!

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小林明子で浮かれちまうぜっ!

2020-12-04 17:30:21 | Singer Song Writer

くちびるスウィング / 小林明子 (ファンハウス / 東芝)

先日、いしだあゆみのジャズ歌謡「家路」を取り上げた所為でしょうか、サイケおやじの耳にはスイングする歌謡曲が様々に蘇って来まして、例えば小林明子が昭和62(1987)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「くちびるスウィング」は、ちょいとしたヘビロテ盤になってしまいました (^^♪

いゃ~~、なんたって、これは某化粧品会社の春のキャンペーンソングということで、湯川れい子の綴った歌詞はともかくも、小林明子の附したメロディのライトタッチなスイング感は全くサイケおやじの好みがド真ん中♪♪~♪

しかもラルフ・シュケットが施したアレンジの奥深い華やかさと申しましょうか、心地好く耳に入って来る歌と演奏はCMソングの王道を満たしているんじゃ~ないでしょうか。

ちなみにラルフ・シュケットって、あのトッド・ラングレンが率いるユートピアの初期メンバーとしてキーボードを担当していた才人と同一人物なんでしょうかねぇ~~!?

なんだか出来過ぎた感じではありますが、和製カレン・カーペンターとも称された小林明子のボーカルスタイルを見事に活かした素敵な仕事と思うばかりです。

ちなみに小林明子と言えば、やっぱり今ではデビュー曲にしてウルトラメガヒットとなった「恋に落ちて」ばっかりが取り上げられますが、優れたソングライターとして、また前述としたとおり、カーペンターズのカレンを想起させられてしまう声質と節回しの魅力は、もっともっと彼女の他のレコードに針を落とす機会を増やしてくれるものでしょう。

確か彼女はイギリス人との結婚から渡英してしまったと記憶しておりますが、残された楽曲は、きっちりとCD化されていますので、気になる皆様は、ぜひともっ!

最後になりましたが、告白すれば、サイケおやじが掲載盤を中古ながらゲットした大きな理由は、やはりジャケ写の魅力♪♪~♪

この美味しそうなヒップから太腿のラインの素晴らしさは、捨て置けるはずもありませんからねぇ~~♪

ふっふっふっ (^^♪

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林哲司はAOR歌謡の第一人者かっ!?

2020-11-24 20:23:52 | Singer Song Writer

シリー・ガール / 林哲司 (invitation / ビクター)

シンガーソングライターとは自作自演歌手の総称ではありますが、そのジャンルで活躍しているミュージシャンには堂々の両刀使いよりは、どちらかと言えばソングライターとして裏方に徹している面々が多い様にも思えますが、それにしたって最初は歌手だったという履歴は簡単に捨てられるはずもなく、また周囲も放ってはおかないのが芸能界の理なのでしょう。

実際、現在の我が国だけを見渡しても、例えば弦哲也、岡千秋、徳久広司、杉本眞人=すぎもとまさと等々の売れっ子作曲家にしても、過去にはレコードを出していたり、弾き語りをやっていたキャリアの中から、注目を集めたのは自らの歌手活動よりは、ソングライターとしての才能だった事は有名ですし、だからこそ、あらためて自分名義のヒットレコードを製作出来ているのは言わずもがな!?!

本日掲載のシングル盤の主役たる林哲司も、全くそのとおりの才人であり、作編曲家として最初に注目されたのは、「真夜中のドア / 松原みき」や「キャッシーの噂 / 大橋純子」等々のヒットが認められた昭和50年代前半からでしょうし、以降はアイドルシンガーやニューミュージック系のボーカリスト&グループに楽曲を提供し続けているわけですが、その作風はAORっぽい歌謡曲であり、フュージョン系ハードロックや演歌ロックまでも薬籠中の手際は流石と思うばかり!

とはいえ、実は林哲司にしても、芸能活動のスタートはシンガーソングライターであり、リアルタイムでは売れなかったんですが、それなりに充実したポップス系ソフトロックのレコードを作っていたのが昭和48(1973)年頃の活動でした。

サイケおやじは、偶然にも件のLP「BRUGES〜ブルージェ(ポリドール)」のカセットコピーを当時、知り合いから貰ったもんですから、ある時期には所謂ヘビロテになっておりまして、その内容は今となっては凝り過ぎという感もあるほどに、ポール・マッカートニーやバート・バカラック、都会派フォーク歌謡等々がゴッタ煮(?)みたいな印象だったんですが、シンプルなロックっぽさが聊か不足している様なところがイマイチ、サイケおやじの好みから外れていた事は確かです。

そして時が流れました。

前述したとおり、アイドルやニューミュージック系のシンガー等々のレコードで発表される楽曲群の中に「林哲司」という名前を多く確認出来る時代になってみれば、そ~いえば昔、この作曲家の歌を聴いていた記憶が蘇り、ちょうどそんな頃だった昭和55(1980)年晩秋に耳に入って来たのが、掲載したシングル盤A面曲「シリー・ガール」でありました。

それはスバリっ!

所謂アーバンメロウなAOR歌謡であり、ボズ・スキャッグスが丸出しと言えばミもフタもありませんが、それでも作詞:竜真知子&作編曲:林哲司のクレジットからは明確な意図が読み取れると申しましょうか、如何にも都会派のフィーリングには、決して上手いとは言い難い林哲司のボーカルがジャストミートしていますし、まさにジャケ写のイメージに偽り無しってなもんでしょうか。

う~ん、思わず本家(?)ボズ・スキャッグスのレコードを出してしまいそうになる自分が怖くなるほどです (^^;

ということで、ソングライターとしての林哲司が気になっている皆様であれば、このシングル盤と同時期にに制作されたLP「サマー・ワイン」も絶対に楽しめると思います。

好き嫌いがある事は確かでしょうし、デッドコピーだとかモノマネだとか、そんなこんなの悪評も当時からありましたが、それを言い出したら、大衆音楽の大半は聴けないでしょう。

要は、自分の好みに合った音楽が聴けるレコードが、そこにあればイイっ!

ってだけの話かと思うばかりです。

う~ん、林哲司の関わった楽曲だけを集めたコンピレーション盤があれば、衝動的にゲットしてしまいそうな気分であります (^^;

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そ~言われたって、気になる高岡美智子

2020-11-23 19:59:53 | Singer Song Writer

私の事なら気にしなくてもいいわ / 高岡美智子 (テイチク)

昭和40年代後半からの歌謡フォークの大流行は、もちろん同時代の洋楽最先端だったシンガーソングライターのブームに影響されていたわけですが、それゆえに我が国でも当時から大勢の自作自演歌手が登場し、残されたレコードには、今も根強いファンの存在が確認されるところです。

本日掲載のシングル盤の主役たる高岡美智子も、残念ながら大きなブレイクがあったとは言えませんが、昭和49(1974)年にヤマハ系のシンガーソングライターとして登場し、数枚のシングル盤と3枚ほどのLPを出しているのですから、地味ながらも、それなりに息の長い活動はコアなマニアの望むものでした。

なにしろ、その音楽性は所謂アンプラグドを基調としながらも、アコースティックギターのコンピネーションは意想外にブルースロックっぽく、加えてエレピやストリングスの用い方はニューソウルやAORにも通じるオシャレなフィーリングでありながら、自作のメロディや歌詞に漂う女の世界の慎ましさや情念は、ある部分で演歌チックなところがあるもんですから、彼女の節回しにも独特の哀感やクセが強く感じられ、そんなこんながサイケおやじの好みにはギリギリでジャストミートしているんですねぇ~♪

昭和49(1974)年末にラジオから流れて来た、おそらくは公式デビュー作と思われる掲載盤A面収録の「私の事なら気にしなくてもいいわ」には、既にして前述したとおりの音楽性が存分に入っていて、忽ちサイケおやじを虜にした事は言わずもがなってもんですよ♪♪~♪

ちなみにアレンジは船山基紀というあたりは、さもありなん!?

このアコースティックなロック衝動は、演歌ロックの様でもあり、ブルース歌謡でもありましょうが、如何にも歌謡曲の汎用性を示す好例だとしたら、我が国のシンガーソングライターは世界で最も幅広い歌を聴かせてくれていた事になるのかもしれません。

なぁ~んていう、例によっての屁理屈よりは、一度は皆様にもお楽しみいただきたいのが高岡美智子の歌の世界です。

ところが、どうにも彼女の音源の復刻状況は現在、まったく芳しくありません……。

何曲ぐらいがCD化されているかも不明でありますので、アナログ盤を探し出すという作業は楽しくもあり、精進の場にもなりかねないのは、ちょっぴり悲しいわけですが、それがまた彼女の歌は好きな人には好き!

それしか言えないというわけです。

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この時期のカラオケ定番・其の壱:わかれうた

2020-11-05 17:51:17 | Singer Song Writer

わかれうた / 中島みゆき (キャニオン)

例年、今頃の季節になると、忘年会とか新年会とか、クリスマスパーティ等々も含めれば、すっかり世間は浮かれ気分でスケジュール調整に余念が無かったのは今や昔……。

世界的なコロナ禍の現況を鑑みれば、宴会なんてものは無用の長物に成り果てた感が確かにありまして、そこで文明の利器であるネットでリモート宴会ってなものが推奨されるんですから、いやはやなんとも……。

しかし、そ~した遠隔宴会であっても、カラオケぐらいはストレートに楽しめるんじゃ~ないでしょうかねぇ~~。

そこで本日から、所謂「カラオケ定番」について、不定期ながら諸々を綴ってみたいと思い立ち、その初っ端としての「お題」が昭和52(1977)年秋に発売され、中島みゆきの最初の大ヒットになった掲載盤A面収録曲「わかれうた」であります。

もちろん作詞作曲は中島みゆき本人の自作自演ですから、歌いっぷりにケチはつけられるはずもありませんが、執拗なマイナーキーで節回されるメロディが中近東風であり、加えてリズムがブンチャカ系の時代遅れ感に満ちているあたりは、如何にも確信犯的でありながら、実は編曲を担当した福井崚と吉野金次の企みだとしたら、これはノー文句でイイ仕事だと思いますねぇ~~。

なにしろ、説明不要とは思いますが、中島みゆきの綴った歌詞が突き放した様な「やるせなさ」を伝えてくるのは常套手段ながら、出会いと別れのループから、ど~しても抜け出せない哀しさがジワジワと伝播した挙句、う~ん、これは刷り込まれてしまうなぁ~~~、なぁ~んていう気分させられるわけですよ。

ですから、カラオケで歌う場面が宴席であったとしても、決して暗く沈み込むなんてこたぁ~、心配ご無用!

件のブンチャカリズムに合わせての手拍子さえ、自然に発生する状況には何度も遭遇したサイケおやじが、あえて分析させていただいたのが、この駄文であります (^^;

ちなみに、この「わかれうた」は、確か年末頃にはチャートでもトップに輝いたほどの大ヒットになりましたから、明らかに我々日本人の琴線に触れるものがあったはずですが、個人的には問題の「中近東メロディ」は決して好きではなく、むしろ苦手なのに、何故か「わかれうた」に限っては、そんなに気にならないいのは、これ如何に!?

そこんとこは、つまりは自分でも分からないなりに、「わかれうた」を口ずさんでしまうのは、これまた、いやはやなんとも……。

ということで、ちょいと思い出してみても、既に述べたとおり、中島みゆきは「わかれうた」が大ヒットしていながらも、当時全盛だったテレビのヒットチャート歌番組には、ほとんど出演していなかったと記憶しているんですが、いかがなものでしょう。

しかし、その代わりと申しましょうか、昭和52(1977)年末から翌年新春の商店街や飲食街には、「わかれうた」が流れまくっていましたですねぇ~~~♪

それもまた、今や昔の物語というわけですが、楽しく歌っても「わかれうた」のせつなさは不滅かと (^^;

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帰りたい…、帰れない…

2020-10-14 19:34:12 | Singer Song Writer

帰っちゃおうかな / 小椋佳 (ポリドール)

人を待ち続けるという行為は、忠誠心の表れとも言えますが、そこに何らかの希望が無ければ、いつまでも……、なぁ~んて事はありません。

本日のサイケおやじは、正にそれでして、昼前の約束から今の今まで待ち続けている相手が、まさか裏切るはずはないっ!

と自分に言い聞かせている次第です。

もちろん、気持ちは揺れているんですけどねぇ……。

そこで掲載したのは、現在のサイケおやじの気分をストレートに歌ってくれた名曲「帰っちゃおうかな」です。

これはジャケットスリーブにも掲載してあるとおり、昭和47(1972)年10月からNET(現・テレビ朝日)で放映されていたドラマ「泣きべそ・ほほえみ・六本木」の主題歌で、同時期にブレイクしたシンガーソングライターの小椋佳が自作自演曲という事で、ちょっぴり話題になっていた記憶も残っているんですが、掲載したシングル盤をサイケおやじが持っていたのは、学生時代に入れてもらっていたバンドで、気乗りもしないままに「帰っちゃおうかな」をコピーさせられた(?)所為でして、当然ながらレコードそのものは決して自腹で買ったものではありません。

ただし、それまでのサイケおやじの小椋佳に対する印象は、軟弱な抒情派フォークソングの覆面歌手というところだったんですが、しっかりと実際にレコードで鑑賞してみると、なかなか強いビート感を活かせるメロディ展開とか、歌詞の語感が妙に心地好かったりして、その面映ゆさがクセになるのは怖いというか……。

ちなみにアレンジは瀬尾一三と云われており、リズムアレンジの歌謡ロックっぽさと豪華ではありますが薄目にミックスされたストリングの存在が尚更に小椋佳のボーカルを芯の強いものにしている感じでしょうか。

ちなみに、かなり後になってアルバムバージョンを聴いてみたら、それはストリングスが大きくミックスされたソフトロック系の仕上がりになっていましたので、つまりはシングルとアルバムではミックス違いというマニアック性もニクイばかり?

でも、基本的には別テイクというのが本当かもしれません。なにしろギターのソロパートやオカズ、あるいはキーボードやドラムスのリズムパターンの違い等々が散見されますからねぇ~~!?

う~ん、小椋佳にも、深~い奥の細道があるわけですねっ!

尤も、サイケおやじには、そこへ足を踏み入れる心構えが出来ておりませんが (^^;)

当然ながら、手元にある掲載盤にしても、実質的には永久貸与されているのが本当のところであります。

ということで、それにしても、このジャケに写っているのは待ち合わせ場所には定番だった六本木交差点の洋菓子喫茶「アマンド」前でしょう。

まあ、件のテレビドラマが六本木を舞台にしている事も大きいわけですが、確かに「アマンド」の前で待ち合わせをすっぽさかれた皆様だって、相当に多いんじゃ~ないですかねぇ……。

世の中、思惑とフンドシは自分の方から外れるという至言もございますから、思い込みには過大な期待は禁物でしょうか。

最後になりましたが、この文章を綴っている時でさえも、約束した人物からの連絡は無し……。

あ~ぁ、帰っちゃおうかなぁ~~~。

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佐藤由美が素直に好きです

2020-08-17 19:33:22 | Singer Song Writer

19歳のトモ / 佐藤由美 (インビテーション / ビクター)

我が国の歌謡界に所謂ニューミュージックが定着しつつあった頃、その土台となっていたのはシンガーソングライターの存在である事に異論は無いと思います。

だからこそ、昭和50年代には同系数多の自作自演が出来るボーカリストやグループがレコードデビューしていたわけで、逆に言えば、オリジナル曲を持っていなければ、プロとはいえ、何時までもハコバンやクラブシンガーから抜け出せない現実の厳しさがあったのですが、さりとして演奏が抜群に上手くても、あるいは素晴らしい歌唱力があったとしても、ルックスという問題も避けてとおれず……。

ですから、殊更女性シンガーソングライターの場合、曲作りの才能とそれなりのルックスが最初っから求められたのがプロの世界であり、加えて歌唱力が必要だった事は言わずもがな、そこには三位一体となった雰囲気さえも大切なポイントだった様に思えます。

で、その意味でサイケおやじが当時、大いに注目して好きだったシンガーソングライターのひとりが、本日掲載のシングル盤A面曲「19歳のトモ」で昭和52(1977)年末にデビューした佐藤由美で、もちろん作詞作曲は本人が担当した、これが哀切の歌謡フォークであり、楽曲に潜むソウルっぽさを引き出しているのが乾裕樹の施したアーバン風味のニューソウルなアレンジなんですねぇ~~♪

実際、スローテンポである意味、演歌っぽい歌詞の世界観を所謂「コブシ」では無い、それでも日本人好みの「泣き節」に導いているのは、そこに効果的なニューソウルなストリングスやメロウ&ソウルフルなギターの響きでありまして、だからこそ彼女の程好く気持ちの入った雰囲気ボーカルが伝わってくるんですよ♪♪~♪

現実的には大きなヒットにはならなかったんですが、その頃の飲み屋の有線とかラジオの深夜放送では、しっかり流れていた隠れ人気曲だったんじゃ~ないでしょうか。

告白すれば、サイケおやじは昭和52(1977)年12月末、加山麗子主演の日活ロマンポルノ「肉体の門(西村昭五郎監督)」を鑑賞しに行った劇場の休憩時間に流れていた有線で、この佐藤由美が歌う「19歳のトモ」を初めて聞き、妙に気持ちが高揚したまんま、件の有線の事務所に電話で楽曲情報を教えてもらったのでした。

そして、彼女の才能と魅力はレコード会社にも認められていたのは、続けて翌年に発売されたアルバム「ロンリー・ガール」でも全開の素晴らしさ!

なんとっ!

自作の楽曲に加えて、アメリカのソウルバンドで人気も高かったウォーの意訳カバー曲まで違和感無く披露しているのは、彼女のクールで熱い節回しの歌いっぷりがあればこそっ!

これは追々にご紹介させていただく所存ではありますが、この傑作はCD化されているんでしょうかねぇ~~?

このあたりの嘆き節は彼女の諸作に限らず、同時代のシンガーソングライターのシングル盤やLP全般に言える事じゃ~ないでしょうか。

サイケおやじは事ある毎に、そんなこんなを憂いてしまうんですが、皆様にも機会があれば、佐藤由美のレコードだけでも、お楽しみいただきとうございます。

うむ、彼女の弱点としては、ありきたりな芸名(?)かもしれません。

しかし、歌の世界は魅力満点であります。

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雨は空から降るもんだけど

2020-08-11 20:47:24 | Singer Song Writer

雨が空から降れば / 小室等 (キングレコード)

学生時代のバンド活動における夏場のビアガーデンでのバイト演奏が出来ると決まった時、当然ながら、そんなセミプロなんて初体験ですから、様々な心配事、つまりは自分の未熟さ故の自信の無さはもちろんの事、商業施設の屋上特設ステージという野外ですから、雨が降ったら、ど~なるのぉ~~?

だって機材が濡れて、ダメになったら大損だし、演奏出来なかったらギャラは???

等々、元来が心配性なサイケおやじは不安が打ち消せないまま、いよいよ前日から本格的な準備に入り、現場を見に行ってみたら、ちゃ~んとステージにはテント状の出し掛け屋根がありましたし、ギャラは8月いっぱいという契約だったとかで、先輩の話では雨の日にビアガーデンが開けなくて、演奏が出来なくても、ギャラは「月極契約」なんで、心配ご無用でありました。

あぁ~、それじゃ~毎日大雨だったら、丸儲けだよなぁ~~♪

なぁ~んてムシの良い事まで思ってしまったですよ、恥ずかしながら (^^;

そして結果的には、その8月は雨が極端に少なくて、ステージが休みだった事は1日しかなくて、しかも、その日は現場ステージで練習をみっちりやりましたですよ。

それがセミプロ、学生バンドの気楽さと言えば、それまでなんですけどねぇ~~ (^^;

さて、そしていよいよ初日、本番演奏は夕方5時からでしたので、昼過ぎに楽器を搬入し、セッティングを終えたのが開始1時間前を過ぎていたという段取りの悪さも、また然り……。

以前に書いたとおり、一緒に交代でステージを務めていた弾き語りの女性シンガーが、なかなか良質なボーカルアンプを使っていたんで、それを共用する事も決めたのは、その機材が店側の所有だったからでして、実は皆様ご推察のとおり、その現場は昼間、様々なイベントに使われていて、夏休中でしたから、アイドルや演歌系歌手のキャンペーンが連日あったのは、ちょっぴり嬉しいオマケでありました。

さて、そこで本日のご紹介は、我が国の歌謡フォークでは当時、有名スタンダード化していた小室等の「雨が空から降れば」であります。

しかし、ここでサイケおやじが「歌謡フォーク」と書いたのは、作詞:別役実&作曲:小室等というクレジットがある「雨が空から降れば」は最初、確か昭和45(1970)年頃に上演されたというアングラ芝居の劇中歌だったそうですが、やはり傑作という認定をされたからでしょう、小室等がリーダーだったフォークグループの六文銭、そして本田路津子、吉田拓郎、南こうせつ等々の有名フォークシンガーまでもがカバーしていたのですから、何時しかNHKの「みんなのうた」に取り上げられるほどになっては、「スタンダード化した歌謡フォーク」という個人的解釈も、ご容赦お願い致しとうございます。

ちなみに掲載したシングル盤に収録されたバージョンは、作者の小室等が昭和46(1971)年に製作されたリーダーアルバム「私は月には行かないだろう」に収録されていたトラックと同じなんでしょうか?

件のLPは持っていませんし、しっかり聴いた事だって、もちろんありませんから、それはそれとして、前述した同じステージを交代でやっていた女性シンガーが毎日歌っていたんですねぇ~~。

そしてサイケおやじは、本当に「雨がふれば」なぁ~~、という甘い考えに拘泥していたのは、全く情けない話でありました。

というのは、演奏そのものは最高に楽しかったんですが、連日夜の11時過ぎまでステージをやって、その帰りは先輩所有のワゴン車でメンバーを自宅や下宿アパートに送り届ける、その運転手をやっていたのが丁稚奉公のサイケおやじの役目だったんですよ……。

もちろん、そのワゴン車は楽器車も兼用していたわけでして、こっちは6人ながら、5人乗りが基本ということは、一番現場から近い先輩メンバーは座席外の荷物スペースに押し込まれ(?)、だいたい10分ほど走ったところで降りるので、なんとか我慢していたんでしょうねぇ~~。

そ~ゆ~事も学生時代ならではの良き思い出なのかもしれません (^^;

そして各所を巡って、最終目的地がワゴン車所有の先輩の家で、サイケおやじは、そこからバイクで帰宅すると、時刻は既に午前2時を過ぎていたもんですから、バイト終盤の頃は体もキツかったのは事実でありましたから、「雨が降ればなぁ~~」という気持ちもご理解いただけるでしょうか……。

ということで、全ては「若さ」に任せての勢いでありました。

う~ん、今日も暑かった……。

雨が降ればなぁ~~~。

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