ここ2日ばかり……、はしゃぎ過ぎた祟りか……、今朝から持病の肋間神経痛が…… <(_ _)>
よ~やく痛み止めの薬が効いてきたらしく、やっと軽い食事が出来ましたが……。
そんなわけで、本日はこれにて失礼させていただきます <(_ _)>
ここ2日ばかり……、はしゃぎ過ぎた祟りか……、今朝から持病の肋間神経痛が…… <(_ _)>
よ~やく痛み止めの薬が効いてきたらしく、やっと軽い食事が出来ましたが……。
そんなわけで、本日はこれにて失礼させていただきます <(_ _)>
■西海ブルース / 内山田洋とクール・ファイブ (RCA / 日本ビクター)
サイケおやじは基本的に洋楽でもコーラス入りの演目が十八番のグループが好きなので、歌謡曲でも所謂ムード歌謡コーラスを自分が入れてもらっているバンドでやれるのは大歓迎 (^^♪
そして昭和歌謡史においても、そ~したヒット曲が山の様に残されていますから、あれやこれやと飽きない中にあって、やはり内山田洋とクール・ファイブのヒット曲の数々は外せませんよねぇ~~♪
そんな中、本日取り出したのは昭和52(1977)年に出した掲載のシングル盤A面曲「西海ブルース」でして、これは作詞:永田貴子&作曲:尾形よしやす、そして編曲:森岡賢一郎が提供の典型的なムード歌謡ながら、ミディアムテンポでメリハリの効いたメロディラインを節回す前川きよしのある意味「しつっこい」ボーカルがあればこそっ!
演奏パートにしても、イントロからサックスとギターのコラボでツカミはOK♪♪~♪
またコーラスパートが控えめなところから、前川清のソロというか、我々がカラオケで独唱(?)しても、これが立派なムード歌謡として成立するという、いゃ~~、全くアーバンな歌謡曲の決定版じゃ~ないでしょうか (^^)
実は本日敢行(?)した高齢者バンドでも、この「西海ブルース」を演じさせていただきまして、殊更リードを歌ったバンマス氏の機嫌の良さは面映ゆいほどでありました (^^;
でも、それが我々日本人が楽しむ歌謡曲の本質のひとつだと思うばかりでございます。
ということで、昼間っから忘年会気分ではありましたが、さらにこれから、打ち上げという段取りは、申し訳なくも気分が高揚しているという次第です <(_ _)>
あぁ~~、明日の事なんて、ど~でもいいって (^^;
というか、今年は忘年会を盛大にやろうっ!
なぁ~んていう職場の雰囲気を損ねたくないので、サイケおやじもフル参加させていただくことになりました。
日頃は煙たがられている自覚があるので、お仲間に入れていただけるのは感謝しかございません <(_ _)>
それでも早めのフェードアウトは必須でしょう (^^;
明日は高齢者バンドのミニライブも予定されているので、本日は、これにて失礼させていただきます<(_ _)>
■ギター仁義 / 北島三郎 (日本コロムビア)
現在、入れてもらっている高齢者バンドには、昭和40年代に本職の「流し」をやっていたゲストボーカリストが特参しているということで、急遽演目に入れたのが昭和38(1963)年に北島三郎が出した代表曲「ギター仁義」であります。
これは皆様ご存じのとおり、北島三郎がルーツとも云える、下積み時代にやっていたギター弾き語りの「流し」を題材にした哀愁演歌であり、そんなこんなの刹那の作詞は嵯峨哲平、そして作曲:遠藤 実&編曲:福田 正が紡ぎ出す、これぞ義理と人情の演歌節こそは、耐えて忍んで、花咲く日を目指しつつ、それが叶わぬ夢と歌う北島三郎の真骨頂!
それは歌い出しから抑えた節回し、じっくり披露する仁義口上のパート、そしてハードボイルドなキメの歌心は何度聴いても心に滲みいるばかりでございます (^^)
で、件の元「流し」氏の話では当時、「流し」を始める最初の必須演目こそが、この「ギター仁義」だったそうですよ (^^)
ということで、我々は敬意を表しつつ、この「ギター仁義」を練習しております。
しかし……、残念なのは元「流し」氏が以前に軽い脳梗塞を患い、左手が不自由になった所為でギターの弾き語りスタイルが出来なくなった事……。
それゆえにバンドスタイルで歌っていただく次第ではありますが、そ~したコラボも双方楽しいわけですし、北島三郎のオリジナルバージョンにしても、それなりの演奏パートが入っていますからねぇ~~♪
最後になりましたが、掲載盤は某さぶちゃんコレクター氏から昔、頂戴したピカピカのシングル盤なんですが、もちろんオリジナルではなく、再発盤との真相も、やはり北島三郎という偉大なボーカリストの永遠の人気を証明する物件でありましょう。
いゃ~~、こんな素敵な歌謡曲賛歌、忘れられてはなりませんよねぇ~~~ (^^)
定期健診で相変わらず……、不整脈の悪化が指摘されました (>_<)
おまけに眼科では緑内障の疑いありとかで…… (>_<)
眼底検査で目の前が真っ白なので、本日は、これにて…… <(_ _)>
■ハイチャイこの町 / 坂芳子 (クラウン)
掲載したのは驚くなかれっ!
以前ご紹介した柳亜矢の前身とされる坂芳子のシングル盤なんですが、ど~です、これが発売された昭和39(1964)年当時の彼女だとしたら、ほとんど中学生だったんでしょうかねぇ~~、それでも既にプロの歌手としてレコードを吹き込んでいるんですから、やっぱり驚きです!?!
しかも、後年の柳亜矢のイメージとは違っているのが当然というジャケ写ポートレートに相応しく、作詞:緒方優作&作曲:越純平、そして編曲:福田正が提供のA面曲「ハイチャイこの町」は、如何にも昭和30年代がド真ん中の正統派歌謡曲であり、ミディアムテンポで素晴らしいばかりのコブシ回しを披露する坂芳子の歌唱力は半端じゃ~ありませんっ!
いゃ~~、声質が年相応というか、如何にも子供っぽいハイトーンボイスで、大人の世界の歌詞を歌っているという倒錯性もニクイところなんですが、だからこそ、後年の純アイドルとは一線を画した芸能の本質を今に伝える証拠物件でありましょうか?
彼女が如何なる芸歴を積み重ねていったのかは知る由もありませんが、ここまで実力のある歌手ですから、残されたレコードには探索する価値が絶対にあると思っている次第です (^^)
ということで、今日は直ぐには聴かないとわかっていながら、洋楽のCDをあれやこれやと物色ゲットしてしまいました……。
自分が若かった頃の事を思い起こせば、バチアタリは百も承知ながら、それでも物欲だけは衰えていないという、その刹那こそが生きている証と自分に言い聞かせているのでした (^^;
■恋みなと / 愛田悦子 (キングレコード)
昭和46(1971)年から約12年間放送され続けたテレビオーディション番組「スター誕生!(日本テレビ)」からデビューした大勢の歌手と云えば、やはりアイドル系のシンガーが多いとはいえ、例えば初代チャンピオンの森昌子を引き合いに出すまでもなく、きっちり正統派歌謡曲のジャンルにもスタアを送り込んでいた事を忘れてはならないと思っています。
で、昭和59(1984)年に本日掲載のシングル盤を出した愛田悦子も、件の「スター誕生!」からデビュー権を獲得したんですが、このジャケ写ポートレートからも一目瞭然、ど~贔屓目に見ても、彼女は三十路前後の熟女系ですから、一般的なイメージに訴える「スター誕生!」出身者という肩書も失礼ながら、それほどの効果は薄かったかもしれませんねぇ~~ (^^;
しかし、確かに彼女の歌唱力は素晴らしく、作詞:水木れいじ&作曲:森田公一、そして編曲:斎藤恒夫が提供のA面曲「恋みなと」は、もちろん正統派歌謡曲の裏人気作!?
いゃ~~、一瞬八代亜紀っぽい歌い出しから、じっくりと泣き節を披露する愛田悦子には、こ~ゆ~港町演歌がジャストミートするんでしょうねぇ~~ (^^;
ちなみに作曲者が森田公一ってのは、本人が「スター誕生!」のレギュラー審査員にして、アイドル歌謡ポップスの第一人者という位置付けがあろうとも、この「恋みなと」の王道演歌の仕上げ方は、流石!
大きなヒットにならなかったのが不思議に思うほどなんですが、いかがなものでしょう。
ということで、告白すれば、この1枚は昨日書きました自宅の大掃除で、全く予想外の場所である仏間の押し入れの中で発見された(?)ブツでして、サイケおやじにしてみれば、中古ゲットした朧げな記憶はあるものの、何故に……、そんな場所にっ!?
ですから、そんな流れでレコードに堂々と針を落としてみれば、いやはやなんとも、年末に相応しいという保守本流の歌謡曲が流れ出したという次第です (^^;
う~ん、大掃除も、たまにはイイですね (^^;
凡そ……、6年ぶりで自宅の大掃除の1日でした (^^;
もちろん、サイケおやじの自室は頑なに拒否しての行動ではありますが、それでも様々な物品が出て来たもんですから、これから借りているトランクルームに搬入という次第です (^^;
それにしても、サイケおやじに対する周囲の冷たい態度・視線が気になったのは、自業自得の自意識過剰でしょうか……。
せつないなぁ…… (^^;
■白い大地は誰のもの / キャシー中島 (クラウン)
掲載したのは不気味なジャケ写でお馴染み(?)の1枚と云えるのでしょうか、これが世に出た昭和47(1972)年当時、このシングル盤の主役たるキャシー中島は人気モデルとしてCMや雑誌グラビア等々で活躍し、大いに存在感を高めていた頃でしたから、こんな心霊写真みたいな不気味なデザインが用いられたのは、何故だったんでしょうかねぇ~~~???
しかも、ウリのA面曲「白い大地は誰のもの」が作詞:女井レミ&作編曲:馬飼野俊一とクレジットされた、ちょいと幻想的なポップス歌謡であり、それが決して歌が上手いとは言い難いキャシー中島の危なっかしい節回しにはジャストミートしているんですから、いゃ~~、これって……、確信犯だったんでしょうかねぇ~~~???
ちなみに彼女が芸能界へ入ったのはモデル業からの流れとはいえ、既に昭和44(1969)年にはカサノバ7と名乗るグループのメンバーとして歌手デビューしていたという履歴が残っている事から、ソロシンガーとしての再デビューについても、それほどの抵抗は無かったんでしょうか???
一説によれば、同時期に「キャッシー」名義で吹き込んだシングル盤を出しているらしいんですが、その現物を所有しておりませんので、サイケおやじにとっては、この「白い大地は誰のもの」がキャシー中島のソロデビュー曲という考え方(?)であります (^^;
そして続く「涙のドレス」がセクシー歌謡の人気曲として現在でも評価されているあたりは、彼女が男好きするタイプの証かもしれません。
最近はグッと質量を増した佇まいではありますが、若き日の彼女にお世話になっていた野郎どもは、サイケおやじと同世代の皆様と拝察する次第です (^^;
ということで、愛用のアンプの不調も所謂「だましだまし」状態ながら使えるみたいですね、まだまだ (^^;
本日は高齢者バンドの練習にも参加出来ましたし、それなりに事が運ぶならば、流れに逆らわないのが得策と思うばかりです。
長年使っているアンプの調子が悪いというか、不安定の極み!?
全然パワーが昇らないんですよ <(_ _)>
年末のトラブルは本当に困りものです。