WOWOWの舞台中継。2003年シアターコクーンで。蜷川幸雄演出による藤原竜也演ずる若きハムレットはシェイクスピアの古典悲劇。装置がない舞台に金網をボックス状に張り巡らし、四方の客席から見られるようになっている。急死したハムレットの父親の亡霊が舞台に現れたり、消えたりするときだけ、下に下りる仕掛けが作動するというシンプルさ。役者も客席から登場したりという観客との一体感を強調するものになっている。
ホレイショーに亡霊が出たことを報告した見張りの兵はデンマークがこのところ軍備増強に励み、終日働かせられていると嘆く。ホレイショーは、隣国ノルウェーの王フォーティンブラスとハムレットが領土を賭けて決闘し、それでフォーティンブラスは負けたけれど、同じ名前の息子が虎視眈々と領土奪還を狙っているからだと両国の関係を説明する。
ハムレット(藤原竜也)は、急死した父親の亡霊から父の弟である叔父、クローディアス(西岡徳間)が自分を殺したのだと言われる。父を殺した叔父は母ガートルード(高橋恵子)を妻に迎えている。老臣ポローニアスの娘オフィーリア(鈴木杏)との愛を犠牲にしても復讐を誓うが、ハムレットは旅の一座に2人の前で父王殺しの芝居をやらせ、その反応からクローデイアスの父殺しの確信を得る。
母とハムレットが芝居の後で言い合いをしているのを聞いていたポローニアスをハムレットは誤って殺してしまい、ハムレットは学友と共にイギリスへ送られる。父が亡くなり、ハムレットからの愛も失って狂ったようになっていたオフィーリアは流れる川に落ち、亡くなってしまう。
オフィーリアの葬儀に亡くなったと思われていたハムレットが現れた。イギリスに送られたときしたためられていたクローディアスからの謀殺を促す一筆を、ハムレットは見破り書き換えていたのだった。フランス留学から帰国したオフィーリアの兄レアティーズは仇を討とうとハムレットとの試合に臨んだが、そこにははクローディアスの策謀で剣先に毒が塗られ、合間に飲み干すお酒にも毒が入れられていた。
2人は相打ちの形になり息絶える。ガートルードは毒杯を飲み、クローディアスも殺される。ことの顛末を国民に知らせようと誓うホレイショーの目の前には、ノルウェー王のフォーティンブラスが現るー。
シェイクスピアのハムレットといっても、―To be, or not to be・・・という有名な文は、英文購読の授業にさかのぼるほどのはるかかなたの時間だし、’97年のケネス・ブラマーの映画『ハムレット』がもっとも身近な案内になってしまうという頼りないものでしかない。
ケネス・ブラマーより藤原竜也のハムレットのほうがずーっといい。そう思えるほど、若さに溢れ、台詞回しも素晴らしく、この舞台ですっかり竜也ファンになってしまった。藤原竜也の為に用意されたハムレット。そういっても過言ではないほど、素晴らしかった。
オフィーリアは映画では、ケイト・ウィンスレットがやっていた。杏ちゃんは繊細というよりかなりたくましい感じに見えてしまったが、まだ高校生くらいでよくこの難役に挑んだのでは。映画ではジュリー・クリスティがやっていたガートルードを高橋恵子さんが。
かつての映画スターが様々な人生を経て、こんな大きな息子のいる母親役をねえ、と時の流れをかんじてしまった。セリフも良く通る声ではっきり聞き取れ、年齢と共に妖艶な魅力が増して、兄と弟を愛憎に巻き込むほどの大輪の薔薇のような華やかさであたりを圧倒していた。
蜷川幸雄と藤原竜也のトークというおまけがついていたが、『ゲバラ』の自伝を渡したというのにはビックリ。しかも蜷川が「変革し続けよう」なんて藤原竜也にいっていたのには、もっとビックリ。今の時代にこういう真正面からぶつかろうという情熱を持つ人がいて、それにこたえようという若者がいるんだということにー。
地味な練習に明け暮れる舞台役者の仕事を選択したことに大きな拍手!!若さが失われる年齢になったとき、その積み重ねがきっと大きな財産となって跳ね返ってくると思うよ。「ロミオとジュリエット」の舞台も楽しみだー。
ホレイショーに亡霊が出たことを報告した見張りの兵はデンマークがこのところ軍備増強に励み、終日働かせられていると嘆く。ホレイショーは、隣国ノルウェーの王フォーティンブラスとハムレットが領土を賭けて決闘し、それでフォーティンブラスは負けたけれど、同じ名前の息子が虎視眈々と領土奪還を狙っているからだと両国の関係を説明する。
ハムレット(藤原竜也)は、急死した父親の亡霊から父の弟である叔父、クローディアス(西岡徳間)が自分を殺したのだと言われる。父を殺した叔父は母ガートルード(高橋恵子)を妻に迎えている。老臣ポローニアスの娘オフィーリア(鈴木杏)との愛を犠牲にしても復讐を誓うが、ハムレットは旅の一座に2人の前で父王殺しの芝居をやらせ、その反応からクローデイアスの父殺しの確信を得る。
母とハムレットが芝居の後で言い合いをしているのを聞いていたポローニアスをハムレットは誤って殺してしまい、ハムレットは学友と共にイギリスへ送られる。父が亡くなり、ハムレットからの愛も失って狂ったようになっていたオフィーリアは流れる川に落ち、亡くなってしまう。
オフィーリアの葬儀に亡くなったと思われていたハムレットが現れた。イギリスに送られたときしたためられていたクローディアスからの謀殺を促す一筆を、ハムレットは見破り書き換えていたのだった。フランス留学から帰国したオフィーリアの兄レアティーズは仇を討とうとハムレットとの試合に臨んだが、そこにははクローディアスの策謀で剣先に毒が塗られ、合間に飲み干すお酒にも毒が入れられていた。
2人は相打ちの形になり息絶える。ガートルードは毒杯を飲み、クローディアスも殺される。ことの顛末を国民に知らせようと誓うホレイショーの目の前には、ノルウェー王のフォーティンブラスが現るー。
シェイクスピアのハムレットといっても、―To be, or not to be・・・という有名な文は、英文購読の授業にさかのぼるほどのはるかかなたの時間だし、’97年のケネス・ブラマーの映画『ハムレット』がもっとも身近な案内になってしまうという頼りないものでしかない。
ケネス・ブラマーより藤原竜也のハムレットのほうがずーっといい。そう思えるほど、若さに溢れ、台詞回しも素晴らしく、この舞台ですっかり竜也ファンになってしまった。藤原竜也の為に用意されたハムレット。そういっても過言ではないほど、素晴らしかった。
オフィーリアは映画では、ケイト・ウィンスレットがやっていた。杏ちゃんは繊細というよりかなりたくましい感じに見えてしまったが、まだ高校生くらいでよくこの難役に挑んだのでは。映画ではジュリー・クリスティがやっていたガートルードを高橋恵子さんが。
かつての映画スターが様々な人生を経て、こんな大きな息子のいる母親役をねえ、と時の流れをかんじてしまった。セリフも良く通る声ではっきり聞き取れ、年齢と共に妖艶な魅力が増して、兄と弟を愛憎に巻き込むほどの大輪の薔薇のような華やかさであたりを圧倒していた。
蜷川幸雄と藤原竜也のトークというおまけがついていたが、『ゲバラ』の自伝を渡したというのにはビックリ。しかも蜷川が「変革し続けよう」なんて藤原竜也にいっていたのには、もっとビックリ。今の時代にこういう真正面からぶつかろうという情熱を持つ人がいて、それにこたえようという若者がいるんだということにー。
地味な練習に明け暮れる舞台役者の仕事を選択したことに大きな拍手!!若さが失われる年齢になったとき、その積み重ねがきっと大きな財産となって跳ね返ってくると思うよ。「ロミオとジュリエット」の舞台も楽しみだー。
舞台で自分を解放している、というか、ハムレットってどういうイメージだっけ?と考え直してしまうほど、若いハムレットにまったく違和感がなかった。台詞も動きも素晴らしく、乗り移っているかのよう。復讐を心に誓う部分などもものすごく長い台詞回しなのに、よくあるハムレットの台詞の長すぎる感じが全く不快ではなかった。
賞をとったということだけれど、それだけの価値がある。本当に素晴らしい演技だと思う。
藤原竜也というと、今まで王子様アイドル的なイメージしかなくて、しんとくまるでも感心こそしたけれどあまり好きだとは思わなかったけど、この舞台では本当に素晴らしくて、一気にファンになった。ひとりの俳優さんとしても、舞台に立つだけで華があって、オバサマファンが多いのにもうなづける。
革命というからには、ロミオとジュリエット以外にももっと期待をいい意味で裏切ってくれる新作を待ちたいところ。
私もこれを見て、藤原竜也の魅力に気づいた一人です。
after talkで話題になっていた自伝、藤原が絶賛していましたよね。
気になったのに著者名忘れちゃって、尚更気になっていたんです。
おかげでスッキリしました^^