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~サッカーを中心に日々の雑感など~

日めくり万葉集(176)

2008年10月30日 | 万葉集
日めくり万葉集(176)は巻3・348、大伴旅人の酒を讃(ほ)むる歌。選者は酒をこよなく愛する発酵学者の小泉武夫さん。

【訳】
この世でさえ楽しかったら、来世では虫にでも鳥にでもわたしはなってしまおう。

【選者の言葉】
この世で酒を飲んで楽しかったら、もうそれでいい。あの世に行ったら虫にでも鳥にでもなってやっていい。つまり、虫にも鳥にももう人間の感覚はないので、もうなんでもいいよという。

逆にこの世の酒をいかに自分が離せないかという、すさまじい歌。この酒を讃える13首は晩年の歌で大切にして愛していた奥さんを(この13首の前に)亡くしてしまう。

大宰府に赴任してからすぐ亡くなり、ものすごく悲しみ、ものすごく酒を飲んだ。老い迫った晩年に奥さんが亡くなった。あー、悲しいなあということで日ごろから好きな酒にさらにわびしさ、悲しさが加わった。

酒を讃える歌だが、人生における無常の人生観を詠っている。酒を飲むと現世から遠ざかるようなフワフワした気持ちになる。これは空を飛ぶ鳥とか虫にかけている。

酔い心地がこの歌のなかに入っている。それがとてもおもしろい。しかし何といってもこの世でもう長く生きていないと言うことで、この2年後くらいに旅人も亡くなってしまう。

自分がこの世を去るということを心の中で知っていて酒を飲んでいた。旅人の人生哀歌の中における酒の味というのは、ほろ苦い味もあったし、思い出の味、いろんな味があったと思う。

人生を振り返ったり、いろいろな喜怒哀楽のためにお酒はあって、今もお酒はそういう役割をしているんだということを旅人が教えてくれるような歌。

【感想】
選者の小泉さんが実に機嫌よく、この歌を解説している姿が印象的。打ちひしがれるようなことがあっても、ちょっとお酒に付き合ってもらって、愚痴話を聞いてもらえば、また“人間”をやる気になるかともいうような歌。

お酒付きも程度問題でアル中にまでなると厄介だが、フワフワした酔い心地でまた機嫌を直してくれるんならまあ、いいかと。もう他界した父も毎晩晩酌をしていたものだった。

旅人のように妻を亡くし、その後転勤した土地では相手はまだ10代の末娘が一人。こちらも転校してなにかと大変なとき。毎晩どこかへ飲みに行っていたらしく、その筋の?女性から電話がかかったりして、親子の仲は一時かなり険悪になったりしたものだ。

もう大人になって考えれば、どうしようもなく淋しかったんだろうなあとは思うものの、なにしろ融通の利かない?10代の頃だから、何でもストレートな反応しか出来なかった。実際、父は鼻筋が通った“いい男”で大変なお洒落。それでどこへいっても“持てた”ので、若い頃はそのことで母と一悶着あったらしい。

しかしそのころも家にいるとき、もっと後になってから退職した後で食卓を囲んだときの話は貴重だった。父が“一杯”やりながらいろんな話をした。まあ、細かいことは忘れたが、そんな風にじかに父と長く話したのは他の姉兄にはない体験だった。

今も印象に残っているのはこちらの話をじっくり聞いた後に《問題意識を持て》ということ。そういうことがとても大事だという話をしていた。そんな話をやりとりして成長したものだから、母親に育てられたのとはかなり違う。

父は戦争を共に乗り越え、病気のときには寄り添ってくれた妻を亡くし、どうしようもない寂しさをお酒に救われた一人だったのだろうと思う。猛烈仕事人間だった厳しい父も晩年は穏やかになり、次第に健康を気遣ってお酒はまったく飲まなくなっていた。







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