シャンソン歌手

シャンソンの好きな方 ようこそ !

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 2017年 養老市1300年祭の シャンソン コンサート その10年前の養老コンサート

2018年01月08日 00時26分13秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 2017年 養老市1300年祭の シャンソン コンサート その10年前の養老コンサート

養老の街は もし佐久間クリニックの開業10周年の2007年に お招きいただいていなければ
養老の滝は 居酒屋チェーン店としか 思い浮かばなかったです。

養老の滝は 親孝行の象徴というだけでなく
最近は とんかつ屋さんで 養老豚という 豚肉が
美味しいという事も 分かり

鈴村家との会食で 養老豚ロース200グラムづつ
頂いて
養老市でのコンサートのDVDも 見たので
養老尽くし・・・

先日 山梨に先祖の写真を引き取りに行ったとき
コメリとかいう 山梨市のスーパーで
養老の水というのも 売っていて
養老は
お水もおいしかった・・・ので
早速 ゲットしました。

最も 富士山の お水もおいしいので
日本は 湧き水が美味しい国です。

10年前の養老での 私のシャンソン コンサートのDVDは 一度も
見ないまま 10年が過ぎてしまい
昨日は
私の歌唱
佐久間クリニック主催の お祝いコンサート 10年前 そして 
昨年の 大々的な養老市1300年祭と佐久間クリニック20周年コンサート
二つのコンサートは
共に
一時間位の 内容のものですが

鈴村家の 大きいテレビ画面で
立て続けに見させていただきました。

我が家にも DVDやビデオを再生可能の機器と
テレビ画面はありますが
横長に映り
私が 三等身に 見えて 気落ちするので
せめて 私が六等身位に見える
鈴村家のテレビが大好きです。

私の10年前は 女ざかりで とんでもなく 色っぽくて
いやらしくて 妖艶で 
驚きましたよ。
女ざかりのフェロモンが 仰天するくらいに
溢れています。52歳。

ぴーパパ は あー10年前のリリさんが 絶対に 良いよ
と おっしゃり
私は
「パパーー もう二度と 戻れない昔よーー
女現役っていう感じの私で 自分で見ていて聞いていて 色気がムンムンで
驚くけれど 二度と戻れない私の旬の女時代だわぁー」

と 申しました。
二度と戻れない。過去。
私は 自然に 運命が変化し 人生も変化して 
自然に芸風が変化したことに
我ながら驚いています。
見比べ 聞き比べ出来ました。

へぇえー
こんなに
私は 変化したのねぇ
まるで 別人
私が 自分で仰天・・・

ピーママとピーちゃんは お世辞で 今の私の方が良いと
おっしゃるけれど・・・


私は どちらが好きとか判断は出来ない。
だって
10年前の私は 
意図して こういう
妖艶スタイルになったわけでもない。
自然に 妖艶濃厚 女女女。
そして
今の私の 歌唱スタイルも意図してこうなったわけではないものねぇ。

10年前に 私の伴奏者として 養老のシャンソンコンサートに
お連れした ピアニストは 芸大の後輩の作曲家ピアニスト
徳永洋明さんと
先日 玉三郎のシャンソンリサイタルの時 素晴らしいバイオリンを
バンドの中で弾いていた女性の会田桃子さん

昨年の養老祭は 近藤正春さんのピアノと 宮崎仁さんのドラムパーカッション
に お願いして 演奏全体は 芸術的な仕上がりでした。

鈴村家シャンソン家族たちの知らない 私の時代の
演奏家の話を 日曜日の明け方まで して
少し 昔話を懐かしいなぁーと 思っていました。

そうしたら
なんとなんと
日曜日の夕方 
その 養老10年前のDVDで 伴奏を弾いていた徳永洋明さんから
電話があり

背筋に電気が走りました。

ななななっんと・・・養老DVDで 昨日の夜
見ていたところよー
どうしたの・・・突然の電話なんて・・・

長坂さんが 35年くらい前に NHKの番組
「題名のない音楽会」で 歌っているDVDを 偶然
見たので 電話しましたーとのこと。

徳永さんは 結婚して 二人のお子さんのお父さんになって
いるそうです。
芸大の声楽科大学院出身の奥様は 
以前 紹介していただいたことがあるので
家庭が円満な様子が知れたのも 嬉しかったけれど・・・

なにより

今年 三月の内幸町ホールで伴奏を弾くはずの
末永正博さんが 手術入院することになったので
伴奏が弾けない・・・・と
悲しい知らせを 昨日受けたので

徳永さんに 代打が出来るか伺ったら
OK
ということで・・・

伴奏譜面の制作も 末永さんが入院している間は
不可能なので
それも お願いすることにいたしました。

こういうのは
ラッキー ということだとおもいます。

徳永弘明さんは 特殊な人で
かつて
私のリサイタルの伴奏では 一時間でも 二時間でも
全て 譜面無しで 暗譜で弾いてしまうピアニストでした。

日本シャンソン館に 毎月 歌いに伺い始めた2005年ころ
ずっと 伴奏していただいていたので
その時も 伴奏譜面無しで 何でも弾いていたような
想い出があります。

芸大出身の作曲家ピアニストって
そういうタイプの クリエイティブ脳の人も多いので
また
再び 伴奏していただく 運命が やってきた・・・
という事だと思いますが
ワクワクしてきました。

ラッキーは また 降ってきました。
運命の悲しさ 切なさ だけではなくて
ラッキーは 天から降ってくる・・・感謝感謝。

ラッキーガールのまま 今年も 年末が来ますように・・・
ピーちゃんママは 富士山パワーだぁーと
ご自宅に
私の年始カードの富士山を飾ってくれていました。