シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 美しい花達の香りと共に音楽する
本日は 寒く感じます。
梅雨入りしてから 重い雲の空
なのに 雨は それ程は降らず 薄ら寒い。
セーターを 二枚着て 靴下履いています。
大きなステーキに
付け合せは ニンニク 新玉ねぎ キャベツを
オリーブで 焼いて たんまりどっさり。
パンは クルミパン。
エネルギー栄養を肉体へ 注入。
寒いので
もう眠くなりました。
本日は 早く寝て 明日 練習しよかなー
寒いのは 苦手です。
室温は24度あるのに・・・
帝国ホテルの
皆さまからのプレゼント花達は
今朝 寝る前に
水切りして 活け替えてみました。
お稽古の皆さん達と その美しさを眺めて
内幸町の思いでの話題で盛り上がり
幸せの 余韻に 浸っています。
本番の出来も 立派でしたけれど
それより それまでの 道程が 美しい。
それぞれに それぞれの ドラマがありました。
舞台の後は 私も
達成感と反省と 次への意欲と
こもごもの 思いが募ります。
舞台前の 恐怖 焦り 心配などが
すとーん と 消えてしまうと
精神は 弛緩しますから
気落ちした感じになることもあります。
なので せっせと 次の目標に向かうと
また 精神は 高揚してくるものです。
音楽というものを 絶え間なく
身体に 植えつけていると
それ無しの
人生なんてあり得ない程に 心身に
染み渡る五感の躍動感に敏感になります。
天からのギフトが 音楽です。
花達も然り
花の無い生活なんて 寂しくて 寂しくて・・・
ドビュシーやフォーレ ラベルの
フランス音楽は フランス語のニュアンスです。
色彩の豊かな音の流麗さがあります。
フランス語シャンソンには その 流麗さと
ラテン民族の情熱と エネルギーと
立ち向かう爆発的ではないけれど
したたかな強さが あります。
サンサーンスのオペラの壮大さに近い
スケールを 感じるシャンソンもあります。
街の小さな シャンソンバー
大きなホールの芸術としてのシャンソン
色々 シャンソンも 楽しみ方があります。
私は
大舞台で通用するスケールを身につけたいと
二十代から オペラ修行をしましたけれど
小さな お店で たった一人のお客様の為にも
全身全霊で 歌ってあげたいと
その頃から思っていました。
弾き語りして歌う私の方が心がこもっていると
言われて驚いたこともあります。
お店で毎夜 弾き語りした時代
もあり 良い経験でした。
別れた恋人や 別れた夫達にも面と向かって
歌唱したことも
あります。喜んでいました。
別に恥ずかしくもなく 舞台の時と同じように
心を込めて歌いました。
私自身が 歌だから 私は私というシャンソンに
なってしまっているようです。
子供の頃の恥ずかしがり屋の私は
いつのまにか 卒業したらしいです。
歌う私が もっとも私らしい姿に
いつのまにか なったみたいです。
花の命は短くて・・・加齢して 歌手でいつづける
寿命年数が減り始めて
ますます 音楽家で居られるありがたさを
毎度の舞台で 噛みしめています。
本日は 寒く感じます。
梅雨入りしてから 重い雲の空
なのに 雨は それ程は降らず 薄ら寒い。
セーターを 二枚着て 靴下履いています。
大きなステーキに
付け合せは ニンニク 新玉ねぎ キャベツを
オリーブで 焼いて たんまりどっさり。
パンは クルミパン。
エネルギー栄養を肉体へ 注入。
寒いので
もう眠くなりました。
本日は 早く寝て 明日 練習しよかなー
寒いのは 苦手です。
室温は24度あるのに・・・
帝国ホテルの
皆さまからのプレゼント花達は
今朝 寝る前に
水切りして 活け替えてみました。
お稽古の皆さん達と その美しさを眺めて
内幸町の思いでの話題で盛り上がり
幸せの 余韻に 浸っています。
本番の出来も 立派でしたけれど
それより それまでの 道程が 美しい。
それぞれに それぞれの ドラマがありました。
舞台の後は 私も
達成感と反省と 次への意欲と
こもごもの 思いが募ります。
舞台前の 恐怖 焦り 心配などが
すとーん と 消えてしまうと
精神は 弛緩しますから
気落ちした感じになることもあります。
なので せっせと 次の目標に向かうと
また 精神は 高揚してくるものです。
音楽というものを 絶え間なく
身体に 植えつけていると
それ無しの
人生なんてあり得ない程に 心身に
染み渡る五感の躍動感に敏感になります。
天からのギフトが 音楽です。
花達も然り
花の無い生活なんて 寂しくて 寂しくて・・・
ドビュシーやフォーレ ラベルの
フランス音楽は フランス語のニュアンスです。
色彩の豊かな音の流麗さがあります。
フランス語シャンソンには その 流麗さと
ラテン民族の情熱と エネルギーと
立ち向かう爆発的ではないけれど
したたかな強さが あります。
サンサーンスのオペラの壮大さに近い
スケールを 感じるシャンソンもあります。
街の小さな シャンソンバー
大きなホールの芸術としてのシャンソン
色々 シャンソンも 楽しみ方があります。
私は
大舞台で通用するスケールを身につけたいと
二十代から オペラ修行をしましたけれど
小さな お店で たった一人のお客様の為にも
全身全霊で 歌ってあげたいと
その頃から思っていました。
弾き語りして歌う私の方が心がこもっていると
言われて驚いたこともあります。
お店で毎夜 弾き語りした時代
もあり 良い経験でした。
別れた恋人や 別れた夫達にも面と向かって
歌唱したことも
あります。喜んでいました。
別に恥ずかしくもなく 舞台の時と同じように
心を込めて歌いました。
私自身が 歌だから 私は私というシャンソンに
なってしまっているようです。
子供の頃の恥ずかしがり屋の私は
いつのまにか 卒業したらしいです。
歌う私が もっとも私らしい姿に
いつのまにか なったみたいです。
花の命は短くて・・・加齢して 歌手でいつづける
寿命年数が減り始めて
ますます 音楽家で居られるありがたさを
毎度の舞台で 噛みしめています。