シャンソン歌手リリ・レイ 長坂玲 銀座シャンソンの店
いつもの月曜日は シャンソンのレッスンで ずーっと八時間以上
ピアノの前に居るのですが 今日は お二人だけ 生徒さんが
レッスンに見えました。
陣中見舞いのお客様や あちらこちらから電話があり
なんとなく 地震の後なんだなー と感じます。
銀座並木通りでは お休みする店は無く 私のシャンソンの店も
負けていられない・・・夜10時半までは 開けていましたけれど
流石に夜は静かでしたから 早めに帰宅しました。
家までの 道路を観察しながら 車を走らせましたけれど
車は 渋滞も世田谷通りだけで がらがらでした。高速は乗らずに
下の道を走り 気がついたのは 自転車に乗って走る人が多い事です。
夜半に こんなに自転車人を 見たのは初めてです。
自宅の沿線駅のスーパーは いつもより早くしまっていました。
女一人 生きて食べるには 何も買わなくても 何とかなるから
慌てず バタバタせず 冷蔵庫の整理整頓・・・
ベルギーの かつての伴奏者レダエリ氏から電話があったり
パリのアコーディオン弾き ダビットからメールがあり
電話をしました。
諸外国では ニュースが日本の地震の映像ばかりらしくて
私より パニックになっているような 電話の声です。
「リリは 無事に生きていたら 五月はパリに行くからね・・・」
と言って 笑ったら 会いたいとか 待ってるとか
嬉しい言葉を頂きました。
日本人以外の他国の人々にとったら
日本人は特別級に冷静沈着で驚かれます。
人生は 何が起こるか分からない・・・・シャンソンって
たしか 第二次世界大戦後 パリで花開いた 生き抜く人間の歌だった。
今日は 練習をサボったけれど 明日は 練習するぞー
店に居ると 色々な情報を聞いて 身の書し方を 無駄に考えたり
しますが とにかく 普通で居ようー
私が目指していたのは 船が沈むまで演奏していた
タイタニックの映画のラストシーンの
音楽家のようでありたいと思ったのだから 音楽家でいよう。
今こうして自宅に居られる事に感謝しよう。
いつもの月曜日は シャンソンのレッスンで ずーっと八時間以上
ピアノの前に居るのですが 今日は お二人だけ 生徒さんが
レッスンに見えました。
陣中見舞いのお客様や あちらこちらから電話があり
なんとなく 地震の後なんだなー と感じます。
銀座並木通りでは お休みする店は無く 私のシャンソンの店も
負けていられない・・・夜10時半までは 開けていましたけれど
流石に夜は静かでしたから 早めに帰宅しました。
家までの 道路を観察しながら 車を走らせましたけれど
車は 渋滞も世田谷通りだけで がらがらでした。高速は乗らずに
下の道を走り 気がついたのは 自転車に乗って走る人が多い事です。
夜半に こんなに自転車人を 見たのは初めてです。
自宅の沿線駅のスーパーは いつもより早くしまっていました。
女一人 生きて食べるには 何も買わなくても 何とかなるから
慌てず バタバタせず 冷蔵庫の整理整頓・・・
ベルギーの かつての伴奏者レダエリ氏から電話があったり
パリのアコーディオン弾き ダビットからメールがあり
電話をしました。
諸外国では ニュースが日本の地震の映像ばかりらしくて
私より パニックになっているような 電話の声です。
「リリは 無事に生きていたら 五月はパリに行くからね・・・」
と言って 笑ったら 会いたいとか 待ってるとか
嬉しい言葉を頂きました。
日本人以外の他国の人々にとったら
日本人は特別級に冷静沈着で驚かれます。
人生は 何が起こるか分からない・・・・シャンソンって
たしか 第二次世界大戦後 パリで花開いた 生き抜く人間の歌だった。
今日は 練習をサボったけれど 明日は 練習するぞー
店に居ると 色々な情報を聞いて 身の書し方を 無駄に考えたり
しますが とにかく 普通で居ようー
私が目指していたのは 船が沈むまで演奏していた
タイタニックの映画のラストシーンの
音楽家のようでありたいと思ったのだから 音楽家でいよう。
今こうして自宅に居られる事に感謝しよう。