私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

山崎で ターンアート展

2018-05-03 14:26:10 | ギャラリー散策
 5月 3日(木) 憲法記念日    天気:曇り   室温;24.1℃

 きょうは 山崎の防災センターで行われている ”第10回記念 ターンアート展” を
見に行きました。 防災センターへ行く前に まず 「黒田官兵衛 飛躍の地」 の石碑
を見に行きます。 4月17日の新聞の ”はりま歴史探訪” に載っていました。
 新聞には 戦国武将・黒田官兵衛の 「飛躍の地」 記念碑の除幕式が 今月1日 山崎
町の篠ノ丸城跡のふもとにある弁天池駐車場であった。 碑の裏には 「ここ宍粟の地
は 官兵衛が 領主になった地」 などと 記されている。
 「飛躍の地」 記念碑の左横には 「黒田熊之助 ゆかりの地」 の石碑があり 石碑の
裏には 以下のように 刻まれています。 (2017.11.13に 訪れました)

 古来 宍粟郡山崎の地は 南北には 山陽と山陰、東西には 近畿地方と中国地方の交通の
結節点として 重要な位置を占めてきました。 とりわけ 戦国時代末期にあっては 東
から 織田信長、羽柴秀吉の勢力と 中国地方の毛利氏の勢力が 対峙した地域でした。
 宍粟郡周辺を治めていた 宇野政頼・祐清父子は 最後まで 秀吉勢力に抵抗しましたが
天正8年(1580) 秀吉の軍勢の攻撃によって 長水城、篠ノ丸城は ついに落城する
ことになりました。

 天正12年(1584) 黒田官兵衛孝高が 秀吉より 「宍粟郡一職」(黒田家文書)を
与えられ 後の黒田家隆盛への 「飛躍の地」 となりました。
 黒田孝高の子息には 福岡藩・初代藩主となった 黒田長政が いましたが 福岡藩が 編纂し
た 「黒田家譜」 によれば 天正10年(1582) に  「次男熊之助生る」 と記されて
います。 また 黒田家の菩提寺である福岡市の崇福寺にある 「黒田熊之助碑」 には 「黒
田熊之助君孝高公次子、而長政公同母弟也、天正10年、生干播磨山崎城」 と刻まれており
熊之助の山崎生誕説を 裏づけるものとなっています。
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 防災センターの前の駐車場に 車を停めて 防災センターの4、5階で 行われている ”第10
回記念 ターンアート展”(主催:ターンアートクラブ) を見ます。 今回は 絵てがみの
展示もあります。 まず 4階の絵てがみの部屋から まわります。




     ごあいさつ
 宍粟を中心に 絵を描いたり 工芸品を作成したりしている者と同じ 宍粟で育ち 全国で 活
動する者とが ともに ふるさとに 芸術活動のともしびを 灯そうと 始まったこのターンア
ート展も 今回で 10回目を迎えました。
 第4回展からは 後に育つ子どもたちの育成を目指し 小・中学生、高校生の展覧会も
同時開催して参りました。
 これまでの出展作家は 延150名、参加小中高校生も 延800名を越えています。 また
ご来場の頂いた方々の人数も 4000名に 達しております。


 私たちは 文化・芸術は 心の栄養と考えております。 この活動を通して 文化・芸術に
親しんでいただくとともに 幸せのパラダイムを ときどき 変換あるいは 修正しながら 皆さ
んの笑顔を増やせたり ここで育つこどもたちが 将来に明るい夢や希望を もてるような一
つの道標(みちしるべ)を 提示できればと思います。
 高覧頂くことで 少しでも心が豊かになったり 和んでいただければ 幸いです。 素敵な
時間を ゆったりお楽しみください。     ターンアート・クラブ会長 志水 和司






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