西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

送別会

2010-03-27 00:28:19 | 日記
今日(12時を越えているので正確には昨日)妻中の先生方の送別会がありました。計11名の移動でした。赴任期間の短い先生、4年5年の長い先生もおられました。それぞれがお別れの言葉を言われました、これから勉強して試験に通りますと言われる若い先生、単身赴任で小さな学校に行かれる先生の期待と不安を話された先生、その中でも4年5年おられた先生に共通したのは、あの荒れた時代、子供達に一所懸命向かい合い、教えた思い出を話されたことです。大変つらい思いをされたでしょうが、今学校は良くなり懐かしそうにあの時のことを話されました。晴れ晴れとした表情でした。その後2次会に行きたっぷり歌い、飲みました。妻中を去られる先生方有り難うございました。おかげさまで、本当に良い学校になりました。さて昼間、久しぶりに銀鏡に行きました。山サクラの咲く中をドライブするのはとっても気持ちいいです、銀鏡の棚田、春の訪れを見せてくれる緑、そしてまだひんやりとする清涼な空気は銀鏡の良さを再発見しました。本当に美しい村です。西米良に行きました。うれしいことに黒木村長が次も西米良の舵取りをされる事が決まりました。素晴らしいリーダーシップをとられる方です。これからもますます西米良は楽しみです。いらしゃるかな、と思い役場に行きましたが残念ながらお会いできませんでした。帰り際にお電話をいただきました、有り難うございます。小河写真館にも寄りました。色々と話が出来、楽しい時間を過ごせました。県立美術館で写真展を近々されるとのことです。詳細はまたここに書きたいと思います。今日も充実した1日でした。お休みなさい
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楽しい予定がいっぱい

2010-03-25 22:23:29 | 日記
3月も後半になると、素敵な催しがいっぱいです。まず最初は先日ブログに書きました妻高等学校女声合唱団演奏会が明日(3/26)おこなわれます。場所はメディキット県民文化センターのアイザックスターンホールです。日本でも指折りの合唱をご堪能ください。私は妻中学校先生の送別会がありいけませんが、父、母、叔母、ご友人、フラクタスの水元さんご家族が楽しみにしているようです。当日券ありです。さて週末からは西都3大まつり、花まつりが西都原御陵墓前広場を中心におこなわれます。桜は例年より開花が早いように思えます。菜の花と桜の花の競演をお楽しみください。27日はピンクピンクピンク大作戦がが市内中心部でおこなわれます、子供達にまちなかの桜川に親しんでもらおうと、実行委員会が企画を練っています子供達みんな大集合ですね。同日28日はまちなかギャラリー夢たまごで尾八重神楽奉納がおこなわれます。現在第3回西都仮面展が開催中です(この仮面、特に女人の面に私の芸術的センサーが反応しました。あの仮面をかぶらせてポートレートが撮りたい・・)ちなみに尾八重神楽は県の無形文化財に指定されています。皆さん楽しみましょう。                                                                     さて今日西都市立の小学校では卒業式が行われました。私は妻北小学校の式に妻中PTAの代表として参列致しました。子供達は(卒業生も、送る5年生も)姿勢がまったく乱れ無く、声も良く出た素晴らしい式でした。竹之下校長先生はご退職されるので、最後の卒業式があのような素晴らしい式で感動されたと思います。卒業生の皆さんおめでとうございます、そして素晴らしい式を見せてくれて有り難う。                                                                                竹之下先生は式辞で子供達に3つの「あ」の言葉を贈られました。1.挨拶の「あ」2.明るい人の「あ」3.あきらめない「あ」です。これをそのまま今の私の心に刻まさせて頂きます。
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心に響いた言葉

2010-03-24 21:02:02 | 日記
私は12,3年ほど前から手帳は自作です。20穴の安いバインダーを使っています。A5のバインダー用のノートの片面に2週間分の日程の罫線を引き、反対側はしらの状態のページで構成する部分、住所録、気に入った言葉を書き留める部分、はがきなど入れることの出来るポケット、切り抜きをのり付けできるノート、などで配置しています。ある程度たまったらバインダーからはずし、紙ファイルにとじ直します、するとファイルは日記のような状態になります。さて先日手帳がだいぶ厚くなったのでページを整理しようとしました。するとほぼ一年前の新聞の切り抜きが(正確に言うと、新聞をコピーしたものの切り抜き)出てきました。2009年3月28日の宮崎日日新聞の記事でした。その記事は「あのころ映画があった47」で、小津安二郎監督の「東京物語」の紹介でした。その導入部分の引用部が読んだ私の心にずしっときました。今日はその文を紹介したいと思います。                                                                               「結婚して子供を生み、そして子供に背向かれ、老いくたばって死ぬ・・・そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、一番価値ある存在なんだ」(吉本隆明『敗北の構造』)                                                     ちょっと前に「勝ち組」「まけ組」など品位の無い言葉が盛んに言われました、その言葉がとってもいやでした。もちろん歴史に名を残した方々は素晴らしい方々です。でもほとんどの大多数は普通の生き方をしてきた人たちです。その生き方を否定こそしないまでも、そこに価値を見いだそうとしない思慮の無さはいやでした。そこに前記の吉本隆明の言葉が私の心に入ってきました。赤塚不二夫さんがバカボンのパパに言わせた「それでいいのだー」という言葉も、全ての出来事存在をあるがままに肯定し、受け入れる事(タモリさんの弔辞)で同じ意味を感じました。私はフェデリコ・フェリーニの「道」という映画が大好きですが、その中でジェリソミーナーが自分は価値のない人間だ、生きていく資格なんか無い(映画を思い出しだし書いていますから、多少は違うと思いますがご勘弁を)というと、同じサーカスの道化師が道ばたの小石を拾い「こんな小石だって、役に立っているんだ・・」と語りかけるシーンがありました。                                                            そこにいるだけで、君は価値があるんだ・・。
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昔話しです

2010-03-23 23:42:42 | 日記
25年も前のことです、名古屋市の天白区に小さなトレーニングジムがありました。そのジムはプレハブ作りで、備え付けてる器具と言ったらすべてフリーウェイト(ダンベル・バーベルという事です)だけでした。ジムのオーナーは対外的に忙しく、指導はもっぱら安藤さんという初老の小柄なコーチでした。そこでおこなっていたのはほとんど健康維持のトレーニングが中心でした。ある時何人かの練習生が入ってきました。コーチはその練習生達の熱意をかい、トレーニングメニューを考え、熱心に指導始めました。みるみるうちにあげれる重量が増え(パワーリフティングという競技です。スクワット・ベンチプレス・デッドリフトの3種目で競うものです)熱心な指導のおかげで、そのジムから名古屋市新人戦、名古屋市大会、中部日本大会(あのころは中部地区がこの競技の中心でした)全日本社会人学生選抜など優勝するようになったのです。そうするとジムの雰囲気ががらっと変わりました。言葉で言うと「あの人が優勝するんだったら、僕だってやれるんじゃないかな・・」に変わってきます。それは「とっても無理だ」と自分で壁を作っていた練習生達が、良い成績を上げる同僚を見て「なんだ、アレなら簡単にできるじゃん・・」とういう思考に変わり壁を取り払ったのです。そして今何よりすごかったなと思うのは、安藤コーチが自分の手柄にしなかったことです。ジムの練習生は俺が頑張ったから俺の成績は上がったんだと思ったはずです、ジム全体の底上げが簡単にできたのです。壁をなくす環境作りは、大切です。そういった環境の中でこそ、内在している力が発揮されるのです。今までも書きましたが、こうやれと言う強いリーダーシップも大切ですが。それより大切なのは、今持っている秘めた力を十二分に発揮できる環境を作れば、おのずと伸びていくと言うことです。ウムを言わせぬ、指示命令でやらされるんじゃなく(おうおうにして、そういう指示を出したものはうまくいったら自分の力、うまくいかなかったら、やった人間がだめだったと言い放ちます)うまくいけば、自らが達成感を得られるような環境を作ることが、自ずと良い方向に行くという事です。昨年そのお世話になった安藤コーチが亡くなりました。奥様からの年賀状の返信で知りました。私は後悔しました、名古屋を離れた後、ほとんど会うことが無かったからです。恩人のコーチと昔話しをしながら、お酒を酌み交わしながら、あのきつかった練習をお酒の肴に、昔を思い出す喜びが叶えられなくなりました。残念です・・。環境つくりの大切さについては、私はどの場でも同じだと思っています、学校(PTA)でもそうでした、やる気のある先生、生徒達のやる気をそがなければ、自然に良くなりました。市政でも同じだと思います、市役所の職員(プロです)のやる気(と専門知識)、市民のやる気をそがず、働きやすい環境をつくれば西都市は良くなると信じます。今取り組んでいる救急医療もそうです。医師会病院の先生方、事務長を中心としたスタッフは西都児湯の救急医療を何とかしたいという熱意にあふれています、今何より大切なのはその熱意をそがないことです。ハッキリ言って西都の救急医療の宝は今のスタッフの熱意と技術です。私たち自身の命が掛かっています、九州でも指折りの技術を持ちつつあるこの病院を応援していく事が大切です。先日も書きましたが、病院の医師スタッフの熱意がさらに盛り上がり、具体性を創設する環境をつくれば、市が1年間預かっている間に(今の経営は二次救急以上は黒字です、市民がさらに負担することはないと考えます)病院のスタッフ、西都市の行政、市民、が団結して、将来の医療体制を考え行動するなら、宮崎県でも特筆する救急病院が出来ると信じています。現場で頑張っておられる方をこれからも応援していきます。
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感謝

2010-03-23 00:53:40 | 日記
今日午前10時、後援会事務所開きをおこないました。沢山の方が来て頂き心から感謝致します。壁に当たったときに支えていただける後援者がいてくれるのは本当に心強い限りです。西都で生まれ、西都で育ちました。西都は大好きです。53年生きていると(ちなみに今日は私の誕生日です、次女から電話がない、きっと忘れている)いろいろと思うことがあります。残念に思ったこともあります、例えば妻線廃止(時代の流れで廃止やむ無しだったとは思いますが、今からの時代、公共交通機関は大切になってきています。)都万神社から本町への道が分断されたこと(道の成り立ちは、歴史であり文化です。)それでもやはり素晴らしい町ですし、可能性にあふれた町だと思っています。西都原、国府跡など由緒ある歴史(日本のなかでも)、優れた農畜産業、穏やかな市民性、宮崎のへそに当たる交通の利便性、豊富で安価な住宅地、豊かな自然、清らかな水など宝の山です。そのことを市民が気づくことが重要です、さらに将来の西都市の未来像を考えたとき欠けてはならないものを認識することも大切です。医療(救急医療)は最たるものです、脳・心臓疾患で数分が命を左右するとき、搬入病院が見つからなかったり、救急車で1時間近く掛かる場所に、終の棲家を持ってくるでしょうか?親にとって子供の教育は大切です(孟母三遷)荒れた学校、学力の落ちる学校に子供を通わせたいでしょうか?私はいやです。でも逆にこれらが十分に満たされていた町なら、住まいを求めるでしょう。これは家作りで言えば基礎であり土台です、この上に文化芸術、スポーツ環境、市民の交流があるまちなか商店街などあれば、市民は西都市に愛着と誇りを持つでしょう。そういったことを考えています。
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