西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

教育を考える

2010-03-03 21:06:56 | 日記
3/1は教育を考えるというタイトルだったのですが、あの文読んでいただければおわかりのように、飲み会の後だったので、タイトルと内容に少しズレがあります。と言うわけで今日は教育を本当に考える内容にします。私はメールマガジン風に何人かの方にメールを送っています。こういう文です。                                                                               《前回は救急医療について考えを述べました。今回は教育について考えを述べます。ちょっと前に米百俵(百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる‥という長岡藩の話)という話を述べた総理大臣(小泉さん)が居ましたが、教育こそ国、地域をすくうということには同意見です。(首をひねった政策も多々ありましたが…)地域を良くする為には、教育を充実させることが大切です。私はPTAの活動で先生方が本来大切な、子どもたちに向きあう時間が、他の用事でスポイルされる様子をみました。先生が子どもと十分向き合ってもらう(教育のプロとして)には先生方は忙し過ぎます。研究会、報告書提出、研修会、部活動、学校外での指導などなどです。それらの部分を退職された先生方、地域の能力を持っ方の活用、学校の枠を超えたスポーツ倶楽部(体育連盟認定)の存在、保護者の学校教育と家庭教育の区分の理解など、子ども達の健やかな成長を第一の目的にして、大人達が力を合わせれる環境をつくっていくことが重要です。今地方分権の動きがあります。東京霞が関の机で考えたことをただやるのでなく、地域性を生かした教育を行う事ができやすくなっています。十分考え行動しましょう。》                                                中学校(思春期の子供達)における挨拶運動について                                                                私は平成12.13年妻中のPTA会長をやらせていただきました。以前のブログにも書きましたが、役員は学校の環境を整える役(平たく言うと、先生の持っている力を100%子供達の教育向上に向けさせる事)と信念を持っていました(牧雄さんの教えです)さてどう会長として行動すべきか考えました。そして毎朝中学校の校門で子供達に挨拶することにしました。そこから何か見えてくる事を信じました。毎日子供達の顔を見続けると、妻中の子供達が自分の子のように感じられます。自分の中で子供達との距離が近づきました。すごくいい効果がありました、それは行動することにより信頼関係を結びやすくなったのです、それも3方向とです。子供達は毎日おはようと言ってくるおじさんの顔を覚えます。学校(先生方)も保護者も同じように認識することになります。この関係が出来ると何かトラブルが起きても調整しやすくなりました。挨拶運動さまさまです、その時役員に言っていたのは「朝の挨拶運動は子供達に挨拶をさせる運動でなく(TPOです、挨拶を教える場ではさせなくてはいけません、例えば空手(武道)の稽古の時とか)、大人がおはようと子供に声を掛けるものです。思春期(14.5)の不安定な子供は恥ずかしくて、なかなか出来るモンじゃないです(それが正常な発達過程かも知れません)。でもあいさつを受けたことは覚えています、だからあいさつのお返しを私たちじゃなくて、小学生の子供やお年寄りにするかもしれない。それって素晴らしいことだと思いませんか?そして挨拶をうけるのはその社会に入れた安心感を与えます」毎朝子供達の登校風景を見ていると学校の今の状態を肌で感じることが出来ます。「あー良くなってきたなとか、なんか問題が起こりつつあるな」とか、わかってきます。やはり如何に現場にいるかが大切ですね。TVでも言っているじゃないですか、(踊る大捜査線)湾岸署の青島刑事が「事件は会議室でおこっているのでなない、現場で起きているんだ」挨拶はH19.20.21と末っ子が入学したので、同じように行いました。さて、教育実習にきた先生が校門で挨拶をしている私を見てびっくりしたことがありました、その実習生が中学生の時私が挨拶をしていたからです。きっとこう思ったはず「まだやってる」「老けたな・・、」もしくは「何人子どもがいるんだ」いいです許します、でも「ハゲたな・・」と思ったとしたら許しません
コメント
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