西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

まちなか商店街再生への道

2010-03-06 20:55:57 | 日記
1週間前のまちなか地域福祉まつりはとても楽しかった。私がまだ子供の頃の妻の町のにぎわいが再現されたようで、懐かしく思いました。特に思い出すのは夏祭りのにぎわいです。夏祭りのメインはやはり太鼓台です、父から手を引かれ勇壮な(子供心にはこわい)互親組の引き回す太鼓台をドキドキして見たものでした。子供ですから背が足りず、父から肩車されて太鼓台を見ました。あのころの町の中心は本町と平助で(あくまで子供の頃の印象です)まつりでなくとも人々が行き交ってました。そしてまつりで買うイカ焼きや本町にあったひかり劇場(映画館)の前の食堂でまつりの帰りに食べたかき氷の味は今でも懐かしさと共にしっかり思い出すことが出来ます。本町に隣接した桜町には三味線屋さんがあり、芸者置屋があり、子供心にいってはいけない、でもとっても興味がある(今でも同じ・・)なんか大人の秘密の町という感じがしました。なんとなく原色の色合いを帯びたイメージを与えてくれました。一昨年映画「39枚の年賀状」で夏祭りのシーンを河野藤太さんのご厚意で隣地に再現しましたが、まさに記憶の中にあるまつりの賑わいでした(見たとき胸が熱くなるような再現ぶりでした)。今でもまつり振興会の皆さんが伝統を守って夏祭りをほぼ昔のままの状態で継続されておられることは、有り難く思います。                                                それでは今日の本題のまちなか再生について、今思うことを書きたいと思います(あくまで、今ですし、私は商店主ではないので素人考えになるかもしれませんがそのあたりはご容赦を・・)千葉県に木更津という町があり、アクアラインで東京から1時間(多分)の所です。木更津キャッツアイというTV番組があって、とても脚光を浴びてたときがありましたが、ある番組でシャッター街として報道されました。東京から近く、大漁港だった木更津の今を肌で感じてみたいなと思いました。木更津には私の写真友人(長谷川今人さん日本カメラ、アサヒカメラ、アサヒ組写真などなどアマチュアとしては日本最高の写真家と断言します)がいて、彼の作品の中にとっても印象的な木更津の海岸の風景があり、それにも惹かれました。昨年日本カメラの表彰式(今人さんも表彰された)で東京に行ったので、その後今人さんにお願いして木更津にいきました。たった一日だったけど木更津の旧市街地を歩きました。TVでの撮影場所とか漁港とかぶらぶらしました。時間が無くて新市街地はいけませんでしたので、あくまで旧市街地の印象です。これは日本の構造的なゆがみが起こしたものだという思いです。宮崎に比べて東京にあれほど近く、町の成り立ちに歴史のある町でもこうなってしまうんだとの思いです。大量消費、車社会、核家族化、グローバル化等々が旧来の商店街の存在価値を否定してしまったんですね。木更津でさえシャッター街になってしまった、他の地方都市ではなおのことでしょう。そこで思います、まちなか商店街を否定したのが前記の理由ならその反対を考えれば良いんじゃないかと、大量消費でなく少量消費(本物、一生モノ、現地直売)、車社会でなく歩行者社会(車の乗り入れを制限したり、まちなかにベンチがあったり、人と人との対話がある街角)核家族化でなく大家族的な町(お年寄りの施設と子供の施設をまちなかに隣接、遊びの場所の提供)グローバル化でなく地産地消的な思考(スローフーズ・その町で完結しようとする思考)そういった中から、次の時代の商店街の姿があるような気がします。先週のまちなか地域福祉まつりにはその点でヒントがある気がしています。                                                          また時間を作り、高見さん(森の空想ミュージアム館長)が大量の観光客をよぶ町別府に対して少量のお客さんが何度も訪れる湯布院をイメージして町の形を作り上げ、そのやり方を学び町つくりに取り組んだ島原の森岳商店街など先駆的にやっている町があります。行ってみて肌でその地の雰囲気を感じたいと思いました。さて明日はまちなか商店の店主の皆さんが中心となって行う、月に一回の桜川清掃です。少しですが、手伝ってきます。外は雨がざんざんふっています・・・お休みなさい。
コメント
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