公園の仕事を4回ほど連載しました。
全て滝川公園のことでしたが、ボクが職に就いたころは滝川の公園は滝川公園といわれるほどの存在でした。
この公園では維持管理・運営管理を学びました。
でもボクの主任務は新しい公園の造成です。
今回からは初年度から携わり、5年間に渡り従事した北電公園の造成についてです。
まず、公園名から説明しなければなりません。
北電とはもちろん北海道電力㈱のことです。
今は企業が . . . 本文を読む
勤め人シリーズ・公園の仕事・滝川公園を続けます。
滝川公園は今、ボクが担当の頃と随分様変わりしています。
ボートはなくなりましたし、動物舎も売店もジンギスカン屋も今はありません。
公園の管理事務所はもとより、維持管理する人も常駐は一人もいません。
訪れる人も当時とは比較にならないほど少なくなりました。
年に一回か二回訪れます。
そこには明治の頃、こうであったと思われる風景が広がっています。
静寂 . . . 本文を読む
シリーズを中断して、このブログの周辺に少し手をかけましたのでお知らせします。
この頃このブログを記していて、もしかして前に記していたかも?と思ってあわてて前のを見返すことがあります。
本質的には、加齢がもたらす記憶力の減衰によるものでしょう。
ただ、500回を越える投稿済みをチェックするのは並大抵ではありません。
最初からカテゴリーとかプロフィールの欄の存在は知っていました。
面倒なので放って . . . 本文を読む
滝川公園での仕事の続きです。
その日の動物舎とかの仕事は、作業員さんが朝に済ませてくれていたので、ボクの仕事はもっぱらボートの貸し出しです。
その日は晴天に恵まれたせいでしょうか、公園は朝からたくさんの人出でした。
ボート乗り場には早速行列ができ、ボクはボートの利用券を切るのと、放送でボートに「○号艇、時間ですのでお戻りください」と知らせるのに忙殺されてしまいます。
何せ、ボートは全て出払っている . . . 本文を読む
川崎裕喜君はボクのブログの読者で、数少ない理解者の一人でした。
ボクがめげそうになるとき、励まされたものです。
川崎君の死の衝撃を全身に受け、立ち直れないままですが・・・連載を続けます。
今から36年前、ボクが就職し始めてすぐの頃です。
滝川公園の動物舎から、何度かシカやサルが脱走しました。
この頃テレビでよくお目にかかるシーンです。
公園から連絡がありボク達が駆けつけます。
一番気を付けなけれ . . . 本文を読む
今日葬儀のあった、川崎袷喜君へボクからの弔辞です。
川崎君、今、三十年も昔に同じチームで草野球を楽しんでいた頃を思い出しています。
一緒にプレーし一緒に喜び一緒に嘆いていたあの頃、あなたは野球がうまく健康でがっしりした体格で皆を引っ張りリーダー的存在でした。
後に大病を患うなんて、誰も思いもしませんでした。
四年ほど前でしょうか、ボクが昼休みに職場の休憩室で休んでいるとあなたが来て「川崎です。 . . . 本文を読む
このブログの平成20年10月の#167,168に「K君」として紹介した川崎裕喜君が、昨日亡くなりました。
朝、新聞で知りました。享年56才です。
先ほどお悔やみに御自宅を訪れまして、焼香し奥さんとお話しました。
一昨日、容態が急変し昨日未明、帰らぬ人となったそうです。
ボクは彼に8月の初めに逢ったのが最後となります。
7月に呼吸が苦しいと入院したんですが、8月に入ると北大病院に転院すると聞いて . . . 本文を読む
職に就いて5年ほど公園の仕事をしました。(その後、もう一度公園の仕事に戻ります)
当時下水道事業が創成期でしたが、公園も同様でした。
古くからの公園もありましたが、大きな公園の多くはこの時期から20年くらいかけ整備されたものです。
公園緑地係は公園の計画、造成、運営管理、維持管理を全て担っていました。
ボクは主に造成を受け持ちましたが、少ない人数なので全てをこなさなければなりません。
滝川公園と . . . 本文を読む
4月1日の午後5時30分から都市計画課の歓迎会です。
新採用はボクのほか、下水道係に一人配属になりました。
そのほか、庁内異動で新たに都市計画に来た職員も対象でした。
総勢で10数人が、居酒屋での宴会です。
課長から歓迎の言葉をもらって、対象者の一言が求められます。
ボクは飲み会の経験はたくさんありましたが、だらしのないのばっかりでこのような正式のは初めてです。
言う事を何も用意していなかったも . . . 本文を読む
昭和49年4月1日に採用の辞令をもらいました。
たくさんの新採用者がいるので辞令交付も、はしょったものだったのだろうと思います。
ボクの名前が読み上げられ、配属は都市計画課公園緑地係とありました。
あれっと思いました。
独身寮の寮長からは、「お前は都市計画課下水道係だ」と言われていたのです。
何せ当時は下水道事業の創成期で、どの自治体もそのために大量の採用を図っていた時だったので当然です。
しかし . . . 本文を読む
職員になる前の直前、1週間か10日は無給の研修でした。
今では考えられませんが、当時は採用前の無給の研修が当たり前でした。
新採用者全員を集め、大きな会議室で研修です。
この年は新採用者が保育士や消防士を含め50人以上と大変多かったのですが、こんなに多くの新採用は先にも後にもこの時だけだと思います。
担当職員の説明や幹部職員、市長の訓話がありましたが、何一つ憶えていないところを見るとたいした内容 . . . 本文を読む
市役所から、職に就く案内書類が届きました。
その中に3月の末、10日間くらいの研修があること、その研修は無給であること、独身寮があるので希望者は申し込むことなどが記されていました。
卒業はおぼつかないけど、住む所のあてがないボクは独身寮の申し込みをしました。
2月の下旬だったでしょうか、ボクの卒業が決まりました。
"奇跡の卒業"と遊び仲間が囃し立て、大学の学生課の事務員もこんなに最少最低の成績で . . . 本文を読む
試験会場を見渡すと知っている顔があります。
1,2年とき同じ学生寮にいたのが二人もいます。
3,4年生のときは学部が違い校舎も別だったので疎遠でしたが、たった1学年20人足らずの学生寮出身者がこんなところで3人にも出会うなんて奇遇だと話したものでした。
37年も前のことなので試験の内容はほとんど覚えていませんが、1問だけ記憶に残っていることがあります。
一般常識問題の中で"北海道内の支庁名を記せ . . . 本文を読む