公園の仕事を4回ほど連載しました。
全て滝川公園のことでしたが、ボクが職に就いたころは滝川の公園は滝川公園といわれるほどの存在でした。
この公園では維持管理・運営管理を学びました。
でもボクの主任務は新しい公園の造成です。
今回からは初年度から携わり、5年間に渡り従事した北電公園の造成についてです。
まず、公園名から説明しなければなりません。
北電とはもちろん北海道電力㈱のことです。
今は企業が命名権を自治体から買って施設名にすることができます。
ところがこの北電公園は30数年前から企業名を冠したものになっています。
市が北電からお金をもらったわけではありません。
当時、北海道電力㈱は滝川に石炭を燃料とする火力発電所を設けていました。
近隣の産炭地が斜陽気味ではありましたが、健在でした。
国鉄滝川駅から専用線を使って発電所に直接石炭を運び入れていたのですから、その規模が推し測れると思います。
石炭を大量に燃やしますから、大量の燃えカスが生じます。
ちょうどセメントのような微粒子状の粉末です。
それを発電所のそばの社所有地に堆積してあったのです。
面積10数ha、高さ10m程度の丘になっていました。
ボクが職に就く数年前から市と北電との間で、協議があったのだと思います。
そして、その石炭灰の丘を市に無償で貸すので公園として整備すること、公園名には北電の名を冠すことなどが決められたのだと思います。
ボクが職に就く前の年にすでに、その丘に至る取り付け道路の設置と、公園にするのに必要な公共残土の運び入れが始まっていました。
石炭灰は固まるとコンクリートのように硬くなり、水も通さなくなります。
その上に1m程度の盛土をしなければ樹木どころか草さえ生えません。
当時盛んに道路や下水道の工事をしていましたが、その工事残土を集中して投入させたものです。
測量・設計は札幌のコンサルタントが行いました。
ボクの役目は設計のチェックと積算(どれだけお金が必要か見積を行うこと)、それに基づき国庫補助金を得るための書類作成です。
新たな事業は、ほとんど全て国庫補助金をあてにします。
3/4とか2/3とかは国庫補助金が入りますので市の負担は1/4とか1/3で済みますし、担当者の人件費もそれで賄うことができるので、高度成長時代にはどこでも行っていた手法です。
各自治体とも、国庫補助を得るのを競っていた時代です。
補助金を与える国、そして補助金を分配する道が権限を持っていて威張りくさっていました。
まさに自民党政権の利益誘導型政治手法なのです。
続きます
全て滝川公園のことでしたが、ボクが職に就いたころは滝川の公園は滝川公園といわれるほどの存在でした。
この公園では維持管理・運営管理を学びました。
でもボクの主任務は新しい公園の造成です。
今回からは初年度から携わり、5年間に渡り従事した北電公園の造成についてです。
まず、公園名から説明しなければなりません。
北電とはもちろん北海道電力㈱のことです。
今は企業が命名権を自治体から買って施設名にすることができます。
ところがこの北電公園は30数年前から企業名を冠したものになっています。
市が北電からお金をもらったわけではありません。
当時、北海道電力㈱は滝川に石炭を燃料とする火力発電所を設けていました。
近隣の産炭地が斜陽気味ではありましたが、健在でした。
国鉄滝川駅から専用線を使って発電所に直接石炭を運び入れていたのですから、その規模が推し測れると思います。
石炭を大量に燃やしますから、大量の燃えカスが生じます。
ちょうどセメントのような微粒子状の粉末です。
それを発電所のそばの社所有地に堆積してあったのです。
面積10数ha、高さ10m程度の丘になっていました。
ボクが職に就く数年前から市と北電との間で、協議があったのだと思います。
そして、その石炭灰の丘を市に無償で貸すので公園として整備すること、公園名には北電の名を冠すことなどが決められたのだと思います。
ボクが職に就く前の年にすでに、その丘に至る取り付け道路の設置と、公園にするのに必要な公共残土の運び入れが始まっていました。
石炭灰は固まるとコンクリートのように硬くなり、水も通さなくなります。
その上に1m程度の盛土をしなければ樹木どころか草さえ生えません。
当時盛んに道路や下水道の工事をしていましたが、その工事残土を集中して投入させたものです。
測量・設計は札幌のコンサルタントが行いました。
ボクの役目は設計のチェックと積算(どれだけお金が必要か見積を行うこと)、それに基づき国庫補助金を得るための書類作成です。
新たな事業は、ほとんど全て国庫補助金をあてにします。
3/4とか2/3とかは国庫補助金が入りますので市の負担は1/4とか1/3で済みますし、担当者の人件費もそれで賄うことができるので、高度成長時代にはどこでも行っていた手法です。
各自治体とも、国庫補助を得るのを競っていた時代です。
補助金を与える国、そして補助金を分配する道が権限を持っていて威張りくさっていました。
まさに自民党政権の利益誘導型政治手法なのです。
続きます