アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#4577 記し継ぐべきこと ⑮ 滝川市の利雪構想(上)

2023年11月30日 | マチの事件簿
記し継ぐべきシリーズを続けます。 利雪(りせつ)とは、北国の冬の厄介(やっかい)モノの雪を有効に利用できないか、との意を持つ造語です。雪の結晶で有名な中谷宇吉郎氏らの発想だとのこと、大昔に造られた言葉のようです。 2000年の頃でしたか、通産省(現経産省)の委託を受けたNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)から100%の補助金を受けて、このマチも“利雪”について . . . 本文を読む

#4576 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(16)

2023年11月29日 | マチの事件簿
市長や副市長などが反イノマタから親イノマタに180°転換を迎えるんだけど、市職員が同調圧力を受けて、多くが親イノマタに変貌を遂げるのにはあっという間でした。 でも、反五十嵐網は不変でした。時系列的にどうななのか知りませんが、相変わらず五十嵐氏とNPO  A・C・Tは無視され続けていました。 五十嵐氏が提唱した芸術公園都市構想や、旧浄水場の五十嵐氏のアトリエ使用などに、幹部職員 . . . 本文を読む

#4575 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(15)

2023年11月28日 | マチの事件簿
この頃、いつだったのかボクの記憶は定かでないのです。五十嵐氏と初めて電話で話をして、市職員の音楽愛好者らによる石蔵事件、NPO発足、芸術公園都市構想公表、旧浄水場アトリエ事件など、呆(ほう)けてきて時系列が定かではないのです。 時系列が定かでないなか、議会のこの件での対応は市議会で反五十嵐網が形成されていたことを物語ります。ボクは50年近く前からこのマチの公園造成に携(たずさ)わっていましたが、 . . . 本文を読む

#4574 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(14)

2023年11月27日 | マチの事件簿
国際電話による話合いは、何度かありました。 五十嵐威暢氏は電話に快く応じてくれました。今まで世界に向けての活動だったけど、これからは郷土にも目を向けての活動もしたい、とも聞きました。そして新設される公園にも何らかの協力を惜しまない、と言ってくれたのです。 結局、公園内に設置されるシンボルとなるモニュメントを設計してもらうことになりました。 コンサルを通し、設計協議が進みます。五十嵐氏の示した . . . 本文を読む

#4573 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(13)

2023年11月26日 | マチの事件簿
そしてこのことは市会議員にも同様に伝播したのです。市議には元市職員だった者もいます。きっとこの者から市議全体に、五十嵐はとんでもない奴だ!ってことが広まったものだと思います。市職員、市議による反五十嵐網が形成されました。 並行して、市職員や市議を通して一般市民にもこの件が伝わったのです。かっこうの噂のタネになったんでしょうね。一部の一般市民にも、五十嵐はとんでもない奴だ!ってことが広まってしまい . . . 本文を読む

#4572 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(12)

2023年11月25日 | マチの事件簿
アートをよく理解できないボクのような者でも、このマチにとってどうするのがいいのかを考えました。"アート"には似合わないけど、どうするのが得なのか損なのかの判断でもいいとも思いました。 このマチにも活動家だけではなく、静かに支援してくれている会員が結構いました。また、芸術を志す人の参加も出てきました。地道な活動は無駄ではなかったと思います。 ・・・ 以上、2009年4月10日から5回連続で投稿 . . . 本文を読む

#4571 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(11)

2023年11月24日 | マチの事件簿
大騒ぎをして探しましたが、本は出てきませんでした。この件がどのような結末を迎えたのか、知りません。大人気ないやり取りに嫌気がさしました。 ・・ このNPO、地元の活動者は20人足らずでした。人の出入りはあるものの、20年前と数は変わりませんでした。札幌の支援者のほうが多いんです。催しのたび、10人以上は手伝いにきてくれました。その姿勢に地元民として敬意を払います。 ・・・ 先にちょこっと記 . . . 本文を読む

#4570 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(10)

2023年11月23日 | マチの事件簿
そんな風潮の中、このNPOがイノマタ系ではないか?って職員が思ったのも無理がありません。当時の総務部長は盛んにそのことを吹聴してましたもの。このNPOに反イノマタの逆風が吹きつけたのは間違いありません。 ・・・ このブログに何度も記しているけど、当時の総務部長(後の副市長)はイノマタ氏が滝川市商工会議所会頭になった瞬間、イノマタ氏にへつらいイノマタ邸詣でをするんですから、替わり身の速さは超音速 . . . 本文を読む

#4569 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(9)

2023年11月22日 | マチの事件簿
2009年秋です。五十嵐氏を囲んで、NPOのこれからの方向性について話し合いの場が設けられました。 五十嵐氏は「市長はこのNPOに対して何もしてくれないのがわかった。拠点を隣のまちに移そうかと考えている。」と述べました。 ボクはその時に言ったのです。「市長は色々しようとしている。けど他の理事者や部課長連中が協力的ではなく邪魔だてまでするような状況なのだ。その原因は・・・」(その原因については当 . . . 本文を読む

#4568 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(8)

2023年11月21日 | マチの事件簿
道内に住む長兄の承諾を得たんですが、他二人の兄弟は聞いていなかったそうです。ただそのことを責めても仕方ありません。たいていは兄弟に意思疎通が出来ている、って考えるもんです。ただ、五十嵐威暢氏はロサンゼルスに住んでいましたのですから・・・ アート好きな市内のメンバーは、そんな事情があることを知ってか知らずか石蔵改修のための資金調達を試みます。商工会議所や市をとおし北海道から補助金を得る手はずが整っ . . . 本文を読む

#4567 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(7)

2023年11月20日 | マチの事件簿
A・C・Tの頓挫、儲(もう)け至上主義者流にいうと、アートなんかで飯は食えないし、仮に愛好家が仰山(ギョーサン)押しかけたとして、利益を得損(えそこ)なる事態を招いた、となるのがせきのやまです。ただボクは、利益を得損なった、ことなんてどうでもいいんです。文化・芸術を尊重しない風潮を嘆いているだけです。諸々(モロモロ)の事柄を銭金(ゼニカネ)の損得勘定(ソントクカンジョ―)でしか推し量ることが出来な . . . 本文を読む

#4566 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(6)

2023年11月19日 | マチの事件簿
ボクは職を離れて13年、役所となんら接触を持っていませんので、今現在の体制がどうなっているのか知りません。なもんだから、2016年の五十嵐氏の受賞がどのようなものなのか、皆目わからないのです。 2016年の受賞について、滝川市の魂胆(こんたん)を妄想をたくましくしてみます。・適当な該当者がもういなかった!・隣ムラに先を越されないよう先手を打った!・新たな彫刻の寄付を狙った!・過去の対応への懺悔! . . . 本文を読む

#4565 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(5)

2023年11月18日 | マチの事件簿
滝川市は、旧浄水場の建造物について、水道企業会計の財産だから簡単に使用させることはできない、とも、目的外使用が許されるのか確認が必要、とも言い出したのです。これから使うはずのない“負の財産”なのに。ボクは市の対応を、ただの難癖(なんくせ)、と感じたもんです。そんな状況が何年か続いたころ、五十嵐氏に隣ムラから廃校になる小学校校舎を提供しよう、との話が持ち込まれたのです。ムラが . . . 本文を読む

#4564 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(4)

2023年11月17日 | マチの事件簿
ボクは13年前に退職しているため、前の市長時代の対応しか知りません。酷(ひど)い対応でした。あまりに酷い対応に、五十嵐威暢氏はアトリエを隣ムラに求めてしまったほどなのです。 NPOのアートチャレンジ滝川が設立されてまもなく、五十嵐威暢氏は芸術公園都市構想を公表し市に提出しました。滝川公園を活用しようとする、それほど大ゲサで大掛かりなものではありませんでした。同時に、当時アメリカに住んでいた五十嵐 . . . 本文を読む

#4563 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(3)

2023年11月16日 | マチの事件簿
2016年の春、A・C・Tの総会が行われました。脆弱で貧弱で微弱なボクは出席せず、委任状を送ったのでした。後日、総会の開催結果資料が届きました。法人名が変わりました。アートチャレンジ滝川からアートチャレンジ太郎吉蔵(たろきちぐら)への変更です。2009年4月に、市や商工会の協力が充分に得られず困惑している様を記していましたが、この状況が改善されなかったようです。このマチ・滝川の名を排し、代わりに本 . . . 本文を読む