アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#2714 上美野和物語 ⑥

2018年06月23日 | ボクのルーツ
ボクが物心ついたころには、美野和は一面の水田でした。 入植してから半世紀で、一面の湿地が水田に変貌を遂げたのです。 米の増産がうたわれ、農村に活気がみなぎっていたころです。 不作の年もありましたが・・・美野和は米の収量は良かったのです。 でも幼少のころの記憶をたどると、美野和は米の収量が多いけど旨(うま)い米ではない、と言われていたんです。 泥炭地産の米はまずい、と真顔で言う人がいました。 でも . . . 本文を読む

#2713 上美野和物語 ⑤

2018年06月22日 | ボクのルーツ
排水溝を造ることなどは、共同作業です。 集落民総出で、泥炭を掘り、埋もれ木を切り出し、立木を切り倒し根を掘り上げたのです。 集落の民の団結心が無ければ、成されるものではありません。 記念誌によると、明治40にはすでに和寒別貯蓄組合が設立されています。 開拓途上の恵まれない生活環境を改善しよう、と意図したものでしょう。 他にも先進的な取り組みが行われており、美野和の民の強い団結心・協調心が窺(うか . . . 本文を読む

#2712 上美野和物語 ④

2018年06月21日 | ボクのルーツ
三石町に今年 大雪が降って大騒ぎをしていましたが、2年前には大雨で大きな被害を蒙(こうむ)っているのです。 2年前の大雨は、地元の同級生も経験したことが無い、というほどのものだったのです。 湿地帯だった美野和にも戦後大規模な排水溝が造られ、水に悩まされることが無くなった、と思いきや、この記念誌に昭和56年の台風による水害の記録が記されていました。 ちょうど滝川市が石狩川河床から糞便を噴出させた事件 . . . 本文を読む

#2711 上美野和物語 ③

2018年06月20日 | ボクのルーツ
ボクが幼少のころ、美野和のことを和寒別(わかんべつ)って言うのを聞いていました。 ここの東滝川を幌倉とかポンクラとかと呼ぶのと同様に。 ボクは個人的には、アイヌの人が使っていた地名を尊重すべき、との思いでいますが。 ・・・ 美野和は入植時にアイヌが住んでいなかった、と記されています。 一部に大昔住んでいた形跡があった、とされ、その場が飲料に適する水があった、と記されています。 そうなんです。 ワ . . . 本文を読む

#2710 上美野和物語 ②

2018年06月19日 | ボクのルーツ
福井県大野郡(現大野市)からは三石町に多くの入植者がありました。 “上美野和百年”によると、明治28年から29年に福井県大野地方を襲った集中豪雨とその後に続く大恐慌が農村地帯どん底状態の背景にあった、と記されていますが、本当は国の殖民政策が農民の後押しをして、成されたのであろうと推認します。 最初に入植したのは明治31年(1898)とあります。 “上美野和百年”は、百年後の1998年を記念して作 . . . 本文を読む

#2709 上美野和物語 ①

2018年06月18日 | ボクのルーツ
タイトルは“かみ みのわ ものがたり”って読みます。 久しぶりにカテゴリー“ボクのルーツ”です。 ボクの個人的な書き込みです。 興味のない人は読まないでください。 上美野和とは明治時代にボクの祖父が北海道に入職した、その地名です。 そして、ボクの父が生まれ育ったところなんです。(ボクが生まれ育ったところはその隣です) 日高管内の三石町(現 新ひだか町)の東端に位置します。 美野和(みのわ)という . . . 本文を読む

#1496 母方の叔父 昭永(しょうえい)

2014年07月17日 | ボクのルーツ
先日、母の弟の竹中昭永が亡くなり、人となりを#1477”しょっちゃん"逝去に記しています。 昭永(しょうえい)との命名、何か現代風です。 昭和の始めに生まれた人は”昭”の字が入った名が多いのです。 叔父昭永も昭和6年生まれです。 父の弟 昭一は昭和2年生まれでした。 二人とも”しょっちゃん”と呼ばれていました。 昔、家族で話をしていて、どちらの”しょっちゃん”なのか混同したことが度々でした。 で . . . 本文を読む

#1995 母 甲子(下)

2014年07月16日 | ボクのルーツ
育児が一段楽した頃、母は編機で軍手を編む内職を始めました。 編機のザーザーいう音を聞きながら、そばで遊んでいた記憶があります。 近所の農家の手伝いに行ったこともありましたが、あまり役に立たなかったようです。 子供たちに手がかからなくなった昭和30年代後半、近くにある農機具販売会社で事務員として働き始めました。 55歳まで勤めたといいますから、約20年間の事務員生活です。 事務員を辞め、その後、 . . . 本文を読む

#1494 母 甲子(上)

2014年07月15日 | ボクのルーツ
”ボクのルーツ"シリーズに戻ります。 いよいよボクの母です。 先月、母の弟・昭永が亡くなりました。 兄2人は先に亡くなっていますので、弟の死で母が兄弟で唯一の生き残りです。 父のほうも、父を含め全ての兄弟が亡くなってしまいました。 ボクももう今年63歳になりますので、そんなものなんでしょうが、寂しさが募ります。 ボクの母・甲子(こうこ)は、昭和3年(1928)6月3日、竹中鍋太郎・さとゑの長女と . . . 本文を読む

#1490 母方の伯父 勝美

2014年07月08日 | ボクのルーツ
母には、兄2名と弟1名の兄弟がありましたが、今回の勝美は次兄です。 大正14年(1925)6月6日様似町鵜苫に生まれました。 地元で義務教育を終えると、函館師範学校へ進学、音楽のピアノを専攻します。 ところが終戦間際、学徒出陣で中国大陸へ送られるのです。 終戦と同時にソ連軍に捕縛せられ、シベリア抑留です。 2年間の抑留生活の後、日本に帰還しました。 帰還後、師範学校(北海道学芸大学と改称)に復 . . . 本文を読む

#1489 母方の伯父 猛(たけし)

2014年07月06日 | ボクのルーツ
祖父鍋太郎の長男”猛"は、大正11年5月4日様似町鵜苫にて出生しています。 地元の高等小学校を卒業後、余市町にあった水産関係学校に進学し、卒業後、浦河町の荻伏漁協に就職しました。 戦時に徴兵され、アリューシャン列島のどこかの島に駐留しました。 戦後、荻伏漁協に復職し、同僚の間山フサエ(浦河町荻伏)と当時は珍しかった恋愛結婚をするのです。 その後、漁協を退職し様似町に戻り運送業を始めるのだけど、母 . . . 本文を読む

#1488 母方の祖母 竹中さとゑ

2014年07月05日 | ボクのルーツ
寄り道をしてしまいました。 "ボクのルーツ"に戻ります。 母の母にあたる"さとゑ"は明治34年(1901)8月12日様似郡様似村大字岡田村の柳橋紋四郎と”とよ”の三女として生まれました。 そして大正11年(1922)2月1日、竹中鍋太郎と結婚したのです。 鍋太郎の両親,健四郎とトメのほか、鍋太郎の甥,喜与一も同居するにぎやかで忙しい家庭だったようです。 闊達で厳しい女性だったそうです。 長男 . . . 本文を読む

#1484 母方の祖父 竹中鍋太郎(下)

2014年07月01日 | ボクのルーツ
祖父の仕事の続きです。 道内最初のサケ・マス孵化場とは、日本初、もしかして世界初かと思いきや、新潟県村上市に最初のができていたとのこと、浦河町のは全国2番目だそうです。(浦河百話にそうありました) 妻さとゑとの間に、三男一女をもうけました。 その一女がボクの母、甲子(こうこ)です。 母方の祖父 竹中鍋太郎は、毎日詰襟の制服を着て出勤していたといいます。 孵化場のほか、海産物の鑑定を行っていたと . . . 本文を読む

#1483 母方の祖父 竹中鍋太郎(上)

2014年06月30日 | ボクのルーツ
カテゴリー”ボクのルーツ"で、父方の曾祖母から伯父伯母を6年前、#174~190で紹介したところです。 母方のもそのうちと思っていましたが、系統立てての記述は何もせずじまいでした。 今回から数回に分けて連載します。 母方の祖父 竹中鍋太郎(なべたろう)です。 面白いネーミングです。(ちなみに弟を釜次郎と命名はしてません) ボクが高校生のときに亡くなりましたので、よく憶えています。 明治30年( . . . 本文を読む

#1477 "しょっちゃん"逝去

2014年06月22日 | ボクのルーツ
"しょっちゃん"とはボクの母の弟で、竹中昭永(しょうえい)さんの愛称です。 ボクも幼い頃から"しょっちゃん""しょっちゃん"と呼び親しんでいたものです。 その"しょっちゃん"が先日の17日に亡くなり、自宅のある浦河町で葬儀が行われました。 ボクも車で葬儀に参列しましたが疲労が抜けず、ブログにも向かえない状態でした。 母方は三男一女の4人兄弟、今回は亡くなった竹中昭永さんは、末っ子でした。 昭和6 . . . 本文を読む