毎晩のように、花火が見られます。このマチだけではなく近隣のマチでも行われているんでしょう。大都市のとは違い規模は小さいのですが、多くの人が楽しんでいるんでしょう。
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昔の郷里の花火大会を思い出しています。もう60年以上前のことです。
田舎マチの小さな集落でしたが、国鉄駅の前に20軒ほど商店がありました。それらが集まって花火大会を行ってくてたのでしょう。30分くらい、計20発の花火を打ち . . . 本文を読む
1970年も後半になると、改革要求の実現性が薄くなっていることに多くの参加者が感じ始めていました。一所懸命活動をするのに認められない、との絶望感が漂ってきました。
ただ、活動家どもは違いました。有り余ったエネルギーの吐け口として、内ゲバに精を出すようになりました。各派で凄惨な内ゲバが繰り広げられました。愚かなことです。
そのうち、日本での武力革命を空想する連中が表れたのです。銃砲店に強盗として . . . 本文を読む
当時のボクは、資本主義は理不尽だから、必然的に変革が起きるものだと信じていました。王政から奴隷制、帝国主義から当時の資本主義に移行したように。
当時の過酷な資本主義から脱却するには、社会主義しか無い、と思いました。(今もそう思ってますが)そしていずれマルキシズムの体制になるもんだ、と思っていたんです。日本共産党のプロパガンダが効いていたのかもしれません。
勘違いしてたのは、社会主義の中に小さな . . . 本文を読む
学生運動の交渉先の大学当局のことも記さなければなりません。当局への攻撃先はもっぱら森本正夫でした。昨年、死亡した、と伝えられました。まだ生きていたのか?、と驚いたもんです。
彼の年譜から、当時は40代に満たない年齢だったのでしょう。学校法人の専務理事をしていたんですね。理事長やほかの理事、教授連中がたくさんいる中、常に交渉の矢面意に立ち、改革の敵!と罵倒されながら、何とか持ちこたえたのでしょう。 . . . 本文を読む
校舎のバリケード封鎖は見ものでした。散在する校舎の出入り口全てを机や受付カウンターなどを積み上げ、出入り不能にしてしまうんです。細々と続いていた授業も行われなくなり、大学は大学の機能を全く失ってしまうのです。
このことについて学生の間から、疑問や反発の声がありました。でも学生側執行部は、こうでもしなければ当局の譲歩は望めない、として断行しました。授業にさっぱり出ないボクも賛意を示しました。
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戦争犯罪人シリーズを記してると、50年も前の学生時代の頃を思い出しました。
ボクの大学入学は1970年ですから、日米安保条約が継続される年でした。東大や日大の学内民主化闘争も官憲にねじり潰されている状況でした。ただ、成田空港問題など、政府の不作為を糾弾する運動は逆に盛んになっていた時期ではありました。
ボクが入学した大学も最盛期は過ぎてたけど、学生運動がまだ盛んでした。まだ70年安保は締結され . . . 本文を読む
もう60年以上前の思い出です。
まだ小学低学年の頃です。
1円札を握りしめて隣の商店に行き、1円か2円のクジに挑戦です。(ボクは68歳ですがボクより年下の人は1円札なんて知らないでしょう。60年以上前は1円はお札だったんです)
そのクジは、色のついた薄い紙を引き抜き、なめるのです。
なめると字が浮き出ます。
一等とか二等とか・・・はずれの場合は“スカ”の2文字です。
実はこのクジの紙、合成着色 . . . 本文を読む
高校生時代の思い出ですから、今から50年以上も前のことです。
入学してすぐに地理の授業がありました。
教室の黒板には前もって大きな字で「地理はスッツにまかせろ!」って書かれていたんです。
ボクは、なんのことだろう?、って思ったんだけど、知っている生徒はいたんです。
黒板を見て、にんまり笑っていましたもの。
スッツと呼ばれる名物教師?がいたんです。
自らスッツと名乗るんです。
歳のころは40歳くら . . . 本文を読む
最近の新聞報道で既視感を覚えるものがありました。このマチ滝川と砂川市をつなぐ新空知大橋ってあるんだけど、その完成時に両市が橋のたもとに大きな銀の玉を造りタイムカプセルとしたんだけど、それらが開封期限を迎えて、30年前に納めたものを取り出しているんです。そんなことを思ってブログを検索してみると、9年前の2011年10月17日投稿の#832 銀の玉 ってのが見つかりましたす。再掲します。#832 銀の . . . 本文を読む
平成16(2004)年台風18号も凄(すご)かったです。
あんなに強い風は初めての経験です。
最大瞬間風速が49mを超えていたんです。
北海道や東北って大きな台風に見舞われるってことが少ないもんだから、40mを超える強風って経験してないのです。
職場は電話が鳴りっぱなしです。
隣の家の屋根のトタンが剥がれかけてて恐ろしいので何とかしてくれ、とか、樹木が倒れて家に寄りかかっているから取り除いて、なん . . . 本文を読む
ボクの今 住んでいる地域は災害の少ないところです。
大地震も起きていませんし、津波の心配も無いのです。
ただ、昔は洪水の災害が頻繁に起こっていた所なんです。
なにせ石狩川とその最大の支流の空知川の合流点に位置してるんです。
石狩川水系の治水事業は百年以上前から行われていて、ボクがこの地に住み付いた40数年前にはほとんど堤防が完成していました。
ですからボクはこの地で、大きな水害に遭ったことはあり . . . 本文を読む
昨日また、関東から東北にかけ大雨が降り大きな被害が出てます。
留まるところ知らない異常気象に、気味悪さを感じています。
本題に入ります。
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ボクはたいしたことは無いけど、被災の申し子みたいなもんなんです。
ボクが産まれて2か月半後の1952年(昭和27年)3月4日に起きた十勝沖地震です。(十勝沖と名がついていますが襟裳(エリモ)岬沖が正しい)
ボクは当時 三石町(現新ひだか町)に住んでいま . . . 本文を読む
震災復興に尽力していたFさん、その後役場を離れて楽をしているって年賀状に書いてあって、またその後には地元の土建屋に震災復旧工事が忙しいため再就職した、と記されていました。
そして民間企業の厳しさに驚いている様も記されていたんです。
3,4年前でしょうか?その土建屋を退職して一人で全国をバイクでツーリングをしている、って大型バイクに跨ったFさんの写真入りの年賀状をもらいました。
ようやくのんびりし . . . 本文を読む
いかがわしい同窓会名簿の続きです。
ボクが就職した数年後だったでしょうか?土木工学科の同窓会を創ろう、って話が出ていたんです。
ボクは協調性に欠ける者ですが反対する理由もなく、どうでもいいよ、って返事をしたように思います。
その時に年会費が年に千円とか毎年会誌が発行されるとか、会員名簿が毎年更新されるとかの説明があったように思います。
けっこう立派な会誌が届きました。
土木工学科の沿革から始ま . . . 本文を読む
今回の台風19号で大きな水害を受けた宮城県丸森町ですが、8年前の東北大震災でも大きな被害を受けているんです。
北海道人は丸森町なんて知っている人は少ないでしょうが、ボクは丸森町の存在を40年以上前から知っていました。
丸森町出身の人と出会ったのは遡(さかのぼ)ること50年前です。
18歳のボクは大学学生寮に入りました。
その学生寮は1年生と2年生だけの総数40名ほどのこじんまりしたものでした。
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