アナーキー小池の反体制日記

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#525 勤め人時代(2)就職試験(下)

2010年11月01日 | 勤め人時代
試験会場を見渡すと知っている顔があります。
1,2年とき同じ学生寮にいたのが二人もいます。
3,4年生のときは学部が違い校舎も別だったので疎遠でしたが、たった1学年20人足らずの学生寮出身者がこんなところで3人にも出会うなんて奇遇だと話したものでした。

37年も前のことなので試験の内容はほとんど覚えていませんが、1問だけ記憶に残っていることがあります。
一般常識問題の中で"北海道内の支庁名を記せ"とありました。
天気予報の順を追ってなんとか書きました。(胆振だとか渡島はひらがなで書いたのでしょう。)
ところがこの地元の空知を空地と書いてしまったんです。
書き込んで何かヘンだなとの思いはありました。
帰りの国鉄駅の中の広告で間違いに気づきました。
何か一番大事なところで、一番してはいけない間違いをしたような気がしました。

でも一次試験合格の通知が来ました。二次試験は面接と健康診断です。
同じ学生寮だった二人も来ていて二人ともこの近郊の出身なのを聞き、また受験者の大半はこのマチかこのマチ近郊の出なのを知りました。

その後だいぶ経ってから、当時住んでいた札幌のアパートの大家がボクに言いました。
昨日、旭川の興信所の人が来てボクのことを根掘り葉掘り聞くんだそうです。
大家のオバさんは「差し障りの無い事だけを言っておいたからね!」と思わせぶりな言葉です。
ボクはおばさんに「サンキュー」と言葉を返し、感謝を込めてウインクをしました。

興信所は札幌だけでなく、ボクの生まれ育った日高の方にまで行っていました。
正月に帰省すると実家の隣のオバさんが、札幌の大家のオバさんと同じことを言います。
旭川の興信所が130km離れた札幌に、250km離れた日高のほうに、身元調査に行くんですから大変ですし費用もかかります。
学生運動が盛んな時でしたので、そこのところが心配で入念な調査をしたのでしょうか。
東京の大学からも受験していましたので、調査は当然東京にも及んだものと思います。
その後も今もそんな調査をしているのかは分りません。

そして、採用の通知が来ました。
身元調査時の二人のオバさんの言葉が、合否のカギを握っていたのかもしれません。
正直者の二人のオバさんに感謝です。
採用通知が来てもボクの気持ちは晴れませんでした。
何せ、卒業できなければ就職が出来ません。

次回は卒業から職員寮入寮です。
ちなみに、学生寮で一緒で同じく就職試験を受けた二人もボクと同様採用となり今現在も元気に勤めています。
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