アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#1980 モハメド・アリ氏 死す

2016年06月09日 | 教育・文化・芸術・スポーツ
ボクにとってはモハメド・アリより、カシアス・クレイの名のほうがなじみがいいのです。
偉大なボクサーであり、反体制・反骨を貫いた人でした。
そのモハメド・アリ氏が亡くなりました。

ローマ・オリンピックで金メダルを獲得したのだけど、翌日その金メダルをドブに捨てたそうです。
当時のアメリカは、公共バスでさえ白人専用なのがあるなど、人種差別が激烈でした。
そんな人種差別に遭(あ)っていた彼は、精一杯の抗議の意を込めて金メダルをドブに捨てたのでしょう。
当時のアメリカは、旅行で来た日本人を指差し「イエロー・モンキー」と侮(あなど)るほどの人種差別大国だったのです。

金メダルをドブに捨てた後、彼はプロボクシングに進み、すぐにヘビー級世界王者になりました。
アメリカは兵役の義務がありました。
アリの反体制の言動に不快感を持ったアメリカ社会は、徴兵拒否を宣言した彼のチャンピョンの座を即差に奪いました。
その頃のアリは、全身に憎悪と憤怒をまとっているように見えたものです。

無敗のままタイトルを剥奪されたアリは、数年後、復帰戦に挑みます。
あのジョージ・フォアマンとのタイトルマッチです。
下馬評は圧倒的に不利で、試合が始まっても防戦一方でした。
ところがアリは、フォアマンが打ち疲れるのを待っていた、というのですから驚きです。
フォアマンの動きが鈍った後半、アリは猛然とパンチを繰り出し、逆転KOの王座奪還です。

1996年、母国アメリカで行われたアトランタ五輪の開幕式で、明かりのなかに浮かび上がったモハメド・アリは、震える手で聖火をともしました。
落語家歌丸とは全く逆な、美しい情景でした。
穏やかな表情を見せてくれました。

人種差別と戦い、戦争を憎み、人権問題に取り組む姿勢は一貫していました。
アリ劇場が幕を下ろしたのです。

アリが亡くなってからテレビで思い出を語った、宿敵フォアマンも穏やかな顔を見せていました。
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