アナーキー小池の反体制日記

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#552 勤め人時代(22)水道の仕事①

2010年11月30日 | 勤め人時代
勤め人シリーズを再開します。
昭和62~63年度の、昭和の最後は水道企業団勤務でした。
近隣2市との一部事務組合で、3市の職員の集合体です。
実は、今年の3月までの1年間も同じ水道企業団勤務でした。
でも仕事の内容は全然違います。
昭和62~63年度の勤務は企業団の施設の整備を行っており、本来の目的である水道水の供給を全く行っていませんでした。
空知川からの取水、浄水場までの導水、浄水施設、浄水施設からの送水のための工事を盛んに行っている時期でした。
そのほか平行して、水道水の供給を見越しての水利権確保のため、好んではいない北海道開発局との協議もありました。
1年に20億円程度をこなさなければ間に合わない、とんでもない仕事量でした。
今年の3月までの1年間は20年ぶりに同じ水道企業団勤務だったものだから、経験があるから気楽だろうともいわれましたが全く違う仕事で、前の仕事が生かされる機会は何もありませんでした。(でも、初めての職よりは抵抗が少なかったことは確かです。)

2年間在籍しましたが、水道管を敷設したのはほんのちょっとで、本市ではなく隣接構成市内でした。
当時敷設した水道管はφ200mm~600mmの下水道管並みの大きさです。
ボクは今も昔も水道管工事はよくわからないのですが、旧産炭地での水道管敷設工事で地面を掘ると石炭層が表れ驚いたのを記憶している程度の思い出しかありません。

空知川に取水施設を設けました。
流水の中での工事なので、水量が少なく一定している冬期間の工事です。
でも、空知川の流水の強さを見誤りました。
設計通りの締切(造ろうとする工作物の周りを水が流入しないよう囲う)では、流水面での施工は困難なのを知ることになります。
小河川と大河川の違いは、思いもよらないほど大きいものがありました。
ブルドーザー数台による瀬替(川の流れを変える作業)をし、締切工法を変更してなんとか対処しました。

国のお金が余ったからでしょうか、追加の工事費がたくさん付きました。
当時の企業団事務局長は本市の助役でした。(今は部長職職員です)
年度内完了は無理なことがわかっていても、補助金を断るなんてことはしません。
良くないことですが、年度内に完了した調書だけを作ってなんとかしのぎました。

取水塔から堤防の上を渡る導水管も担当しました。
斜張橋形式の水管橋です。
なにせ北海道初(もしかして全国初だったかも)の斜張橋形式の水管橋なものだから、鋼管メーカーもいまいち自信がありません。
道路橋なら自重が大きいため風の影響をそれほど考慮する必要は無く、地震時に対応できればOKなのですが、水管橋は自重が小さいため風の影響を心配しなければなりません。

局長から水管橋の地震と強風時の安全性について問われたとき、地震は大丈夫だが強風は解析が困難で縮小モデルを用いた風洞実験が必要なこと、その費用は数百万円の費用を要する事を説明しました。
費用、工期の面から風洞実験はしませんでしたので、今でも台風など強風が吹き荒れているときには心配です。
続きます。
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