こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

池上曽根史跡公園にて

2016-05-04 20:56:54 | つぶやき
池上曽根遺跡史跡指定40周年・史跡公園開園15周年の記念式典が、公園内に設けられた特設ステージで開催された。

夜半からの雨もすっかりあがり、まさに五月晴れ。


和泉よさこい「りょく」の演舞も、いずみ太鼓鼓聖泉の演奏(写真)も素晴らしい。


その力強い演奏に身も心も心地よく委ねながら思い起こすのは、8年前の府立弥生博物館の存続運動のことだ。

当時、橋下前知事が就任して直後に打ち出した「財政再建プログラム」の中に、弥生博は「統合・廃止」とされ、びっくりした有志で市民の会が立ち上がり、思いつく限りのいろんなことをした。署名、団体・個人への申し入れ、議会の「意見書」採択の要請、新聞社への情報提供・・・。

この同じ場所、野外にステージを作って、古代史の研究者の方々を招いたシンポジウムも開催した。


その運動の中で、いろんなことを学び、考えた。貴重な経験だったと思う。

その夏に、一緒にその「会」に参加した会派を超えた議員、4人で佐賀県吉野ヶ里に視察に行った。そのときの「報告書」から「所見」を以下に引用しておきます。自分の記憶にしっかりとどめるために。



 大阪府が推進する「財政再建策」のなかで博物館を含む「公の施設」の運営について抜本的な見直しが提起され、その一環として本市の市域に関わる弥生文化博物館(弥生博)の存廃も問われた。私自身は同博物館の存続を強く願って思いを同じくする市民運動にも関わってきた。当初、「廃止」とされた弥生博は「当面の存続」へと一定の方向転換がされたものの、府の「維新プログラム案」を見る限り、府は文化行政・博物館の運営にも経済的な「効果・効率」の尺度を持ち込むという基本的なスタンスを変えていないと思われる。
 そうしたなかで今回の行政視察は、文化財保護についての行政の取り組み、また史跡の発掘・保存・調査とともにその成果を広く情報発信し、「まちの魅力」を高めることに成功している先進事例を学び、今後の府・市の文化行政について考える示唆を得ることが目的であった。
 
県立佐賀城本丸歴史館と国営吉野ヶ里公園は、片や「幕末維新」、片や古代・弥生時代と、全く異なる時代の歴史遺産を対象とし、また設置・運営主体も県・国と異なる。しかし、そこに太く貫かれた基本理念は共通したものが感じられた。そのうちで、特に強い印象としてあるのは次の2点である。
そのひとつは、現代に生きる私たちに残された情報を手がかりに「かつてこの地に生きた人々」の暮らしを「できる限り忠実に復元・再現する」という姿勢である。本丸歴史館の復元にあたって「ここに柱があった」ということを実に重く位置づけ、一方、例えば襖の模様など「資料が残されていないのでわからない」ものはあえて無地のままとする。「事実に忠実に」が、揺るがぬ基本である。
吉野ヶ里でも、2000年前の建築物や周囲の植栽まで、その位置、形状等、様々な検証を経て「復元」している。土器の破片からもとの形を復元する根気のいる作業にあたっている女性のお話を聞く機会があった。「指のあとがあるのを見つけると、思わず自分の指を重ねる」という言葉が心に残った。
歴史文化財から私たちは、かつて「ここで生きた」先人の無言のメッセージを受け取り、「今」につながる歴史を体感し、「自分」につながる「命の連鎖」をもまた感じ取る。それはけして「経済効果」で測ることのできないものであろうと思う。弥生博の「廃止・近つ飛鳥への集約化」という府の案に対し、「ここで発掘された遺跡はここにあってこそ意味がある。」と私たちは主張してきたが、それが的を得たものであったと確信する。
ふたつめには、文化歴史遺産を単に保存するだけでなく、国民共有の財産として生かすための行政の努力と市民の参加である。
県直営事業として運営されている本丸歴史館は、学芸員3名などを含む県職員計10名に加え、「展示開設ボランティア」の活躍が目立つ。登録者数約100名、毎日10名体制で展示物の説明と案内をしている。ボランティアの報酬が「一日550円」と聞いて驚いたのも事実であるが、ボランティア・スタッフの方々は「喜んでもらう」こと自身を生きがいとして、日々研鑽しておられるように思われた。「320畳の大広間」など、他にはない施設の特徴をいかした事業(体験型イベント等)も、県民が企画の段階から参加しているとのことである。「市民との協働」の形として学ぶべき点が多くある。
吉野ヶ里公園は2001年に供用開始し初年度の来園者は68万人を超え、以後年々減少傾向であった。2004年には41万5千人にまで減少したが、その後「利用促進計画」を策定し(「計画」の策定過程や内容の詳細については充分聞くことができずに残念であった。)その効果により、年々来園者が増加している。

次に今回の視察を通して、弥生博の今後について考えるにあたって課題とすべき点について、特に以下2点をあげたい。
そのひとつは「国指定」の史跡として、国の財政措置をあらためて求めるべきではないかということである。吉野ヶ里公園は、池上曽根史跡公園と同じく弥生時代の環濠集落の発掘・保存の上に整備されたものであるが、国の「特別指定」とされ「国営公園」として成り立っている。大阪府は当初PTでは弥生博の「市への移管も検討」とし、「維新プログラム」案でも「地元関係自治体との連携強化」をうたっている。「府が財政難だから残したければ市で運営」ではなく、むしろ広域的な文化財の保存・活用についての国の責務から国の財政負担を求めるのが至当ではないか。池上曽根遺跡は1995年に文化庁によって「古代ロマン再生事業」の第1号としての採択を受け、2001年に史跡公園第1期事業が完了したと聞く。史跡公園、またそれと一体のものとして機能している博物館の運営についても、国の財政負担を求めるべきであると考える。
ふたつめには、弥生博、史跡公園、弥生学習館の活用について、より一層相互の連携を高めることである。吉野ヶ里公園は史跡指定地域の国営公園と「史跡指定外」の県営公園はまさに一体であり、運営も財団法人が一体的に担っている。吉野ヶ里公園の、一旦来園者が落ち込んだ状況を打破した取り組みのなかで、「見る」だけでなく「体験する」ことを重視した多面的な取り組み、あらゆる機会を生かした情報発信、等は、当地では、博物館、公園、学習館の「一体的」取り組みのなかで生かせるものである。府立博物館、公園、市立学習館が「同じ地域に存在することに意味がある」とも主張してきたが、単に「隣接している」だけでなく、補完しあって相乗的に機能を果たす可能性はまだ潜在しているのではないか。運営主体の異なるものの調整の要として本来果たすべき府の役割を求めつつも、地元市、あるいは地元住民からの積極的な働きかけも必要となっていると思われる。
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