鷲神社の横にあるのが長国寺という法華宗のお寺。
もともと江戸時代までは鷲神社とひとつのお寺であったが、
神仏分離令により別れたもの。
所在地:東京都台東区千束3-19-6
宗派:法華宗本門流
御本尊:十界曼荼羅
創建:寛永7年(1630)
開山:日乾上人
【縁起】
当山は寛永7年(1630)に石田三成の遺子といわれる、
大本山長國山鷲山寺第13世・日乾上人によって鳥越町に開山されました。
開山当時より11月酉の日に大本山鷲山寺の鎮守である鷲妙見大菩薩が行われ、
その日は、多くの参詣者の厚い信仰を集めて門前に市が立つようになりました。
それが浅草「酉の市」の発端となったのです。
鷲妙見大菩薩(鷲大明神)は明和8年(1771)に大本山鷲山寺の第50世でもある、
長國寺第13世・日玄上人により千葉の大本山鷲山寺から当山へ迎え移し祀られます。
当時は本堂のほかに諸堂を配した大伽藍があり、鷲妙見大菩薩が安置された番神堂は、
以後妙見堂、鷲大明神の社、鷲の宮とも呼ばれるようになりました。
明治初年の神仏分離令により、当山は、境内を含め寺と鷲神社とに分割されました。
そして明治以降、山号の本立山を鷲在山と改めます。
明治の神仏分離以降、塔頭であった了遠院を本堂としてきましたが、
27世日秀上人が大正6年、新たに本堂を落慶いたしました。
しかし12年の大震災で消失したため翌13年に仮本堂を建立し昭和20年をむかえます。
3月10日の東京下町一帯に受けた大規模な空襲で本堂は焼け落ち、
日秀上人も運命を共にいたしました。
戦後昭和24年、28世日雄上人が材料の調達もままならない中、
本堂を落慶し現在に至る。
【山門】
大きな熊手があるせいか、
ド派手な山門となっていました。
とても愛想の無い法華宗のお寺とは思えない。(^^;
【大熊手】
これって熊手なんですね。
やっぱり関西では見たこと無いなぁ。
金運や幸運を掻き集めるという縁起物とか。
なるほど。
【熊手】
これらの品は売っているものではなく、
展示品として飾られていました。
こちらは売っているものですが、
大小様々な熊手がありました。
他の店でも同じでこれだけあると圧巻でした。
【本堂】
昇殿入口と看板があったので、
本堂の拝観お願いしたところ、体よく断られました。
何でやねん。(泣)
【御首題】
他に御朱印もいただけますが、
今回は御首題をいただきました。
もともと江戸時代までは鷲神社とひとつのお寺であったが、
神仏分離令により別れたもの。
所在地:東京都台東区千束3-19-6
宗派:法華宗本門流
御本尊:十界曼荼羅
創建:寛永7年(1630)
開山:日乾上人
【縁起】
当山は寛永7年(1630)に石田三成の遺子といわれる、
大本山長國山鷲山寺第13世・日乾上人によって鳥越町に開山されました。
開山当時より11月酉の日に大本山鷲山寺の鎮守である鷲妙見大菩薩が行われ、
その日は、多くの参詣者の厚い信仰を集めて門前に市が立つようになりました。
それが浅草「酉の市」の発端となったのです。
鷲妙見大菩薩(鷲大明神)は明和8年(1771)に大本山鷲山寺の第50世でもある、
長國寺第13世・日玄上人により千葉の大本山鷲山寺から当山へ迎え移し祀られます。
当時は本堂のほかに諸堂を配した大伽藍があり、鷲妙見大菩薩が安置された番神堂は、
以後妙見堂、鷲大明神の社、鷲の宮とも呼ばれるようになりました。
明治初年の神仏分離令により、当山は、境内を含め寺と鷲神社とに分割されました。
そして明治以降、山号の本立山を鷲在山と改めます。
明治の神仏分離以降、塔頭であった了遠院を本堂としてきましたが、
27世日秀上人が大正6年、新たに本堂を落慶いたしました。
しかし12年の大震災で消失したため翌13年に仮本堂を建立し昭和20年をむかえます。
3月10日の東京下町一帯に受けた大規模な空襲で本堂は焼け落ち、
日秀上人も運命を共にいたしました。
戦後昭和24年、28世日雄上人が材料の調達もままならない中、
本堂を落慶し現在に至る。
【山門】
大きな熊手があるせいか、
ド派手な山門となっていました。
とても愛想の無い法華宗のお寺とは思えない。(^^;
【大熊手】
これって熊手なんですね。
やっぱり関西では見たこと無いなぁ。
金運や幸運を掻き集めるという縁起物とか。
なるほど。
【熊手】
これらの品は売っているものではなく、
展示品として飾られていました。
こちらは売っているものですが、
大小様々な熊手がありました。
他の店でも同じでこれだけあると圧巻でした。
【本堂】
昇殿入口と看板があったので、
本堂の拝観お願いしたところ、体よく断られました。
何でやねん。(泣)
【御首題】
他に御朱印もいただけますが、
今回は御首題をいただきました。