次なる参拝地に向かっている途中で神於寺というお寺の看板発見。
恒例の寄り道でございます。(^^
所在地:大阪府岸和田市神於町185
宗派:天台宗
御本尊:弥勒菩薩
創建:天武天皇12年(683)
開山:役行者
勅願:天武天皇
【縁起】
神於山の南麓に位置する天台宗寺院。
神於山は神が於わす山、つまり神様が住まう・こもる山として、
古来神体山として崇敬され、山内からは弥生時代の流水文銅鐸が出土しています。
岸和田では弥生遺跡は加守川・天の川流域に多い。
この事は当時の土木技術では神於山に源を発する春木川・天の川が、
水田耕作に利用出来る唯一の流水であり、その為、
水の源である神於山は命の水の発するところとして大切な地であった。
縁起によれば役行者が開創し千手観音を祀る金堂、薬師如来を安置する講堂、
宝塔、食堂等の伽藍が整備され、左大臣藤原不比等を勅使として参拝させ、
祈願会が行われた。
新羅から飛来した宝勝権現を山内に祀り、
一旦荒廃した後に百済僧光忍が奈良期に中興。
また修験道との関わりが強く、葛城修験の一霊場として、
中世には百八坊の大伽羅を誇ったといわれ発展したが、
南北朝の動乱期や根来寺勢力との戦い、豊臣秀吉の根来・雑賀征伐によって、
神於寺は完全に灰と化し衰退する。
その後、復興し現在に至る。
【参詣道】
170号線沿いにありますが、
交通量が多い道なので、ここを通る人はほとんど居ないと思われ。
170号線からここに車で行くには、
かなり細い道を通りますので少々勇気が要りました。
神於寺は奥の神於山の麓にあります。
【福智院】
天台宗寺院。
パッと見、農家の家のようです。(^^;
【神於寺寺務所】
残念ながら御不在で御朱印は確認出来ませんでした。
【寺号標】
本堂前に車を停めれるスペースがありました。
【本堂】
昔は凄かった系で、今はひっそりとしたお寺です。
【釈迦堂】
小さな釈迦如来が寂しく祀られていました。
【境内】
更に上に車で行けるようでした。
【石段】
【不動堂】
【地蔵堂】
【御膳所】
【宝勝橋】
橋を渡ると少し上に社が見えた。
【宝勝権現】
役行者との約束で新羅から飛来した宝勝権現(雷神)が祀られています。
【風景】
大阪なのに長閑過ぎる。(笑)
これにて参拝終了。
御朱印は恐らく無いと思われます。
恒例の寄り道でございます。(^^
所在地:大阪府岸和田市神於町185
宗派:天台宗
御本尊:弥勒菩薩
創建:天武天皇12年(683)
開山:役行者
勅願:天武天皇
【縁起】
神於山の南麓に位置する天台宗寺院。
神於山は神が於わす山、つまり神様が住まう・こもる山として、
古来神体山として崇敬され、山内からは弥生時代の流水文銅鐸が出土しています。
岸和田では弥生遺跡は加守川・天の川流域に多い。
この事は当時の土木技術では神於山に源を発する春木川・天の川が、
水田耕作に利用出来る唯一の流水であり、その為、
水の源である神於山は命の水の発するところとして大切な地であった。
縁起によれば役行者が開創し千手観音を祀る金堂、薬師如来を安置する講堂、
宝塔、食堂等の伽藍が整備され、左大臣藤原不比等を勅使として参拝させ、
祈願会が行われた。
新羅から飛来した宝勝権現を山内に祀り、
一旦荒廃した後に百済僧光忍が奈良期に中興。
また修験道との関わりが強く、葛城修験の一霊場として、
中世には百八坊の大伽羅を誇ったといわれ発展したが、
南北朝の動乱期や根来寺勢力との戦い、豊臣秀吉の根来・雑賀征伐によって、
神於寺は完全に灰と化し衰退する。
その後、復興し現在に至る。
【参詣道】
170号線沿いにありますが、
交通量が多い道なので、ここを通る人はほとんど居ないと思われ。
170号線からここに車で行くには、
かなり細い道を通りますので少々勇気が要りました。
神於寺は奥の神於山の麓にあります。
【福智院】
天台宗寺院。
パッと見、農家の家のようです。(^^;
【神於寺寺務所】
残念ながら御不在で御朱印は確認出来ませんでした。
【寺号標】
本堂前に車を停めれるスペースがありました。
【本堂】
昔は凄かった系で、今はひっそりとしたお寺です。
【釈迦堂】
小さな釈迦如来が寂しく祀られていました。
【境内】
更に上に車で行けるようでした。
【石段】
【不動堂】
【地蔵堂】
【御膳所】
【宝勝橋】
橋を渡ると少し上に社が見えた。
【宝勝権現】
役行者との約束で新羅から飛来した宝勝権現(雷神)が祀られています。
【風景】
大阪なのに長閑過ぎる。(笑)
これにて参拝終了。
御朱印は恐らく無いと思われます。