阿弥陀寺から同じ和泉市にある松尾寺へ。
松尾寺と言えば舞鶴か大和郡山のお寺を思い浮かべますが、
大阪にも立派な古刹があります。
とはいえ、存在すら今まで知らなかったのは、
ここだけの話です。(^^;
大型の無料駐車場に車を停めていざ参拝開始。
所在地:大阪府和泉市松尾寺町2168
宗派:天台宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
創建:(伝)天武天皇元年(672)
開基:役行者
札所:和泉西国三十三箇所、役行者霊蹟札所、 南海沿線七福神
【縁起】
役行者が当地で七日間修法し、霊木を得て如意輪観音を彫り、
小堂を建てて安置したことに始まる。
その後、泰澄が中興し、熊野、吉野、白山の権現を勧進した。
平安時代、当寺に住んでいた河内国の僧尋祐に纏わる奇瑞が、
日本往生極楽記や今昔物語などに記されており、
鎌倉時代には源頼朝が祈祷所として保護している。
松尾寺の最盛期は南北朝時代から室町時代であり、南朝との関係が深く、
延元元年(1336)後醍醐天皇綸旨によって祈祷所となり、
以後も南朝から度々祈祷を命じられていたという。
南北朝統一後は足利義満ほか代々の将軍も祈願所として、
寺領安堵を行ったとされる。
織田信長は天正5年(1577)禁制を下して松尾寺の保護を一旦は約束したが、
4年後の紀州高野山攻めの際に松尾寺も攻撃し、
松尾寺を含む阿弥陀山諸堂を丸ごと焼き払う。
現在の松尾寺は豊臣秀頼の寄進などにより再建されたものである。
【石段】
【首堂】
石段を登っているとこんな看板が。
いきなりこれですか。(^^;
やっぱり雰囲気も暗いわ。(^^;
何だか気味が悪いので覗き込むことすらしませんでした。
こっちのお堂にはよく分からない石仏が。
ここは興味本位で行く場所じゃないな。
【地蔵尊】
【山門】
お~、これは見事な山門です。
大阪にもこのような山門があったとは。
しかも紅葉の時期はかなり良さそうですね。
紅葉の時期はわざわざ訪れる価値があるでしょう。
反対側も緑が濃いです。
【二天】
増長天と持国天と思われます。
【六字名号鉄柱】
これはよく分からないものですね。
【念仏堂】
【寿老神堂】
南海沿線七福神札所。
【宝物殿】
【金堂】
本堂になります。
慶長7年(1602)に再建されたもの。
内陣は残念ながら見ることも出来ませんでした。
【三天堂】
【鐘楼堂】
【長諭和尚の碑・宝篋印塔】
信長の焼き討ちの際、寺宝百数十点を持って難を逃れたことから、
その功績を讃えたもの。
【不動堂】
【御朱印】
三種類の内の二種類をいただきました。
どうやら昔は凄かった系で今は静かなお寺ですが、
紅葉の時期は今でも凄いと思わせるお寺でした。
松尾寺と言えば舞鶴か大和郡山のお寺を思い浮かべますが、
大阪にも立派な古刹があります。
とはいえ、存在すら今まで知らなかったのは、
ここだけの話です。(^^;
大型の無料駐車場に車を停めていざ参拝開始。
所在地:大阪府和泉市松尾寺町2168
宗派:天台宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
創建:(伝)天武天皇元年(672)
開基:役行者
札所:和泉西国三十三箇所、役行者霊蹟札所、 南海沿線七福神
【縁起】
役行者が当地で七日間修法し、霊木を得て如意輪観音を彫り、
小堂を建てて安置したことに始まる。
その後、泰澄が中興し、熊野、吉野、白山の権現を勧進した。
平安時代、当寺に住んでいた河内国の僧尋祐に纏わる奇瑞が、
日本往生極楽記や今昔物語などに記されており、
鎌倉時代には源頼朝が祈祷所として保護している。
松尾寺の最盛期は南北朝時代から室町時代であり、南朝との関係が深く、
延元元年(1336)後醍醐天皇綸旨によって祈祷所となり、
以後も南朝から度々祈祷を命じられていたという。
南北朝統一後は足利義満ほか代々の将軍も祈願所として、
寺領安堵を行ったとされる。
織田信長は天正5年(1577)禁制を下して松尾寺の保護を一旦は約束したが、
4年後の紀州高野山攻めの際に松尾寺も攻撃し、
松尾寺を含む阿弥陀山諸堂を丸ごと焼き払う。
現在の松尾寺は豊臣秀頼の寄進などにより再建されたものである。
【石段】
【首堂】
石段を登っているとこんな看板が。
いきなりこれですか。(^^;
やっぱり雰囲気も暗いわ。(^^;
何だか気味が悪いので覗き込むことすらしませんでした。
こっちのお堂にはよく分からない石仏が。
ここは興味本位で行く場所じゃないな。
【地蔵尊】
【山門】
お~、これは見事な山門です。
大阪にもこのような山門があったとは。
しかも紅葉の時期はかなり良さそうですね。
紅葉の時期はわざわざ訪れる価値があるでしょう。
反対側も緑が濃いです。
【二天】
増長天と持国天と思われます。
【六字名号鉄柱】
これはよく分からないものですね。
【念仏堂】
【寿老神堂】
南海沿線七福神札所。
【宝物殿】
【金堂】
本堂になります。
慶長7年(1602)に再建されたもの。
内陣は残念ながら見ることも出来ませんでした。
【三天堂】
【鐘楼堂】
【長諭和尚の碑・宝篋印塔】
信長の焼き討ちの際、寺宝百数十点を持って難を逃れたことから、
その功績を讃えたもの。
【不動堂】
【御朱印】
三種類の内の二種類をいただきました。
どうやら昔は凄かった系で今は静かなお寺ですが、
紅葉の時期は今でも凄いと思わせるお寺でした。