マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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名張市鵜山福龍寺のオコナイ

2013年04月26日 08時34分39秒 | もっと遠くへ(三重編)
午前中いっぱいかけてオコナイの飾りつけを終えた一行は頭屋家で接待料理をいただく。

男の子が誕生した頭屋家の祝いのもてなしだと云う。

子供の誕生がなければ公民館で行われる区長の接待だそうだ。

会食を済ませた人たちは再び公民館に集まってくる。

午後も作業がある。

村人が到着するまでに作るのが「キョウ」である。



型押しして作るキョウのメシは四角。

四隅に僅かな尖がりが見られる蒸しメシである。

「キョウ」を充てる漢字は「饗」。

午前中に村の戸数分を作っておく。



そのうちの一つは風呂敷に包んで氏神さんに供える。

地主神とされる地の神さんこと八柱神社はかつて八王子社と呼ばれていた。

膳に乗せて本殿に供える。

寺行事であっても御供を地の神さんに食べてもらうのだ。

かつては蒸したキョウのメシを一旦は菰に広げていた。



冷ましてから型枠に詰め込んでいたが、現在は炊いた炊飯器からしゃもじでよそって型枠に詰め込む。



「キョウ」の膳には2本のゴボウと角切りのダイコンに水漬け大豆を添える。

やってきた村の人が公民館に上がって席に着けば汁椀とともに配膳する。

汁椀はトーフと乾燥した赤いサトイモの葉っぱを入れた味噌汁。

ダシジャコの香りが漂ってくる。



キョウ作りや接待役は区長と手伝いさん。

午後の時間帯も接待に忙しい。



キョウの膳は食べることなく汁椀をよばれて本堂に上がる。

かつては福龍寺本堂に上がってキョウの膳をいただいていたそうだ。

なお、汁椀については見学者にも振舞われるありがたい鵜山のもてなし。



この年は頭屋の子供も席に着いた。



生まれて間もない赤ちゃんは祖母が抱いて村人たちへのお披露目。

蘇民将来の子孫誕生をみなで喜び合う。

キョウの膳を公民館でよばれたあとは本堂でのオコナイに移る。

オコナイの法要をする僧侶は薦生(こもう)の妙応院住職。

鐘が撞かれて始まりの合図。



この日のオコナイに参集した村人は24人。

本堂がいっぱいになった。

導師の真言読経、般若心経に続くお経の途中で「ランジョー」が発せられると縁にある太鼓(奈良県無山で大正11年に製作 中川祭太郎張替)を打ち鳴らす。

太鼓は本堂廻りの回廊にある。

堂外で鳴らすのであるが扉は閉めたまま。

「ランジョー」の声が聞こえにくい。

ドンドコドンドンと太鼓を打ちながら心経を唱えるは6分間。

ぴたりと止んだ太鼓打ちの僧侶は斎壇に座り直す。

村の人の名を詠みあげる時が流れる。

耳を澄ませてじっと待つこと25分後のことだ。



「ランジョー」が発せられた。

「今だ」と気合を込めてドン、ドン、ドンと叩く太鼓打ちは組長の役目。

わずかに1回の作法で終えたランジョー(乱声)は村から悪霊を追い出す所作である。

2月11日には大般若経の転読法要があると案内される僧侶もほっとした顔つきになった。

福龍寺には六百巻の大般若経が現存しているが法要には使わない。

「奉施主入飯道寺 正和二年(1313)」に寄進された大般若経典。

飯道寺は近江の国。

甲賀郡の経典がなぜに鵜山にあるのか、記録も伝承もない。

昔は経典を納めた箱をオーコで担いで村中を巡ったものだと話す。

また、地主の神さんとされる八柱神社の棟札に「正和六年(1317)」の年代が書かれてあったそうだ。

時代的に一致する大般若経典と棟札が伝わることから福龍寺とともに社殿があったと思われる。

八柱神社は五男三女神を祀り、江戸期には八王子社と呼ばれていたというから牛頭天王社であろう。



こうして長丁場のオコナイを終えた村人たちは祈祷された「大地主神 八柱神社 大御歳神」のお札と「ソミノシソンナリ」の護符を授かる。

大正時代の末頃まではランジョーが発せられるとともにナリバナを奪いあった。

現在は争奪戦にならないようにコヨリクジを引いて当たりのナリバナを背負って持ち帰る。



祈祷札はT字型に切り込みを入れたハゼの木に挿して持ち帰る。



お堂の下ではそれらを受け取る人でいっぱいになるが名前を呼びだしてのことだから争奪戦にはならないのである。



「チバイ」はと言えば生まれたての子供を抱く頭屋と6歳以下の子供(男女)がいる家だけが受け取る印だ。

この年は生まれたての頭屋があったが、なければ区長が代役を勤めると云う「チバイ」はすくすくと育ってほしいという願いがあるようで、神棚に一年間奉って翌年のどんどで燃やすそうだ。



ナリバナを貰って家路につく笑顔の婦人たちの顔は実に嬉しそうだ。

背負った婦人たち表情がなんとも言えない鵜山の風情を醸し出す。



重たいから細かく刻む人や軽トラに乗せる人もいる。

風呂敷に包んだキョウのメシは地主神こと八柱神社のお札をハゼの木に挟んで持ち帰る。

お札とハゼの木は苗代、或いは田植え時の田んぼの畦に挿して、今年も豊作になりますようにと立てる。

ちなみにケズリカケとサラエは今年の頭屋が記念に持ち帰るが、その他の飾りやナリバナの台、ケズリカケ、サラエなどすべてが燃やされる。



かつてはダンジョーの作法を終えると始まった争奪戦。

子供たちも大勢おってサラエやスズメを奪い取ったと云う縁起ものだそうだ。

なお、手伝いにあたった頭屋家親戚のⅠ氏は東大寺二月堂修二会における「香水講」で、12日は神官装束になる泊りだそうだ。

この辺りは鵜山を含める地域(山添村広代など)で香水講の集団があるようだ。

お水取りの際に閼伽井屋に提灯を掲げる東香水講だと思われるのである。

また、鵜山には般若心経を唱える観音講もあると云う。

昔は大勢おられた観音講は今では3人。

少なくなったが毎月のお勤め。

般若心経を100巻も唱える。

大勢おられたときは早めに終わった般若心経は3人で唱えるには多い。

一人あたりが33、34巻にもなると云う観音講の営みは毎月17日。

かつては僧侶も来ていたが今は婦人だけの営みは14時から始めるそうだ。

何巻唱えたか判るように小豆を数取りにしている。

一般的には婦人の観音講であるが鵜山では男性もいる。

男性は3人でオトナ講でもあるそうだ。

10月中旬(第三日曜)辺りの日曜日に行われるマツリの頭屋は4軒で勤める。

ダイコン、ゴボウ、コンニャクの「タイテン」に大きな生の丸イワシを膳に盛ると云う。

山添村の広瀬住民のひと言から拝見した名張市鵜山のオコナイ。

奈良県内のオコナイと比較研究する意味合いも見つかった鵜山のオコナイは周辺行事も含めてさらなる民俗行事を取材したくなった一日である。

(H25. 1.13 EOS40D撮影)
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名張市鵜山のナリバナ

2013年04月25日 06時50分36秒 | もっと遠くへ(三重編)
三重県で有名なオコナイに伊賀市島ケ原の観音堤寺正月堂の修正会(県指定文化財)がある。

同県の西方、名張市の地に鵜山がある。

鵜山の名称がある地は奈良県山添村にもある。

両県に跨る同名地の鵜山は明治のころ(と思われる)に行政区割りされ奈良県と三重県側に二つが存在することになった。

山添村大塩の住民K氏は奈良県側を西鵜山、三重県側を東鵜山と呼んでいる。

三重県側から言えば山添村の鵜山は大和鵜山と呼ぶ東大寺の所領地である。

西鵜山から峠を越えたすぐ近くに福龍寺がある。

真言宗醍醐派の福龍寺は伊賀四国八十八カ所の第51番札所である。

本尊十一面観音立相像は古くから妊婦尊敬として親しまれてきた子安観音だ。

この日は正月初めに行われる修正会。

いわゆる村行事のオコナイである。

早朝に村の人が持ち寄ったクロモジの木には玉子、或いは大きな繭のような形のモチを付けている。

その数は1本につき100個以上もある。

まるで白い花を咲かせたようにみえる。

鵜山の村は18戸。

それぞれの家が持ってくる「ナリバナ」である。

話によれば1本につき1升のモチを付けているという。

搗きたてのモチは柔らかい。

千切って丸くするモチをクロモジの木にくっつけていく。

ナリバナのモチは新芽がつくという意味がある。

豊作、多産の願いがナリバナに込められているのだろう。

一週間前に山添村広瀬の住民T婦人が話した「ナリバナがあって、食べたらすぐに身ごもった」というありがたいナリバナ。

婦人の出里が名張の鵜山。

子安観音にナリバナを捧げて願いが叶ったというわけだ。

ナリバナを持ちこむ時間はさまざま。

村人の都合次第であるから揃って来るわけではない。



ナリバナを受け付けるのは区長以下寺手伝いの人たちだ。



ナリバナを受け取ればお返しに数個のモチを付けた小さなナリバナを渡す。

一方、公民館には数本のナリバナが欄間から吊るされていた。



垂れさがるナリバナは一面に花が咲いたように見える。

村からは2本の提供があるナリバナである。

子供が生まれた家も2本のナリバナを捧げる。

圧巻な景観にしばし見惚れる。

かつては頭屋家へ捧げるナリバナであったが現在は公民館。

平成元年の頃は頭屋の家で行われていた記録がある。

公民館が新しくなって場を替えたそうだ。

寺や神社の行事、なにかにつけての寄り合いはここでするようになったと話す。

区長と頭屋、それぞれが2本ずつナリバナを持ってきた。

頭屋となるのは男の子が生まれた家。

実に久しぶりだと話す。

福龍寺本堂にはナリバナ以外に飾りつけを待つオコナイの品々が数品ある。



一つはフシの木を削った「ケズリカケ」だ。

3月に行われる東大寺二月堂で行われる修二会のケズリカケ(お水取りの神事の際にお松明の着け木に用いられる)によく似ているが削りは荒い。

フシの実は青い色になるそうだ。

十津川村の山の神にも供えられるケズリカケがあるそうだ。

もう一つは「サラエ(若しくはサライ)」である。



竹の先を6本に割いて直角90度に曲げたサラエに交互に取り付けた紅白の花。

ケズリカケと同じフシの木を使っている。

「ハナ」の別称があるサラエは曲げが戻らないようにマメフジの蔓で縛っている。

奈良市都祁針の観音寺で行われるオコナイの「ハナ(華)」と同じような形であるが針では7本割きだ。

針では曲げの部分を火で炙って曲げていたが、鵜山ではそうすることなく難なく曲げると製作者のS組長が話す。

奈良市都祁上深川の元薬寺で行われる初祈祷がある。

ここでもハナ(華)があるが、竹割りは三方である。

上深川においてもナリバナがある。

大当家が作って奉納するクロモジのナリバナ(モチバナとも呼ぶ)も見事な大きさだったことを覚えている。

それはともかく持ち寄ったナリバナを挿す台がある。

藁俵を丸く敷いた上に竹で編んだ籠を逆さにした台である。

台が倒れないように籠の中には枯れ葉を詰め込んで重たくする。

これをシンドカゴと呼ぶ。

本来は三段にする藁俵。

この年は一段であった。

ナリバナ台に挿す飾りものがある。



竹に挿したクリ、コウジミカン、サトイモ、輪切りダイコンは山の幸だそうだ。

押しモチもある山の幸は閏の年は13本。

合計で26本になるようだ。

ナリバナ台の中央に挿すのは葉付きの笹竹。

力竹とも呼ぶ男竹と若い竹のメダケ(女竹)だ。

その男竹の頂点にケズリカケを挿す。



葉がある細かい女竹の枝には「スズメ」の名称がある小さな三角形の木に色紙で作った造りものも挿す。

「スズメ」は赤、緑それぞれ6個の合計で12個。

一年の月の数のスズメは閏の年では13個になる。

実った稲穂に群がるスズメは豊作を表していると考えられるのである。

シンドカゴ、サラエ、ケズリカケ、スズメ、山の幸は1対。

本尊脇の内陣両側へ左右1対に設える。

シンドカゴには御供と呼ばれるクシガキ、ヒシモチ、2段重ねモチ、クリ、コウジミカン、トコロも供える。



正月の「オガミゼン(拝膳)」の内容と同じだそうだ。

オコナイに奉られる飾りものの造物はそれだけでなく「チバイ」と呼ぶものもある。



フシの木片の四方に「ソミ」「ノシ」「ソン」「ナリ」の文字がある。

コヨリ捩じりの青、赤色紙を付けて鮮やかな「チバイ」は護符を括りつけている。

それには「ソミノシソンナリ」の文字が羅列してある。

供えた家族の人数分だという「チバイ」は蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫成りという鵜山の住民たち。

この「チバイ」はオコナイ行事を終えてから受け取るのではあるが、受け取るのは6歳までの子供と決まっている。

この年は生まれた頭屋家と6歳の子供がいる2軒。

少なくなったと話す。

ちなみに鵜山でいう「スズメ」は島ケ原で「ツバメ」と呼んでいる。

島ケ原では「ソミノシソンナリ」の在り方は廃絶されただけに鵜山のオコナイはとても貴重である。

「チバイ」を本堂の柱に括りつけて午後の時間を待つ。

オコナイの準備作業をしていたのは区長と4組の組長夫婦と頭屋家とその親戚になる家人。

区長は1年任期であるが組長は2年任期だそうだ。

鵜山は18戸の集落だけに廻りが早いという。

かつては37戸もあった鵜山も徐々に減って18戸。

隣村の奈良県側の鵜山も18戸と聞く。

行事を勤めるのはたいへんだと話す。

(H25. 1.13 EOS40D撮影)
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三重県鵜山ナリバナの風習

2013年04月13日 08時03分01秒 | もっと遠くへ(三重編)
奈良県山添村の鵜山からそれほど遠くない三重県の鵜山にある福龍寺。

今年は13日の朝8時ころから集落の婦人たちが木にモチをつけた「ナリバナ」を持ってくると聞いてやってきた。

18戸すべてがそうであるのか判らないがお寺の本堂に供えたナリバナは壮観だと婦人は云う。

14時ころに営まれる法要を終えれば我が家が持ってきたナリバナでなく他の人が供えたナリバナを持ち帰って焼いて食べる。

そうすれば安産或いは子供ができると伝わる。

山添村広瀬の住民婦人の出里が三重県の鵜山だ。

そのモチを焼いて食べたらあっという間に身ごもったと話す。

そんな話を聞いて立ち寄ったのである。

お寺を拝見していたときだ。

ウォーキングをされていた村の婦人にその話をしてみた。

「すっごいナリバナがあるんよ」のひと言。

まさにそのとおりだと云うⅠさんは山添村の岩屋が出里。

話題が出里になって盛り上がった。

安産に良いとされる観音さんのナリバナは今でも続けていると云う。

ナリバナの風習は福龍寺で行われるオコナイである。

かつては1月13日の初祈祷であったが、何年か前に成人の日の前日に行われるようになったようだ。

そんな話を聞いた寺横にある公民館。

ススンボの竹を集めたように思えたが・・・。

(H25. 1. 7 SB932SH撮影)
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伊賀上野天神社の初詣

2010年02月02日 09時27分18秒 | もっと遠くへ(三重編)
お正月は初詣。

どこへ行けばいいのかホテルにあった伊賀上野の観光マップを開いた。

子供が小さきときに訪れた天神社。

そこなら覚えているが、写真が残っていない。

当時はカメラを持っていかなかったのだ。

それはともかく2台で神社に向かった。

ここら辺りだと思うのだが神社に入る道筋が判らない。

グルグル回った。

裁判所の前を三度も通った。

ようやく着いた天神社。

鳥居を潜っていけば初詣参拝の行列ができていた。

並んでいると声をかけられた。

なんとかぼすだちさんだ。

彼女の実家が当地にあることはブログで知っていた。

まさかここでお会いするとは、ちょっとした時間のズレで遭遇することができた。

うちは家族連れ、これもなにかの縁なのでおかんとかーさんを紹介した。

(H22. 1. 1 Kiss Digtal N撮影)
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続、一ノ井松明調進行

2008年04月17日 07時53分53秒 | もっと遠くへ(三重編)
笠間の峠越え。

(H20. 3.12 Kiss Digtal N撮影)
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続、一ノ井松明調進行

2008年04月17日 07時52分56秒 | もっと遠くへ(三重編)
一ノ井松明調進行。

(H20. 3.12 Kiss Digtal N撮影)
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一ノ井松明調進行

2008年04月17日 07時52分05秒 | もっと遠くへ(三重編)
毎年3月12日に行われるだったん松明の調進行。

朝日が昇る前、三重県名張の一ノ井極楽寺を出発した松明講の一団の行列。

東大寺二月堂の修二会で達陀(だったん)行法で用いられる松明用のヒノキ材を担ぎ、一路奈良を目指す。

名張川の井出橋を渡るとと奈良県境笠間の峠越えの急な山道を登っていく。

ヒノキは板状に揃えて六、七枚を扇状に組み合わせた一把。

八把を一束にしたヒノキ束は合計二十束。

てんびんのように二束ずつ担ぐ役目は五人衆だ。

春を呼ぶ会とともに参加した一般客も体験する担ぎは、峠から旧笠間小学校まで。

振る舞いのおにぎりや温かいとん汁にほっとする。

(H20. 3.12 Kiss Digtal N撮影)
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終着駅伊勢奥津

2007年05月03日 08時48分42秒 | もっと遠くへ(三重編)
美杉村の名松線終着駅の伊勢奥津駅。

この名松線、一日7本の運行で日中2時間に一本のダイヤ。

10年ほど前、伊勢奥津駅に来たとき田園の中にプラットホームだけぽつんと。

曖昧な記憶だが駅舎はなかったような気がする。

カラモモなのでしょうか。

添え花をあしらえて。

(H19. 4. 7 Kiss Digtal N撮影)
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続、正念寺花まつり飾りつけ

2007年05月02日 09時20分35秒 | もっと遠くへ(三重編)
たくさんの「花」を屋根に貼り付けて飾りつけ。

正面には「卍」を模った花文様を描く。

(H19. 4. 7 Kiss Digtal N撮影)


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正念寺花まつり飾りつけ

2007年05月02日 09時17分59秒 | もっと遠くへ(三重編)
美杉村奥津の正念寺ヤマザクラを撮影していたらお堂のなかで花祭りのお飾り真っ最中。

どうぞ撮ってやってくだされれとお堂の中に入ることを勧められた。

花御堂の屋根にたくさんの花を飾り付けしていきます。

正面には卍を模った文様を描いていきます。

当日の夜19時に行われる花祭りに供えられる御供モチ。

長モチを切ってコモチにすると袋詰めにします。

お稚児子どもらをはじめとして大勢の参拝者が訪れるという。

(H19. 4. 7 Kiss Digtal N撮影)
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