マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

幾度行っても彷徨う大都会にハレとケの谷間

2017年06月30日 08時59分26秒 | しゃしん
空を見上げりゃ青空に浮かぶ白い雲。

ビルの間に広がる自然の色。



内部に入れば僅かな隙間から都会が見える。

重たい籠部屋を上下に引っ張る、降ろす導線。

それもこれも命の綱・・。



一本が欠けたらどないなるんやろか。

私の心臓は一本か何本か判らないが「健索(けん)」切れて高級困難に陥って死にかけた。

地下に潜ればごめんくださいの声が聞こえてくる。



反応もないから他の店も訪ねてみよう。

都会の動きはとにかく忙しそう。



歩く人たちの速度についていけない。

目眩をしそうになった。

この日に出かけた大都会の大阪。

JR大阪より歩いて十数分の西梅田。

ヒルトンプラザウエスト・オフィスタワー13階で展示されている石津武史写真展の「ぶらり大阪環状線」を拝見する。

石津武史さんと初めて出会ったのは奈良の祭りの場だった。

それがどこのどういう行事だったのか未だに思い出せない。

それはともかく石津武史さんがとらえた写真は凄まじいほどの迫力を感じる。

圧倒されるドアップで表現される釜の人たち。

モノクローム部門で第61回のニッコール長岡賞・ニッコール大賞を獲得された実力者。

テーマ「釜で生きる」は第17回酒田市土門拳文化賞奨励賞も受賞している。

今回の作品はモノクロでなく全作品ともカラー。

しかもすべてが縦位置。

画面上にオレンジカラー色の環状線電車が走る。

高架下に暮らす人たちの様相をほぼ明るい陽射しを浴びる状況を撮っている。

ビジネスマンもおれば自転車で道具を運ぶ作業員の姿もとらえる。

ときには夕暮れ近い灯りを得た映像もある。

正面中央には静止画。周りはブレで動きを表現する。

計算しつくした作品に憧れを感じる。

ひと通り拝見して併設されている写真展も拝見する。

石津武史写真展の「ぶらり大阪環状線」は梅田ニコンサロンbis大阪が会場。

同一フロアーの左側にある会場は大阪ニコンサロン。

どういう違いがあるのだろうか。

石津さんの話によれば審査員が違うらしい。

平成22年に拝見した石津作品は「日々坦々」。

3度目になる石津作品はすべてが梅田ニコンサロンbis大阪だった。

たまたまであると思うが大阪ニコンサロンに比べて明るい会場だった。

石津さんが云うには作家さんのご希望による照明のようだ。

この日に拝見した大阪ニコンサロンの展示作品は松本コウシ写真展の「泳ぐ夜 其の弐」。

すべてがモノクロ写真。巷の夜を蠢く人たちは何者。

肩を寄せ合う男女もおれ若いカップルにど派手な姿の女性。

酔っているのか路上に倒れている男性もいるし小学生と思える子どもを連れた親子もいる。

表情に明るさは見られない。

会場の照明も暗く闇に包まれているようだ。

流れている楽曲は知らないが情景に深みを増す。

撮られた地は・・。

おそらく大阪市内。

新世界もあるだろう。

もしかとして環状線も・・。

闇を蠢く虫たちのような映像に心臓術後に出現した幻影と見間違う。

二つの展示会場は隙間があるかのように思った写真展。

ひとつは日常を表現する「ケ」。

もうひとつは夜を舞台にした「ハレ」ではないだろうか。

(H28.10.27 SB932SH撮影)
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半年無償期間内に発生したCanonEFS17-85ISUUSMレンズのErr01

2017年06月29日 09時05分02秒 | しゃしん
中古品には一度限りではあるが、無償の半年間保証がついている。

半年過ぎてエラーが出たらたまらん・・。

そうは思っても出るわけはないだろうと思っていた。

ところが、だ。

買い換えた日から数えて107日目。

3カ月と半月ほど経った10月16日に再発生した。

カシャと音をたてたカメラ本体の表示画面に「Err 01」。



エラーメッセージは「カメラとレンズの通信不良です。レンズの接点を清掃してください」である。

これが出たらシャッターは押しても映像は・・・。

とにかく写さなければならない状況下に焦る行動は電源オフにレンズの再装填。

一枚撮ってはエラーに再処理を繰り返す。

翌日の17日は撮影取材がある。

なんとかしたい。

思い出したのがカメラのキタムラM店員さんの言葉だ。

17mmから35mmまでの広角側にエラーが発生する。

それ以上であればシャッターは下りる。

そうだ、この日はそれでなんとか逃げ切りたい。

たしかにそうであればシャッターは下りるが、普段のクセが自然と出る。

ついつい広角側にズーミングしてしまうのだ。

その度に発生する「Err 01」に難儀はしたが、なんとか写真を撮ることができた。

翌日の10月18日。

カメラのキタムラ奈良南店に持ち込んだレンズ不良。

ところがどこを探しても保証書が見つからない。

ここはと思う場所はくまなく探したが見つからないが、買った日や購入価格はメモしているから思いだせる。

それが前述したブログ記事である。

これこれかくかくしかじかの店員さんに伝えたら落下したものは保証できません、という。

そんなことは一言も云っていない。

何十年と通っている大得意客の私はゴネたくない。

購入履歴があるはずだと思って調べてもらったら・・・・あった

購入したときのサインもある。

間違いないことを信じてもらえた。

購入してから指折り数える店員さん。

半年保証期間内ですと答えた応対が笑えた。

無償の修理は2、3週間もかかる。

かかっても構わないが本体は要る。

レンズだけをお願いしたが、以前は店長や副店長が修理期間中に無償で予備レンズを貸してくれた。

今はそれもできない時代。

そりゃそうだが、さて、どうするか、である。

そういえばザックに保管してあるカメラがあったはずだ。

今では懐かしい「Kiss Digtal N」だ。

平成22年1月30日までは使っていた。

その日に貰ったEOD40Dに譲るまでの数年間も活躍していた一眼レフカメラ。

たしかレンズは装填したままで保管しているかも、と思って探したらザックの中で眠っていた。



修理願いに出したレンズの代替に久々登場したCanonEF28-80mm F3.5-5.6 V USMの再活用である。

修理されて戻ってくるまでの期間にガンバッてもらうしかない。

(H28.10.18 SB932SH撮影)
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ラ・ムー京終店のプルコギビーフ丼

2017年06月28日 09時28分55秒 | あれこれテイクアウト
この日は取材ではないのに忙しい。

午前中は心臓のリハビリ運動。

午後はこの日から始まった図書情報館での写真展。

県立民俗博物館で開催された「私がとらえた大和の民俗⑤-衣-写真展」の場所を替えたサテライト展示会だ。

そして、18日間に亘って奈良町資料館で展示させていただいた「もっぺんみたい大和の年中行事」写真展。

この日はラストデイで撤去・搬出作業に取り掛かる。

それが終われば壊れたカメラレンズの修理願い。

それが終われば40日サイクルで刈っている散髪。

すべてが終われば外は夕闇。

これらをこなすには美味しい昼食がいる。

行き先々のコースを考えてどこで食べるか、である。

時間は小刻みに動く。

ゆっくり落ち着く間もない。

リハビリ運動を終えて外来棟を出発したのは午後13時10分。

運動をしていたからお腹は減ってぐうぐう。

美味いものが食べたい。

コースはどこを目指す。

言わずと知れたラ・ムー京終店に決まり。

前回は牛丼を食べた。

これがとにかく美味かった。

その丼の横にあった別の丼が、今度は買ってねと云っているようだった。

ただ、売り切れている場合もある。

そんな心配をしながら入店した。

まっしぐらに目指す弁当売り場。

あった。本日のお目当てはプルコギビーフ丼。

牛丼との違いは明らか。

白ごまを振りかけているので間違うことはないが、購入するまではずっと豚丼だと思っていたのだ。

商品シールには間違いなくビーフ丼とある。

牛丼は日本語表記であるが、プルコギはカタカナに日本語表記。

「牛」ではなく「ビーフ」である。

手でぱっと開く蓋。ありがたい簡単開け蓋に歓びを感じる。

一口食べた。

旨い、美味い、うまい・・・。

牛肉とは違った味である。

そりゃぁプルコギだわ。

牛肉、タマネギの煮込みは同じような調理法であろうが、味付けタレが違うのである。

白ごまが味に旨さをプラスする。

これで184円(税抜き価格とは驚異的。

奈良県内には京終店以外に4店舗もあるラ・ムー。

味に違いがあるのか・・・機会があれば試してみたい。

(H28.10.18 SB932SH撮影)
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セブンイレブンのいなり・巻き寿司

2017年06月27日 08時18分24秒 | あれこれテイクアウト
桃香野の祭りは翌週だった。

掲示板に貼ってあった祭りのポスターにそう書いてあった。

月ヶ瀬の嵩もそうである。

時間帯は若干の差があるから見られないことはないが、どこかで諦めなくてはならない。

そう思いながらも昼食はどうするか。

たぶんに買っている間、どころか売っている店はこの近くにない。

食事処はあるが、行く気も起らない。

ふっと座ったところにさしだされた稲荷寿司に巻き寿司。

ありがたくよばれることにした。

おいなりさんはみっつ。

もう一品もみっつであるが、これには巻き寿司もある盛り合わせ。

アゲサンの味はお気に入り。

ジューシーな味わいに喉がごっくん。

巻き寿司に三つ葉はないが味が染みたカンピョウにシイタケ。

コンビニが売る巻き寿司はスーパーも同じだが、断然にセブンイレブンに軍配をあげる。

(H28.10.16 SB932SH撮影)
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ラ・ムー京終店の牛丼

2017年06月26日 09時18分11秒 | あれこれテイクアウト
中畑から下って佐紀町に向かう。

昼食をどこで買うのか、腹の中は決まっていた。

いっぺんは食べてみたかったラ・ムー京終店の牛丼である。

棚に並んでいる数々の弁当には目もくれずに手は牛丼に・・。

お店にあるレンジでチン。

やや暑くなったこの日に食べる牛丼は久しぶりの車中食。

蓋を開けたら食欲をそそる香りが立ち上がった。

ラ・ムーの丼や弁当は蓋が開けやすい。

いろんなところのスーパーで売っているパックはイライラする。

ある弁当は蓋が開かないようにセロファンテープで固定している。

剥がすのにイラつく。

また、あるところのスーパーでは頑丈なおまけがある。

パックの全面に亘ってラップフイルムで覆っているのだ。

これがたまらなく難儀する代物。

蓋が外れないようにという考え方があるが、パックがひっくりかえれば、蓋が開く以前にご飯もおかずもぐちゃぐちゃ・・・。

ぺっちゃりくっついているラップフイルムは剝がしにくい。

お腹が減っているのになかなか食べられない。

困ったことをしてくれるお店はとにかく多い。

その点、ラ・ムーのパックにはそれらがない。

いとも簡単に開けられる。

さて、お味である。

一口食べて唸った。

美味すぎる。

これで税抜きの184円。

箸がすすんでガツガツ。

がっつり食べる牛丼に惚れた。

紅ショウガも他店よりも盛りが良い。

とにかく美味しいのはご飯で決まる。

あるお店の弁当はご飯が堅め。

ラ・ムーのご飯は国産であるが、炊き方が良いのだろうと思うほくほく感。

噛めば甘味を感じるから余計に牛丼が美味い、と思うのである。

牛肉はたぶんに外国産であるが、脂も旨みもぎゅうぎゅう詰め。

煮込んだタマネギが牛肉と絡んで美味い。

もう一度言う。

これで184円(税抜き価格)なんて信じられない。

(H28.10. 8 SB932SH撮影)
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三条添川のさん天の海老天丼

2017年06月25日 08時40分28秒 | 食事が主な周辺をお散歩
写真展の設営は予想を覆して2時間と20分もかかった。

しかも、著書の購買希望者が誤解して展示会場に問合せをしないように表示プレートもすることいなり手間取った。

なにもかもが初めての体験だけにオロオロする。

次回の予約はないが、設営の協力者にお声がかかった。

たぶんにお願いされるであろうと踏んでいた。

望んでいたことが来年の初春に実現する。

今度は私が協力者である。

そんなあれやこれやで会場を後にした時間帯は12時半。

お腹も減ってペコペコ状態。

近くにえーのがあることを思い出した。

会場からはそれほど離れていない奈良市三条添川。

ノガミ行事が行われているすぐ近くにあった天丼、天ぷら定食のチェーン店の「天丼・天ぷら本舗 さん天」。

「さん天」の「さん」って一体何、であるが、幟に書いてあった390円の海老天丼に釣られて入店した。

ここでも券売機。

タッチパネルメニュー画面から希望の商品をプッシュして現金を支払う。

こういうチェーン店はいったいいつになれば電子マネー化してくれるのだろうか。

紙幣であろうが硬貨であろうが、財布から取り出して投入口に入れるのがなんともやっかい。

いつからそういう具合になったのか、身体は覚えていない。

とにかく面倒なのである。

それはともかく「さん天」は鍋物・寿司チェーン店の「和食さと」が出店した。

そういえば「にぎり長次郎」も「和食さと」が経営。

なーんだであるが・・。

揚げたての天ぷらをお手頃価格で食べられる新感覚店」が謳い文句。

秘伝のタレはまろやか仕立て。

油は100%のキャノーラ油がこだわりとある。

いろんなメニューがあるが、私はシンプルにお店の主役を選ぶ。

他のメニューには目がいかない。

ごっつぉは特に求めない。

うどん店もそうである。

誰が云いだしたか知らないが、シンプルイズベストで注文した海老天丼がテーブルに運ばれた。

タレがかかった天ぷらは海老天ぷらが二尾。

白身魚が一枚。

カボチャやオクラ、レンコンなどの野菜天ぷらに薄っぺらい海苔天ぷらも盛ってある。

ガッツリいった天丼。

おっ、オクラが美味いやん。

これは期待できると思って海老天も。

サクサク感もあってプリプリ。

油がいいのでしょうが、この味はなんだ。

ご飯に浸み込んだタレ・いままで味わったことのないようなタレ味である。

どことなく大手スーパーでも売っている天ぷら弁当のやや濃いめのタレ。

見た目はあるが、味にコクを感じない。

関西風でもないような気がする。

これをあっさり味という人がいるのだろうか。

味に魅力がないから食が進まない。

天丼は揚げたて天ぷらで決まるが、タレとの相乗効果でなければ旨くない。

決して不味くはないのであが、一度、天ぷらのタレだけで食べてみたらわかる。

タレでご飯を食べる。それが美味い丼。

カツ丼もそうだと思っている。

揚げたてサクサクの衣にカツががつーん。

ご飯に浸みたタレでさらに美味しくなる。

尤もここのご飯はやや固め。

ふっくら感もなく飯そのものに味がない。



運ばれたときにいただいた「焼きバラ海苔 味噌汁」無料券があっても、たぶん、2度目の来店は考えにくい。

(H28.10. 1 SB932SH撮影)
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月ヶ瀬嵩八柱神社秋の大祭

2017年06月24日 08時52分55秒 | 奈良市(旧月ヶ瀬村)へ
平成2年11月に月ヶ瀬村(現奈良市月ヶ瀬)が発刊した『月ヶ瀬村史』がある。

村史によれば嵩の八柱神社の例祭は10月27日(平成11年から第三日曜)だった。

「例祭の当屋は家並み順。かつては子どもが当屋であって大まつり、小まつりの名称で呼ばれていた。大きい子どものうちから一人。小さい子どものうちからも一人。座衆、非衆の区別があった・・・。秋茄子が一番のご馳走というほど質素な料理。村中の人たちが寄ってきて、野菜のご馳走を食べて謡いをする。その場でお箱渡しが行われる。昔は宵宮の晩に当屋の家に集まってカシの木で作った千本杵と木臼で餅を搗いた。当屋の家では寿司や刺身、松茸などのご馳走を作り村各戸に配った。謡いの式には三角に切った焼豆腐とコンニャク、ジャコがある。昭和十二年、戦争の影響で招待者は遠慮、節約体制となり、以降は寂しくなった」と書いてあった。

オトナ(老名)は四人。

長老は神主と呼ばれ祭事を務めた。

前日の宵宮で話してくださった嵩の行事。

本日の八柱神社の大祭に生きた鯉を供えていた。

生きているから暴れる場合もある。

それを防ぐには鯉の目に蓋をする。

蓋といっても紙片である。

神事が終われば近くにあるため池に放して放生会をした。

今年からは鯛になったが、放生の鯉は酸素を詰めた袋に入れて斎主がもらって帰る。

隣村の月瀬では一老がもらって帰ったというから、かつての嵩もそうであった可能性が高い。

ただ、年代は不明だが『祭り帳』に「はつの魚」の記載もある。

マグロを「はつ」と呼んでいたのは山添村の大字春日。

マツリに登場するでっかいマグロは刺身用。

嵩でも同じようにマグロの刺身を出す時代もあったようだ。

昔の御供はもうひとつの特徴があった。

それは山に生息してキジである。

捕ってきたキジを供えて持ち帰るのも斎主。

いつしかキジでなく山鳥代わりの生玉子である。



昭和3年の初期のころの『祭り帳』に記載されていた山ノ鳥や川魚のことである。

宮総代らがいうには昭和44年から49年までは生玉子。

50年からは玉子5個に定まった。

また、大祭に三角に切ったコンニャクに同じく三角に切った柔らかい豆腐を挟む料理がある。

『祭り帳』によればその料理を「サンド」と書いてあった。

つまりはパンのように挟むことからサンドイッチ。



イッチが取れて「サンド」の表記は昭和53年ともなれば「三度サンド」。

さらには「三角三度」に移っていた。

『祭り帳』に書かれていた当時の記帳内容を把握しながらの取材である。



本当家と相当家の2軒の家族が調理する座の料理。

奇麗に皮を剥いた茄子が山盛り。



その向こうには三角に整えた味付けコンニャクがある。

茄子は蒸し器で蒸す。

やや小さくなった蒸し茄子は大皿に盛る。



盛り方は放射状に広げるような感じだ。

柔らかくなった蒸し茄子は手を添えながら並べる。



ほうれん草は大鍋で茹でた。

これはクルミイモである。



クルミは青豆をすり潰したもの。

どろどろになったクルミはとろとろに茹でた里芋に覆うようにかける。

クルミの潰し方は若干の粒状を残す。

こうしておけば歯触りが良い。

かつて数か所のよばれたことのあるイノコのクルミモチもそうだった。

あのときの食感は忘れられない魅力がある。

三角サンドの呼び名がある三角切のコンニャクと豆腐。

厚めの豆腐を横スライスに切って三角切り。

手に乗せて切るのが難しそうだった。

挟んだこの形を拝見して思い出したのが山添村の大字春日のオトナ祭り(若宮祭)の座に出てくる料理である。

豆腐の焼きがあるか、ないかの違いはあるが、形状はまったく同じである。

三角切りの豆腐・蒟蒻の名前を漁ってみたが、大字春日の資料には固有名詞の記載がなかった。

どちらが先にあったのかわからないが、何らかの関係性があったことに違いない。

大祭神事が始まる時間帯は午後2時。

神前に数々の神饌御供を先に並べた。



お重に詰めた青豆はハジキ豆。

もう一つのお重はクルミイモ。

お櫃の御飯はキヨ(『祭り帳』に“きよう”とある)の白蒸し飯。

生玉子五つは両当家の奉った御幣の陰に隠れた。

他に鏡餅や鯉から替わった鯛や鯖に開きの魚のサイラ干し、祝い昆布、寿司海苔。葉付きの大根、蕪、人参もある。

宵宮同様に拝殿に登るのは神職に4人のオトナ(老名)と3人の宮総代である。



参集された氏子たちは見守るかのように外で参列する。

大祓詞の唱和。

そして、祝詞奏上。

厳かに行われる神事に聞こえる祝詞。

野鳥が囀る声が境内に広がる荘厳な場に佇んでいると異空間に入り込んだかのような錯覚を覚える。

次に始まるのは両当家が奉げた御幣を受ける奉鎮祭。

まずは本社殿に向かって正座する。



頭を下げて2礼、2拍手、1礼。

本当家、相当家とも同じ作法をして拝殿に戻る。



そこで受け取る当家の御幣。

儀式を終えて場を移動する。

そういえば先に拝見していた『祭り帳』に記載していた春日神社や薬師寺などの御供はどこにあったのであろうか。

嵩の神饌御供は先に調えて供えている。

ここにあると聞いて下げる前に撮らせてもらった薬師寺の神饌御供。



本社殿の御供と同じようにお重に詰めたハジキ豆にクルミイモ。

本社殿の鏡餅は五合であったが薬師寺は二合の重ね餅。

その前にある小皿盛りがキヨの飯。

一合升で詰めた作ったキヨの飯は四角い形であった。

本尊は格子扉の奥に安置されている。

落ち着いて拝見する間もなかったが、掲げてあった絵馬に目が留まる。

文政十一年(1828)七月吉日に寄進奉納された絵馬がある。



退治した赤鬼、青鬼に向かって諭しているかのように見える武者の絵馬。

お伴の者を描いていないから桃太郎ではないだろう。

で、あれば大江山の鬼退治した渡邊綱なのか。

大江山を描いた絵馬は群衆絵が主。

このような優しく鬼を諭す絵馬はあまりない、と思うのだ。

いずれであっても、絵馬に願主尾山とあるから大字尾山の人が寄進したことには違いない。

ちなみに春日神社は本社右横にあるヤカタであった。



これより始まるのは「座」である。

上座に座るのは神職と一老に区長である。

両脇の席についたのはオトナ(老名)、宮総代、氏子である。

下座につくのが本当家、相当家。

そういった席の前に並べた嵩のごっつぉはお櫃に盛ったキヨ(『祭り帳』に“きよう”とある)の白蒸し飯。

お重詰めのハジキ豆。



同じくお重詰めのクルミイモ。

里芋、大根、人参、竹輪、椎茸を煮込んだ煮しめ料理。

酢ゴボウ。

輪切りイカのたいたん。



三角切りの味付けコンニャク。

胡麻を振りかけた茹でほうれん草は醤油の味付け。



ダイビキの名がある辛子漬けの蒸し茄子にコンニャクと豆腐を挟んだ三角サンドである。

座始まりの指示は斎主の大字尾山の岡本和生宮司が行う。



まずは下座についた両当家が座の始まりの挨拶をする。

そして、下げたお神酒を座中に注いで酒を飲む。



注ぎ回った両当家も酒をついでもらって一同揃って一杯をいただく。



すぐさま動いた両当家は上座から酒を注ぎまわる。

酒を待てない氏子たちは交互に酒を注ぎ合う。

ひと通り酒を注ぎ終えたら今度はお櫃をもって上座に向かう。



小皿に盛ってまわるキヨの飯である。

次に配るのはお重詰めのクルミイモ。



席に回されたクルミイモはそれぞれが一つずつ箸で摘まんで手元の小皿に乗せる。

イモはそれぞれが廻していくが最終的には下座の両当家席の前において留め置き。

次に廻すのは煮しめ料理。

その次は輪切りイカ。

そして、酢ゴボウ、三角切りのコンニャク。

茹でほうれん草も順番に廻す。



廻す都度に中央に置いたご馳走料理を移動する。

一つ、一つの盛りを順次繰り上げるように移動するのである。

ただし、である。



大皿盛りの辛子漬けの蒸し茄子とコンニャクと豆腐を挟んだ三角サンドのお重は廻さない。

後ほど行われる謡いを終えてからである。

そのときに登場する“膳”は松葉と白い菊の花を立てた2/3切り大根である。



大根はやや長目のようだ。

その膳には高く盛ったジャコに盃がある。

この“膳”は2杯ある。

座が始まってから1時間経ってのころだ。

この“膳”を上座の斎主と一老席の前に置く。

謡いの歌詞を見てどの曲を先に謡うのか。

オトナとも相談して決めた初めの曲は四海波。

そして始まる謡いの儀式である。



まずは塗りの盃に酒を注ぐ。

盃は“膳”にある塗り盃である。

酒は熱燗のようだ。

酒を注いだ塗り盃を手前に差し出すような位置で止める。



それから謡う四海波。

「四海波 静かにて・・」の節を謡う斎主。

それに合わせて次の節の「國も収まる時つ風・・・」からは一同も揃って朗々と謡う。



最後の節の「・・君の恵みはありがたや」を謡い終わって盃の酒を一気に飲み干す。

飲んだ盃を“膳”に戻してジャコを摘まむ。

摘まんだジャコをいただく間に次の盃は右手の次の席者に。

左手も次の席者に“膳”を移動する。

盃を手にして酒を注いでもらう。

次の歌い手は下座に座った若い人。

謡う曲は高砂だ。

「ところは高砂の・・・」と謡えば、一同が揃って「尾の上の松も・・・」と謡う。

だいたいが1曲2分間の儀式は上座から数えて何人かが酒をいただいた。

廻し飲みの酒に膳が運ばれるが、なんとなく山添村の大字春日のオトナ祭り(若宮祭)の座に出てくる、

いわゆる“見せ膳”によく似ているように思えるが、どうも違う。

祝いの膳、それとも“謡い膳”と呼ぶのが相応しいのかもしれない。

そう判断してこれ以降の文は“謡い膳”とさせていただく。



一区切りがついたのか、先ほど謡いをしていた二人の若い人が上座に動いた。

持ったのはコンニャクと豆腐を挟んだ三角サンドのお重だ。

当家でもない若い人は手伝いのドウゲ(堂下)のように思えたが聞きそびれた。

順番に三角サンドを配った二人は下座に戻る。

そうすると両当家が“謡い膳”を二人の前に差し出す。

これまでと同じように注いでもらった盃の酒をいただいてジャコを食べる。

ジャコは廻し飲みに食べる肴である。

席についた両当家がようやく口にする煮しめ料理。

三角サンドも食べるが、座の接待に廻らなければならない。

ゆっくり落ち着いて食べる間もなく席を離れて上座に向かう両当家。

上座の席に運ぶのは大皿に盛った辛子漬けの蒸し茄子である。



大皿の中央にあるのは辛子醤油漬け。

箸で摘まんだ茄子を椀の辛子に漬けて小皿に移す。

一人、一本の蒸し茄子はナスビそのものの味だが、辛子醤油をふんだんに漬けることによって乙な味に変貌する。

『祭り帳』に記しているのは材料だけであって、味付けというか今で云う作り方レシピは書かれることがない。

村行事において味覚も受け継いでくるのは難しいことだと思うのである。

座中のとり計らいで座料理を味わう特別な料理の美味しさが口中に広がった。

三角サンドには味付けはない。

コンニャクは蒟蒻の味であるし、豆腐は豆腐味。

どちらかといえば豆腐そのものの味がする。



なお、この辛子茄子のことを「ダイビキ」と呼んでいたのが気にかかる。

これまで取材した地域。

山添村の松尾のトウヤ(当家)家が渡り衆をもてなす接待宴があった。

その在り方に「大魚の鯛を大皿に盛った器を掲げて宴の真ん中を歩く親戚筋。皿を持って左右にゆらりゆらりと振るように前に出る。要人たちは手を叩いて謡いをする」と書いた。

もしかとすれば、であるが、嵩のもてなし料理の辛子茄子は大皿盛り。

それを縁者が頭辺りにもって宴座で披露していたのかもしれない。

そう思ったのであるが・・・。

かつては大皿に盛った松茸もあったそうだ。

「松茸は上等の味やった。旨いもんは美味い。美味い松茸やけど、辛子醤油もサイコーやっ」とほうばって食べていた宴に謡いは続く。

一方、「料理だけじゃなく、ちょっと違うものももってきてくれんか」という声も出る。

お酒も随分飲んで酔いも謡いに発揮さるように聞こえる。

「これ、もう、謡いに廻してくれ」と云って指図したのが辛子醤油漬けの蒸し茄子であった。

そのときに発せられた言葉が「ダイビキ」を廻してくれであった。

実はと云ったのが辛子醤油漬けの蒸し茄子の味付け。

昔はどうやら素の味の蒸し茄子だったようだ。

宴もたけなわの時間帯に両当家が動き出した。

かつては当家家がもてなしの接待場。

現在は八柱神社下にある嵩のセンターに場を移した。

センターは会所でもあるが、玄関には提灯を吊るしていた。



その提灯を降ろして屋内に運ぶ。

提灯だけでなく「嵩八柱神社 祭用道具当家」の表示がある箱がある。

それらは次の当家に引き継がれる。

これより始まる当家渡しの儀式で受け継がれる道具は献立文書の『祭り帳』や提灯である。

道具は受け渡しする儀式そのものに作法もなく座敷に置いたままである。

作法は次の両当家と向かい合う下座で行われる。



下座の内側に座ったのが受け継ぐ両当家。

盃を手にして渡す当家が注ぐ。

盃は“謡い膳”にある塗りの盃である。

実はこの盃は武蔵野盃。

本来は大中小の五枚盃。

一番上にあった一番小さい盃であるが、かつては大盃で飲んでいた。

ところが、のん兵衛は少なくなり、やがて小盃になったという。



なみなみと盃に注いだ酒は口を三度つけて飲み干す。

そして、ジャコを摘まんで食べる。

そうして始まった謡いの曲は竹生島。

「緑樹かげしんで・・・」と謡えば一同揃って「魚木にのぼるけしきあり・・・」を謡う。

謡い終えるまでの受け当家は盃をもったままに静止する。

謡いが終われば盃の酒を一気に飲み干した。

ジャコを食べたら今度は継ぐ当家に移る。



盃を手にしたら受け当家が酒を注いで、口を三度つけて飲み干す。

ジャコも同じようにいただく。

そして、謡いが始まった。

竹生島の二番を続けて謡う。



「名所多き数々に・・」に続いて一同が謡う「浦山かけてながむれば・・・」である。

それもまた一曲終わって酒を飲む。

これを「ナガレ(お流れ)」と云って当家渡しは三献の儀で〆た。

こうした一連の儀式が終われば受け当家は再び“謡い膳”を抱えて上座に運んで順番に酒を注ぎ回る。

このときの盃も朱塗りの盃。

一同はこうして酒を飲み交わし、“契り”を交わした座を終えた。



数曲の謡いをしていたオトナ(老名)の一人は「ザザンダ(ザ)ー」と、云った。相当家を務めたⅠさんも、そういえば昔は・・・という。

総代の話しによればかつては〆のナガレに謡うのは「浜松の音はざざんざの高砂のキリ」だったそうだ。

嵩での詞章はわからないが、山添村春日で謡う高砂のキリの謡いに「千秋楽は民をなで 万才楽には命をのぶ 相生のまつ風さつさつの声ぞたの しむささつさつの声ぞ楽しむ 祭典お開き・・・謡  ざざんざ 浜松の音はざざんざ」であったことを付記しておく。

(H28.10.23 EOS40D撮影)
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そりゃあ半年前に比べたらえらい違いや

2017年06月23日 09時46分20秒 | むびょうそくさい
この日も週一ペースのリハビリ運動。

いったいいつまで続けんのや、と云いたい。

自宅を出るときは大雨。

おまけに診察カードを忘れてUターン。

大急ぎで取りに帰る始末だ。

そんなこともあったが外来棟に着いた時間は受付の10分前。

なんとか着いたがリハビリ室の受付もある。

体調や血圧、脈拍、体重状態を記入して入室。

ただちに装着する心電図機器。

この日も8人の患者さんが心臓術後のリハビリ運動をする。

心電図機器を装着したときの脈拍は59-60。

やや高めに属する。

これであれば運動をすれば70拍台にもなるだろう。

まずは整備体操。

このときの脈拍は60-63拍。

スクワット運動をした場合は62-66拍。

運動を終えたらぐっと上昇して75-77拍まで上がる。

上がり過ぎるやろ、と思うが・・・。

ペダルをこぎ出したワーク10の初速血圧は130-70。

脈拍は65拍。

この日は予想どおりの高めである。

1分後のワークは55。

重たくもないワーク負荷にペダル回転数は57rpm。

脈拍は69-70拍である。

6分後の血圧は127-65。

脈拍は73-74拍。

立ち上がりはいきなりの70拍台に乗った。

11分後の血圧は127-61。

脈拍は72-73拍。

今日はこういう状態にリハビリ療法士が云った。

2月や3月とはえらい違いですね、である。

そりゃそうだわ。

半年間も運動をし続けておれば身体も変化するだろうに。

それをずっと立ち会ってみてきたはずだ。

この日も起床時の血圧を気にされた。

一般的な人の起床時血圧はだいたいが140台。

それよりも高ければ医師や療法士は気にかける。

当然のことであるが・・・。私の基準点は160以上に印をつけることにしている。

毎日の状態を記入した健康手帳に記録した血圧が160以上であれば、その数値にピンク色のマーカーで色をつける。

意識的にどれぐらいの頻度で発症しているか判るようにした。

色をつけたら目立つ。

その状態の印象は目に焼き付く。

それだけで十分な色付け。

療法士はその仕様に相槌を打つ。

数値はグラフ化すればいいのだが、初期段階で、体力的にめんどくさを感じたのでしていない。

日々の状態を入力するのが面倒だったのだ。

先週までの状態であれば160以上の日は約3割出現。

これを多いとみるのか、それとも・・・。

この一週間は160以上がない。

いつ上昇するのか不安になっても仕方がない。

そんなことを思いながらペダルをこぐ。

16分後の血圧は143-60。

脈拍は72-73拍。

汗、汗・・がでる。

21分後の血圧は140-54。

脈拍は73-74拍。

最後の26分後の血圧は147-58。

脈拍は72-74拍で終えた。

(H28.10.25 SB932SH撮影)
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身体は快気じゃないが気分が快気の祝い

2017年06月23日 09時40分57秒 | むびょうそくさい
かれこれ何回、リハビリ運動をしてきたことか。

運動をすれば間違いなく一般的とまではいかないが、私の心臓は50-60拍で動く。

残念なことは起きたときだ。

だいたいが40拍前後。

30拍台の値がでればがっくりする。

リハビリ療法士や循環器内科医医師の勧めもあって朝の起きたて具合を計測することになった。

計測するのは主に血圧面である。

起床時の血圧は大事だという。

めんどくさいが医師の指示を受け取って8月24日からは毎日の日課とした。

その状況を記録した『わたしの生活習慣手帳』は毎回のリハビリ運動時に提出する。

医師が診ることのできない日々も記録しているから一つの診断材料にもなる。

療法士、医師が気にかけている血圧は高血圧。

高い状況がめにつくらしい。

私にとってはそれほどでもないし、身体の異常さも感じない。

フラフラするとかの異常はない、のである。

どれほど頻繁にあるのか、記録したなかで血圧が160以上になった日を抜き出しピックアップしてみた。

8月28日は168-90。

8月31日は160-86。

9月 1日は169-83。

9月 8日は160-75。

9月 9日は196-93。

9月10日は179-107。

9月11日は181-94。

9月13日は161-85。

9月18日は173-133。

9月21日は173-84。

9月28日は160-87。

10月 4日は183-113。

10月 5日は171-91。

10月 7日は169-96。

10月 9日は173-92。

10月11日は176-88。

10月12日は161-83。

10月14日は191-104。

ときおり、というようなタイミングで出現するが、割合を数えてみれば56日数に対して18日。

約3割の出現である。

これを多いとするのか、しないのか・・。

医師からみれば多いのであろう。

心配であるから血圧を下げる薬療法を主治医に通知するようだ。

判定は来月に診察する主治医に任せる、というが・・・。

さて、本日のリハビリ運動である。

心電図機器の装着時の脈拍は48拍。

悪い方ではない。

スクワット運動をすれば59-60拍に上昇する。

運動にもよるが52―54拍の場合もあるが、さらにキツ目の運動ともなれば58-60拍だ。

上下の変動にいちいち気にしてはいられない。

ペダルをこぎ出したワーク10の初速血圧は130-71。

脈拍は46-48拍。

この日はやや低い。

1分後のワークは55。

重たくもないワーク負荷にペダル回転数は57rpm。

脈拍は60-61拍である。

6分後の血圧は136-60。

脈拍は61-62拍。

11分後の血圧は151-59。

脈拍は61-62拍。

循環器内科医師のT医師は気になる血圧を云いだした。

T医師が問いかける。

脈拍が高い日も見受けられるので主治医のほうにも伝えておく。

できれば診察してもらって血圧をあげる投与も考えられる、ということだ。

16分後の血圧は142-57。

脈拍は63-64拍。

汗、汗・・がでる。

21分後の血圧は144-60。

脈拍は62-63拍。

最後の26分後の血圧は143-64。

脈拍は61-62拍で終えた。

終わってから循環器内科医師が心配そうな顔をしたが、もともとの私の身体は回転数が低かったのだと思うと伝えた。

小学生から中学生のころの私は校庭並ぶ朝礼中にときおり貧血を起こした。

症状がでるときははっきりわかる。

そろそろでるそ、真っ白な情景が・・・。

そう、思ったとたんに眼前の風景がモヤかカスミとなって消えていく。

このままでは倒れると思って、その場にしゃがみ込む。

なるとわかってからはいつもそうしていた。

血液の循環が悪いときにはいつもそうなっていた。

貧血は毎日でもなかった。

たんまに発症するのだ。

始めて発症したときは先生におんぶされて医務室で安静状態にしてもらっていた。

頭を冷やせばすぐに戻る。

しばらくは医務室にいた。

なんどかあったことだけは記憶にあるが、頻度は覚えていない。

子どものころはそうだったが、高校生ともなれば発症はしなかった。

そう、記憶している。

このときの脈数がどれくらいだったのか・・。

そんな話を医師に伝えた。

たぶんに私の心臓は元々から回転数が低かった。

そう、思うのである。

現在、65歳になった私の心臓は今も変わらず・・・であったに違いないと思って、これ以上の治癒は期待できないと判断して、この日を「快気」とした。

(H28.10.18 SB932SH撮影)
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コンディション良好に

2017年06月23日 09時34分22秒 | むびょうそくさい
外来棟に向かって歩いていた時に声をかけられた。

こんなところで名前を云うのは・・・。

まさかと思ったが黄色いバイクに乗って颯爽と走っていたTさんだった。

良くもならない症状に今後も付き合わないと・・・コメントしたことを気にしていたが、歩いていたとは・・。

私を見つけるなり停車したと云う。

普通に歩いているからびっくりしたようだ。

その通りの現況である。

受付を済ませて会場に行く。

心電図機器を装着したときの脈拍は52-56拍。

そうであればリハビリ運動に入っても高い方を維持するだろう。

いつも通りのスクワット運動では58-60拍。

少しキツ目の運動であれば62-64拍。

終った直後はぐっと上がって66-69拍。

最近の傾向はこうなる。

回転し始めてワーク10の初速血圧は127-61。

脈拍は66-69拍。

この日も高い方にある。

1分後のワークは55。

重たくも感じないワーク負荷にペダル回転数は57rpm。

脈拍は70-71拍である。

いつもよりはやや高め。

それも運動を開始してすぐさまの上昇。

快適なのかどうか身体はあまり感じない。

6分後の血圧は156-56。

脈拍は70-71拍。

前週とほぼ同じような状況である。

運動始めが高ければそういうことになる。

リハビリ療法士も循環器内科医師も心配されるがまったくしんどさを感じない。

T医師はこの日も気になる血圧を云いだした起床時の血圧値。

脈拍が高い日は頻発ではない。

ときたま発症する。

発症といっても体調に変化を感じないのである。

夜に服用している薬を朝に回すことも考えないと・・・云われるが、なんとも、である。

11分後の血圧は145-56。

脈拍は73-74拍。

リハビリ療法士が問う。

今の身体状態はどうですか、であるが、なんともない。

16分後の血圧は151-61。

脈拍は69-71拍。

この日は全体的に高目。

21分後の血圧は150-59。

脈拍は71-73拍だ。

ラストもあまり変化もなく、血圧は149-64で脈拍は71-73拍。

最後の5分間はワークを60に上げられたが特にしんどさは感じなかった。

(H28.10.11 SB932SH撮影)
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