マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

お釣りはバス乗車利用金券

2015年11月30日 09時11分39秒 | いどう
100円玉が欲しかった。

これがこの日に陥った発端である。

重たい荷物を持ちこんで乗車した奈良交通バス。

千円札一枚しかなかった。

運転手に申し出たらバス料金受けで両替してくださいと云う。

札入れに入れるが戻ってくる。

何度も繰り返してようやく受け付た両替機械。

ジャラジャラと現金が落ちてきた。

500円玉に100円玉や10円玉もある。

お釣りの100円玉が欲しかったものだから、500円玉と二枚の10円を投入したら運転手が「あっ」と云った。

「お釣りはでませんと機械に書いてあるでしょ」である。

目に入っていなかった私の行為に困惑する運転手。

「降車する際に時間はありますか」という。

それはお釣りを用意する時間がかかるということだと思った。

最終の停車場に停まった。

運転手はなにやら作業を始めた。

料金受けからお釣りの300円を取り出そうとしていたと思ったが、そうではなかった。

おもむろに手渡された紙片。

手書きで300円と書いてある。

これを利用くださいという。

どこで換金すると云えば、それは無いと返す。

次にバスを利用する際に金券として使うバス利用の金券だったのだ。

一般的に考えれば最寄りの営業所で換金するのが当り前だろう。

それはない、バスに乗るときの金券だという。

他では使えない奈良交通専用のバス利用圏。

一見さんの乗車客だったら使うこともない金券だ。

どころかバス運賃が220円であるなら、またもや発生するバス利用金券の発行。

手書きの金額は80円と書くのだろう。

シーカカードやイコカカードの併用であればどうなるのだろうか。

まことに手間のかかる旧態依然のお釣りシステム。

いまどきこのようなシステムが存在していたとは・・驚愕の実態。

運転手は困り果てたがこれしかできないという。

こんなにめんどくさいシステムは直ちに改善すべきだと思った。

システム改善されることを願って金券はバス会社に「寄付」することにした。

このようなお釣りシステムは他のバス会社でもあるのだろうか。

ネットで調べてみた名古屋市交通局のお釣りシステムはバス内で完結する自動的に釣り銭受けから出てくる。

このような機械化をしているのは東京都交通局・横浜市交通局、兵庫県尼崎市営バス、大阪市営バスがある。

奈良交通バスと同じように釣り銭が出ないバス会社は福井県京福バス、千葉県京成バス、神戸市交通局、兵庫県神姫バス、三重交通、京都市交通局がある。

奈良や京都は世界的な観光都市。

訪れる観光客はバスを利用することがあるだろう。

お釣りが出ない現金システムは観光都市に相応しくないと思った。

(H27. 2.21 記)
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別所町の葬送儀礼

2015年11月29日 15時56分55秒 | 奈良市東部へ
風景写真家のYさんがとらえた注連縄写真。

田んぼの神さんなのか、それとも・・・。

正体を確かめたくて出かけた奈良市別所町。

朱塗りの鳥居付近に立ててあった注連縄は七・五・三。



両脇はススンボ竹だ。

近くの農具倉庫を修理していた村人は何度かお会いしている男性。

二日前の18日に上の垣内に住む90歳の男性が亡くなられたと云う。

葬儀を家でされて出棺霊柩車は葬儀場に向かう。



その通り道に金刀比羅神社の鳥居がある。

霊柩車が通るにはケガレがあると云って注連縄を立てるというのだ。

かつては神社に黒幕を被せて「メカクシ」をしていた。

それと同じで注連縄も「メカクシ」だと云う。

下の垣内であれば、鳥居を通らない。

その場合は「メカクシ」しないそうだ。

葬儀をされた家の前に辻ローソクが今でもあるはずだと教えられて上の垣内へ。



真新しい輪切りのダイコンを挿してローソクを立てていた。



存じている長老に話しを伺った。

戦時中はローソクを買えなくて赤いトウガラシを挿していたと云う。



その様子は近くに住む婦人もそう云っていた別所町では3月第一日曜日(今年は3月1日13時ころ)に長老が弓矢を射る「弓の的」行事が行われる。

平成17年に訪れて以来、未だに再見していない。

(H27. 2.20 EOS40D撮影)
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中白木の年中行事

2015年11月28日 09時27分35秒 | 楽しみにしておこうっと
挨拶がてらに立ち寄った桜井市の山間。

ここは大字中白木。

この日、高龗(たかおかみ:雨冠に下は龍)神社の祈年祭はすでに終わっていたが、長老の一老が弓を射る「オコナイ」行事に使われた鬼的を拝見させてもらった。

弓は桜の木、矢はススンボ竹。

村の戸数分の矢を射る。

矢は松のチンチロを付けて田植え初めの田んぼに立てると話していた。

座中の人たちが教えてくださる中白木の年中行事。

5月のGW辺りに田植えをする。

村全戸の田植えが終わる20日前後に田植え終いの籠りがある。

時間帯は夕刻の6時。

籠りであるが泊りはない。

8月20日前後は風鎮祭。

かつては8月17日だったようだ。

風鎮祭は大風で育った稲が倒れないように祈祷する。

これを風の祈祷ということもある。

時間帯は籠り同様の夕方6時だ。

10月16は神明祭(しんめいさい)。

お昼を食べてから全員が揃って参る。

夕方近くの4時ころはゴクマキをする。

その夜はカントダキ料理を夫婦揃ってよばれる。

11月9日は頭屋(トーヤ)宅で分霊を祀る頭屋祭の宵宮祭だ。

廻りドーヤともいう頭屋宅で行われる行事は長男が誕生すれば、ということのようだ。

村の長男が寄って注連縄作り。

高龗(たかおかみ:雨冠に下は龍)神社を中心に25カ所も張る。

山の神に供えるタイやカマを木材で成形する。

カニノモチも作る。

これらは午前中に済ませて頭屋家もてなしの吉野膳の昼膳をよばれる。

膳は夜もあるということだから作業は午後も続くようだ。

翌日の11月10日は頭屋祭

山の神に木材で作ったタイやカマ、ガニノモチを供える。

元社の神明神社にも参って同じく御供をする。

平成24年に訪れたときはすでに神事・御供を終えて直会に入るときだった。

そのときに供えるタイやカマ、ガニノモチのことを思い出す。

12月20日はシンジョウ祭。

充てる漢字は新嘗であろう。

年が明けた正月初め。

1月12日はオコナイがある。

五穀豊穣を願ってススンボで作った矢を射る。

矢の本数は9本。

村の戸数である。

矢はもう一本ある。

それは神社の宮田のものだという。

弓の弦は麻苧だそうだ。

矢は一老が射る。

御供は他にもチンチロが付いている松もある。

これらは田植え終いに田んぼに立てるという。

2月20日は祈年祭。

今日の行事のことだ。

3月1日はオシメイリ。

一年間家施主(頭屋)家で祀った分霊を神社に戻っていただく。

同日の夜、受け頭屋が、口に紙を銜えて神さんを祭るヤカタを家に迎え入れる。

施主家で不幸ごとがあれば一年間ずらすして他家に務めていただく。

祭る家は長男家。

次男家ではそれをすることはない。

施主とは跡継ぎの長男なのである。

旧暦閏年は庚申さんのトアゲがある。

4月の末にするらしい。

何年か前に行われた痕跡がある。



竹で作った2本の形。

一つは上が円形の藁束がある。

おそらく御供台であろう。

も一つは昔のエントツのような形をしている花立て。

ブロックで囲んだ庚申石塔の前に残っていた。

次のアタリ年は平成29年。

2年後になる。

(H27. 2.20 EOS40D撮影)
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横田交差点らーめん大魔神九州豚骨醤油らーめん

2015年11月27日 07時36分10秒 | 食事が主な周辺をお散歩
10日ほど前に出かけた食事処。

仕事を終えて無性に食べたくなった380円の九州豚骨醤油らーめん。

お店は大和郡山市横田町交差点東北の角にあるらーめん大魔神だ。

昼間は11時から開店しているのだが、その日は何故か閉まっていた。

もしかとして閉店したのでは・・・と思っていた。

不安さが残るが、再度出かけたこの日。

お店の前でサラリーマン姿の二人が店前で品定め中。

店内の灯りも点いていた。

開店していたのである。

もしかとすれば10日前は仕込みが間に合わなかったのではないだろうか。

お金を投入してメニューを選ぶ。

決めていたにんにく入り九州豚骨醤油らーめんボタンを押す。

食券が出てきた。

同店に初めて訪れたのは前年の2月13日。

注文したのはこの日と同じ九州豚骨醤油らーめんだった。

あまりにも美味かったので翌月の3月3日も訪れた。

ただ、注文したのは豚骨塩らーめん。

もひとつだった。

圧倒的に美味いのは醤油らーめん。

この味を再び噛みしめたくなった一年後。



味に変化はあるのか、ないのか。

カウンターテーブルに配膳されたらーめんの香り、色、こってり感が食欲をそそる。

モヤシをからめて持ちあげる。

口に入れる。

美味い。

変わらない味に感動する。

入店したときは12時半。

満席だった。大魔神ファンが多いのだろう。

ストレート麺にこってりスープはお気に入り。

チャーシュー一枚に3本のシナチクを少ないと思うが値段は税込み380円。

リーズナブルな値段であるが味は抜群だ。

完食し終わってから気がついた。

前年に食べたらーめんには紅ショウガがトッピングされていた。

今回はそれがない。

なくとも美味かったことを書いておこう。

(H27. 2.20 SB932SH撮影)
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混雑状況で受付打ちきる確定申告会場

2015年11月26日 09時43分12秒 | ぽつりと
二日前に確定申告すべき資料を整備した。

予定では混雑状況を考えて24日辺りにしようと考えていたが、急遽この日にすることにした。

予約していた歯医者さんが急用で診療できなくなった。

空きが発生したこの日。

仕事を終えて帰宅した自宅でカキアゲ丼をいただいた。



最近、我が家で好評のカキアゲ丼。

あっという間にたいらげて一服してから出かける。

ここ数年の確定申告会場は奈良県立図書情報館。

出かけやすい処にあるから行きやすい。

いつも通りに駐車場ゲートを潜って奥にある会場受付に向かう。

着いた時間は午後3時前。

例年にやってくる時間帯だが異変を感じた。

会場の扉の前に大勢の人たちが集まっていた。

並んでいるわけでもなく群衆のような塊になっている。

職員に詰め寄っている人もいる。

何事が起ったのか。

職員の説明によればこの日の受付は終了したというのだ。

扉の前にはその旨書かれた立て看板もある。

確定申告の受付時間は9時半から午後4時まで。

午前中は人が溢れるくらいに多いが、午後はそれほどでもない。

昨年も同じ時間の午後3時に着いた。

椅子に座っている人数は十数人だった。

これぐらいの時間であれば待つ時間はさほど気にならない。

そう思ってこの日も午後3時。

受付は混雑していたことから2時半に終了していたのだ。

職員が伝える。

「確定申告のお知らせ」通知には注釈が書いてあると云う。

それにはたしかに「※ 混雑状況により早めに受付を終了させていただく場合があります」と書いてあった。

見落としていたのだ。

申告に来ていた人が云った。

「市民だよりにはそんなことは書いていない」と言い切る。

大和郡山市広報誌「つながり」にも書いてあった同文の「混雑状況により早めに受付を終了させていただく場合があります」。

各会場の注意事項にある。

ところが奈良市の市民だより・インターネット版(テキストのみ)にはこれっぽちも書いていない注意事項。

喰いついた奈良市市民のいうとおりだったが、PDF版には同文の「混雑状況により早めに受付を終了させていただく場合があります」と書いてある。

この日の騒ぎ。

告知している文を読まなかった人は何を云おうが出なおしてもらうしかないが、駐車場を潜って会場まで足を運んで始めて知る受付終了。

どうか駐車場前に掲示していただきたいと伝えて帰宅した。

前日は受付終了を早められたことから、この日は2時間繰り上げて出かけた確定申告会場。



駐車場に車を停めたときにかかった電話。

県立民俗博物館からの承諾を得て発信された童夢社。

小学校等の図書館などに配布する教育図書を発刊している出版社だ。

伝統的な行事を伝える本を製作している。

それに掲載する写真の使用許諾である。

担当者が願う写真は私のHPを拝見した。

写真はどうやら平成22年に開催された「大和郡山の祭りと行事」展で水口まつりの様相を伝える写真だ。

いまどきの教師は稲作りをしたこともないだろう。

ましてや農家が豊作を祈る水口まつりは知らないだろう。

それを伝える教育図書出版社の使命は大きい。

速攻で使用を許諾した。

駐車場に入ってから約10数分。

それから受付会場に入った。

時間は午後1時半。

手渡された受付番号札は557だった。

朝9時半から始められて557番目。

前年は2月24日だった。

受付された時間は午後3時直前。

番号札は443だった。

200人以上も差がある受付人数。

前日もそれぐらいに多かったのであろうと思うが、2時間繰り上げても557番目だ。

会場ではたくさんの申告者が椅子に腰かけていた。

申告者を呼びだす番号は420番。

100人以上も順番を待っている。

その間に案内されるアナウンスは、「当会場では相続税や株譲渡はしていません」だ。

もうひとつあったアナウンス。

医療費の領収書は整理されて医療費を計算してください、である。

自宅で整備せずにやってくる人も多い。

別途用意されたテーブルで計算する人はわりあい多かった。

次々と呼びだされる受付番号。

呼びだしても現れない人もいる。

どうやら相続・譲渡対象者のようで不在。

次の番号、次の番号への場合が多く感じる。

毎年、確定申告に来ているがこういう人は多いのである。

待つこと1時間。

番号を呼び出された。

持参した資料を点検される。

今回の医療費控除はしない。

合計が10万円未満になったこともある、現実面でいえば控除する税がないのだ。

提出しても無駄なことと思っているが、生命保険料控除などの書類は持参した。

国民健康保険は証明する書類がない。

支払った合計額を記入するだけである。

来年は65歳に到達する。

そうとなれば発生する介護保険料。

公的年金から天引きされるらしい。

扶養者、扶養親族の名前・生年月日も記入する資料の整備票になぜかどきどきする。

家族であるにも拘わらず名前の漢字が出てこないのだ。

生年月日もしかりである。

書類の点検は10分ほどで終えた。

次はe-taxパソコン入力待ち。

30人ほど順番を待っている。

入力は慣れた人が行うのが最も早い。

慣れない人が画面を見ながら操作・入力をするには出力される画面の文字を判読しなければならない。

それに時間がかかるのだ。

今回も操作担当者にお願いして横に立つ。

対応は実に早い。

こうして全件を入力し終わって完了。

還付金額が自動的に出力される。

計算された結果は源泉徴収額と同額だ。

そうなると思っていた確定申告。

所得合計は前年より10万円も下がっていた。

勤務している送迎ドライバーの賃金体系が変わったからだが、還付金は2千円増えた。

なぜだか判らない。

すべてを終えて駐車場を出た時間は午後3時25分。

2時間以上も滞在して料金は100円だった。

今年の確定申告ではないが、昨年末に何十年も掛けていた介護保険を解約した。

介護は不要と判断したかーさん。

解約保険金が必要となったために解約した。

その支払い通知書が保険会社よりこの日申告を終えたあとに送られてきた。

100万円越えは所得税法にしたがって「解約払戻金の支払調書」が送付される。

手続きをするのは来年の確定申告だ。

忘れないようにその書類も保管しておく。

所得が決まったこの年の確定申告。

6月に通知される市民税、県民税が気にかかる。

通知が来たのはそれから4カ月後の6月11日に届いた。

年額12700円だった

(H27. 2.18 SB932SH撮影)
(H27. 2.19 SB932SH撮影)
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ガソリン価格の変動

2015年11月25日 07時32分09秒 | いどう
平成26年の夏場は160円超えだったレギュラーガソリン。

その後は徐々に下がって10月ともなれば150円代。

毎週連続の値下がりで、11月1日は145円。

価格が上昇すればニュースになるが、下落の場合はニュースに取りあげない報道機関。

何故に、である。

正月を越した平成27年の1月31日はぐーんと下がって118円。

25週連続の下落傾向だ。

和歌山の一部ガソリン店ではもっと安いという情報もあるらしい。

2月6日はまたまた下がって115円。

ところがだ。

2月20日になればぐぐぐと上がって120円。

先週が底値だったかも知れない。



2月17日に通りがかった天理市森本町にセルフサービスのガソリンスタンドがある。

ここではレギュラーガソリンの価格が118円だった。

他店では120円以上であるが、この店では上昇の波に乗っていない。

いつもなら大和郡山市横田町の「うかいや」でガソリンを補給するが、この日は天理市森本町にあるセルフサービスのガリンスタンドにした。



17日は118円だったが、22日は119円になっていた。

大和郡山市や斑鳩町にある現金払いスタンドでは若干下がるが、ここではカード扱いで119円。

最近できたばかりのガソリンスタンドは人気がでてきたようで補給する車が多くなっている。

(H27. 2.22 SB932SH撮影)
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櫟本高品長林寺観音春祭り

2015年11月24日 09時08分42秒 | 天理市へ
奈良から桜井へ行き交う上街道。

京都から奈良街道を経て古都奈良から桜井間を結ぶ初瀬参拝の道として江戸時代に発展した街道である。

南北を貫く街道沿いに天理市櫟本町・町屋商店街が立ち並ぶ高品(たかしな)地区。

隣町の楢(なら)町に鎮座する楢神社をわずかに南下した辻に観音さんを安置する法蔵山長林寺がある。

毎月の17日は町内観音講の婦人たちが集まって般若心経や西国三十三番ご詠歌を唱えている。

平成25年7月の観音夏祭りに訪れたときは11人が営んでいた。

かつては17人もおられたがその年は12人になると云っていた。

2年ぶりに訪れた観音講は15人に増えていた。

99歳の女性は元気だったが引退されたが、あらたに講中入りされた若い婦人もあって逆に増えたと云う。



それを記念して平成27年2月に新しい幕を作った。

高品長林寺の大祭は夏と春に行われている。

蔵之庄の蔵福寺の先々代のお弟子さんになる安寿さんがおられた時代に始めたようだ。

亡くなられたあとは櫟本町の三寺(浄土宗極楽寺、融通念仏宗大興寺、浄土真宗覚王寺)住職が一年交替で法要をされる。

本尊よこに高く積み上げられた御供がある。

新地西町、新地北町、新地南町、長林寺北町、長林寺南町、本町北に観音寺講世話人らが供えた箱入りのお菓子などだ。

御供に大きな鏡餅や御供料もある。

夏の大祭には多くの住民が参られるが春はごくごくわずか。

例月集まる観音講の婦人たちだけだ。

当番の人が朱塗りの膳に朱塗り御膳を供える。



モチゴメのセキハン、シイタケ・ニンジン・コーヤ・ガンモの煮もの、ゴマドーフ、吸い物、香物を盛った椀も朱塗りだ。

本尊さんに食べていただくお箸は紙を巻いて水引で括っていた。

本尊は聖観音菩薩立像。

周囲に千手、如意輪観音などの観音像が処狭しに積みあげられている。

このような光景は未だかって見たことがない。

台座と思われるような箱には西国三十三番札所の各寺が記されていた。

ご本尊周りに並べられた観音さんを数えてみた。

左は17体で右が14体。

合計で33体だった。

この日の法要は大興寺住職。



本日お参りの身体健勝を願って「なーむあみだー なむあみだー なーむかんぜのんぼさつ なーむあみだ なーむあみだぶつ。

融通念仏勤行を唱えられた。



杖をついて歩いてきた大正10年生まれの婦人は94歳。

耳も遠くなく、すこぶる元気。

最高年齢者の講中が拝む姿にいつまでも元気でいてくださいと声をかけた。

法要を終えれば櫟本観音講の婦人たちが西国三十三番ご詠歌を唱える。

伏せ鉦を打つ音色は甲高いキーン、キーン。

安寿さんがおられた時代から導師を勤めてきた婦人はご詠歌の調子をとる。

始めに「ありがたや かれたる木にも 花さける このみほとけの いのりのめぐみ」の和讃。

続けて「十句観音経」を唱えてご詠歌に移る。



ゆったりとしたリズムで前半は二十三番まで。

普段ならここでお茶をいただく小休止をされるが、この日は続けて三十三番から「ばんがい」まで。



「同じくたにぐみ」に続けて「くわざんのいん(まののみょうほう山さん)」、「ならこぐあつだう(かうや山こうぼう大し)」、「やなぎ谷くわんぜおん」、「ぜんくわうじ」、「やたのじぞうさん」、「おとわのくわんぜおん」・・・。

一挙に唱えたお勤めだった。

春の大祭には町内の人たちが祈願する健康祈願、家内安全、交通安全、商売繁盛や金運アップも願った十二支干支の絵馬(この年は未)を奉納する。

安寿さんがおられたときは護摩木を燃やして祈祷されていたが今は見られない。



ご詠歌を終えれば世話方の男性たちが絵馬を繋げて本堂前に吊るしていく。

5枚ずつ経紐に通してお堂の壁に吊り下げる。



壁一面にに吊った絵馬の数はおよそ150枚にもなった。

男性たちも観音講。

婦人も入れて総勢で50人ぐらいであるが、男性は唱えることなく、世話方を勤める。

町内から寄せられた御供は町内ごとに下げられる。



それら御供下げを配るのも世話方の役目だと云う。

(H27. 2.17 EOS40D撮影)
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笠・牛頭天王宮の藁草履吊り

2015年11月23日 09時17分30秒 | 楽しみにしておこうっと
桜井市の笠・天満神社に東座・西座の宮座がある。

藍染展で知り合った奥さんの旦那さんは東座の一老。

ミヤモトとも呼ばれるらしい。

届いた年賀状に「一度、笠の行事を取材してほしい」と書いてあった。

お話しを伺いたく立ち寄った。

ケイチン弓打ちは諸般の事情で日程が替わり、すでに終えていた。

一老が云うには永年途絶えていた牛の藁草履を奉納する「テンノオイシキ」を平成26年に復活したそうだ。

「テンノオイシキ」は牛頭天王を祭る「天王会式」が訛ったのであろう。

立ちあげたのは「ツナウチ保存会」。

大字以外の人たちによる復活である。

その日は7月14日

県内各地で行われている祇園祭と同じ日である。

祇園さんの祭りは八坂神社(八阪神社とも)、杵築神社、素盞嗚神社で行われている。

各社は江戸時代までは牛頭天王を祭った神社。

明治に入って神社名を代えられた。

いずれの神社でも夏祭りと称する祇園さんの祭りだ。



一老が話していたとおりの牛の藁草履は一足半。

これを牛頭天王宮の鳥居に架けてあった。



一老が子供のころの様相。

「テンノオイシキ」にお酒の肴があった。

牛頭さんの前というから御供であろう。

それをお重に詰め込んで食べていたそうだ。

現在は14日でなく、直近の日曜日に行っているそうだ。

ちなみに一老がいうには牛頭天王宮はかつて「センモリ」と呼ぶ山に鎮座していたらしい。

「センモリ」は「千森」。

「チンモリ」とも呼んでいるが、今は「チモリ」になるそうだ。



牛頭天王宮が鎮座する地のお堂らしき建物がある。

もしかとすれば地蔵堂であるかもしれない。

昭和36発刊の『桜井市文化叢書 民俗編』によれば石の地蔵尊を祀り、8月24日が会式だと書いてあった。

しかもだ。

地蔵堂の境内に庚申石があり、雌雄二つの草鞋を供えてあり、それは5月の田植え前に村の青年たちが集まって作り上げたというのだ。

豊作祈願の草鞋は確かにあった。



牛の藁草履である。

シュロの毛も入れて編み込んだ雄雌の草履を一足ずつ作って合体させる。

庚申さんの処に吊るす草履は、今でもそこに残っていたのである。

「テンノオイシキ」は「天王会式」。

もしかとすれば地蔵堂僧侶による仏式行事であったかもしれない。

牛頭天王宮の鎮座地は一老家からすぐ近くだった。

一老が話した藁草履があった牛頭天王宮の燈籠に「寛政四年(1792)十一月吉日 天王宮常夜燈」の刻印があった。

一方、「安永九庚子(1780)天 西国九月吉日」の刻印がある庚申さんの前には旧暦閏年の庚申日待ちの痕跡もあった。



ちなみに2月初めの日曜日。

月並祭に合わせて行われるイチン弓打ちの正式行事名は蟇目祭(ひきめさい)。

笠の結鎮(ケイチン)講の行事である。

講中が竹を編んで鬼の的を作る。

弓は桜の木で弦は麻苧(現在はナイロンロープ)だ。

矢はカヤススキの鏑矢。

それにススンボの竹を先に付ける。

矢は7本作る。

年齢順に宮座の東座・西座十二人衆のうち長老の一老から六老が東、西、南、北、天、地に矢を射る。

残った七老以下は鬼の的をめがけて矢を射る。

鬼を仕留めるということだ。

一老が話す笠のこと。

笠は南組(大久保)、西組、庄中中組、東組、千森の五垣内。

千森は上組、中組、奥組の三つに分かれ、合計は七垣内になる。

50年前の笠は103戸もあったが、現在は60戸。

ほぼ半数になった。

七垣内それぞれに座があり、東座と西座に分かれる。

昔は六座もあった。

それぞれの座から二人ずつマツリに出仕する。

戸数が減ったことによって今は東座と西座の二座になった。

一老の話しはまだまだ続く。

かつては名替えがあった。

ある年齢に達すれば呼び名を替える儀式である。

何々ザエモン(佐衛門)とかウエモン(上衛門)があった。

替えた呼び名を提灯に書いてつらくったそうだが、今はされていない。

ちなみに天満神社のマツリ(九月当屋)は10月25日だった。

今は近い日曜日に移ったようだ。

東座、西座の両座それぞれに年齢順の六人衆(一老~六老)が年中行事を務める。

マツリは天満神社の分霊を家で祀るトーヤ(当屋)家(大当屋の大頭)が接待をする。

トーヤ家は注連縄を一年間、屋根に揚げておく。

トーヤ家の当人は拝殿で丸帯を締めて、相撲を取組むような恰好をする。

そう書いていたのは『桜井市文化叢書 民俗編』だ。

(H27. 2.15 EOS40D撮影)
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明星大盛ぶぶか特製にんにく醤油豚骨らーめん

2015年11月22日 08時33分45秒 | あれこれインスタント
イオン大和郡山店で売っていた特売インスタントカップラーメン。

明星から発売されたカップラーメンに表示してあった二代目の顔写真入り。

東京・吉祥寺らーめん専門店のぶぶか特製にんにく醤油豚骨らーめんだ。

蓋には油そばの名店ぶぶかの特製メニューもあった。

これは面白そうだと思って買ったカップラーメンは大盛り。

食事処が見られない土地に出かけるときにと思って買っておいた。

その日がやってきたのが嬉しくてたまらない。

久しぶりの車中食にワクワクする。

具材が入っている粉スープを振りかけてお湯を注ぐ。

待つこと3分間。

どろっとした液体スープも入れたカップラーメン。



商品名のとおりたくさんのスライスにんにくが浮かんだ。

何か判らない小片の肉もあればコーンもある。

ネギはやや普通目だ。

香りがぷーんと上がってきた。

にんにくの香りが圧倒する。

ストレート麺に絡んだスープが美味い。

こってり味だ。

ちじれ麺であればもっとスープが絡みつくであろうと思った。

とにかく多いスライスにんにく。

これが決めてのぶぶかの味。

大盛りラーメンに大満足。

空になったカップも持ち帰る車内。

車からしばらく離れて戻ってきた。

ドアを開けたらにんにくの残香が鼻につく。

ゲップも出ればやはりにんにくの香り。

数時間経っても消えなかった。

翌日の乗車した愛車内に充満していたにんにくの香り。

恐るべし、ぶぶかの特製にんにく醤油豚骨らーめんに驚く。

(H27. 2.15 SB932SH撮影)
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下笠間米寿祝いのテハン

2015年11月21日 09時13分48秒 | 宇陀市室生へ
室生在住の知りあいの家を訪ねた。

入った玄関扉上に数枚の「手形」が貼ってあった。

80うん歳の奥さんがいうには米寿祝いの「テハン(手版)」。

女性は右手で男性は左手の手形を押す。

かつては数え年88歳にしていたが、意見が出て満年齢になった。

1月20日は村の初常会。

そのときに配られる祝いの印し。

100歳の百寿には朱塗りの「テハン」になるという。

米寿祝いにオボン(盆)、チョウシ(銚子)、メシジャクシ(飯杓子)<一般的にはシャモジ(杓文字)>などが配られた。

村の各戸や親戚中に配っていたが、廃止したと云う。

祝いの品は違うが大和郡山市・長安寺町や田原本町・八田では砂糖を二袋ずつ村各戸に配るという風習がある。

今ではしていないが桜井市の小夫嵩方では箸だったと聞く。

米寿の祝いの品も調査しなければ・・・と思った。

(H27. 2.15 EOS40D撮影)
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